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鹿島神宮

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 鹿島神宮(かしまじんぐう)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。鹿嶋神宮。 創建は神武天皇1年(紀元前660年)とされる。 千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社ともなっている。常陸国一の宮。延喜式神名帳に記載のある式内社で社格は名神大社。 明治時代に定められた近代社格制度(旧社格)では官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。
 祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。日本神話では、大国主命の国譲りの神話に登場する神として知られる。 国譲りの際、天照大御神に遣わされた神で、香取神宮の祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とともに国を平定し大国主命に国譲りを認めさせ、 日本の建国を成し遂げた神とされる。 また神武天皇が東征の折、思わぬ危機に陥った時、武甕槌大神の「霊剣」の神威により救われたと伝えられる。 このため古代から、蝦夷平定の東国の拠点として広く信仰されるなど武神として知られ、のちの武家政権時代には源頼朝や徳川家康など武将の崇敬を集めた。 特に江戸時代、徳川将軍家、水戸徳川家から寄進された建物が現在も残る。 このほか、藤原氏(中臣氏)に関する伝承があり、鹿島が藤原氏祖の鎌足の出生地との説も伝えられている。 藤原氏の氏神である奈良・春日大社には、第一殿に鹿島神、第二殿に香取神が勧請されている。この時、鹿島の神が鹿に乗って奈良まで行ったと伝わる。
 境内は東京ドーム15個分の広さがあり、御手洗池や庭園のほか鹿島神宮の樹叢として豊かな自然が残っている。
 文化財は、直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)(附 刀唐櫃)が国宝。 本殿・石の間・幣殿・拝殿(附 棟札2枚)の4棟と奥宮(附 棟札1枚)、楼門、仮殿及び梅竹蒔絵鞍(附 四手蒔絵居木一双)が国指定重要文化財。 鹿島神宮境内が国の史跡。鹿島の祭頭祭が国選択無形民俗文化財。
拝殿前
拝殿前。右手に見えるのが拝殿と本殿。正面の社が高房社、その左側が仮殿。拝殿と高房社の間が奥参道。 祭礼では、この位置から神職が参進し仮殿、高房社を経て本宮での神事となる

本殿

 本殿は、三間社流造。間口3間、前面に間口1間の向拝がある。彩色が施されている。 1619(元和5)年、2代将軍徳川秀忠公の寄進。幕府の大棟梁鈴木長次の奉行によるもの。 拝殿とともに、参道に対して横向き、北向きに建ってる。本殿内は、南西に御神座があり、御神体は東を向いているという。 出雲大社の建築様式に近く、最も古い神社の建築方法とされる。 1901(明治34)年3月27日、国指定重要文化財。
本殿
本殿
本殿装飾
彩色が美しい本殿

拝殿

 桁行5間、梁間3間、向拝1間。屋根は入母屋造で檜皮葺。白木造。本殿同様、1619(元和5)年、2代将軍徳川秀忠公の寄進。 同じく幕府大棟梁鈴木長次による。 本殿と同じく参道に対して横向き、北向きに建っている珍しい配置。1911(明治44)年4月17日、国指定重要文化財。
拝殿
拝殿

幣殿・石の間

 幣殿、石の間は、拝殿と本殿の間にある。 幣殿は桁行2間、梁間1間、白木造。石の間は桁行2間、梁間1間、彩色が施されている。 幣殿は拝殿後方、本殿側に突き出すようにあり、その後方に石敷きの石の間があり渡り廊下によって本殿に接続されている。 本殿、拝殿同様、1619(元和5)年、2代将軍徳川秀忠公の寄進。 同じく幕府大棟梁鈴木長次による。1911(明治44)年4月17日、国指定重要文化財。
幣殿石の間
幣殿と石の間

楼門

 日本三大楼門の一つに数えられる。2階建で高さ約13m。間口3間、中央1間を出入り口とする三間一戸。 南北に回廊がある。桁行5間、梁間2間。1634(寛永11)年、徳川家康公の第11子で、水戸徳川家初代の徳川頼房公の奉納。 『鹿嶋社楼門再興次第記』に記載があり、3代将軍徳川家光公の病気平癒を頼房公が当時の大宮司に依頼したところ、 家光公が快方に向かった為に奉納されたという。 棟梁は越前の大工で鎌倉時代からの工匠の家系である坂上吉正。浅草の水戸藩下屋敷で1300余人の大工が切組みを行い、船筏で運んで組み立てたとされる。 1940(昭和15)年の大修理に際して丹塗りが施され、入母屋造の屋根は昭和40年代に檜皮葺から銅板葺に替えている。 扁額の「鹿島神宮」の文字は海軍元帥東郷平八郎の直筆、大きさは畳1枚ほどある。 1966(昭和41)年6月11日、国指定重要文化財。
楼門
楼門
楼門社殿側 楼門扁額
楼門社殿側(左)、東郷平八郎元帥の揮毫による扁額(右)

奥宮

 祭神は武甕槌大神荒御魂。三間社流造。間口3間、向拝1間、檜皮葺。1605(慶長5)年、徳川家康公により関ヶ原の戦いの戦勝記念として 奉納された本宮社殿。 1619(元和5)年、2代将軍徳川秀忠公により現在の本宮社殿が奉納されたことから、現在地に移され奥宮社殿となった。 1901(明治34)年3月27日、国指定重要文化財。
 2021(令和3)年から2022(令和4)年にかけ令和の大改修として修繕工事が行われた=令和の大改修については下記参照。 2021(令和3)年2月11日、御神体を仮殿に移す「下遷宮(げせんぐう)」の神事で工事が始まり、 屋根の葺き替えや鳥居の建て替えなどが行われた。 2022(令和4)年3月31日、工事が完了し御神体を戻す「上遷宮(じょうせんぐう)」の神事が行われた。
奥宮
奥宮
奥宮屋根 奥宮改修前
葺き替えられた奥宮屋根(左)、改修前の奥宮(右)

仮殿

 拝殿の向かい側にある社。桁行3間、梁間2間、向拝1間。屋根は入母屋造で檜皮葺。 その名の通り神霊を仮に祀って置く社殿で権殿とも呼ばれる。造営は1619(元和5)年、現在の本殿建立時に建てられた。 本殿と同じく幕府大棟梁鈴木長次による。もとは拝殿の左前方に西面してあった。 これは、楼門を入り正面に位置し、仮殿を参拝してから拝殿へと進むルート上にあった。 しかし、狭い感じを受けるため、その後幾度となく移され、現在地には1951(昭和26)年移された。 1976(昭和51)年5月20日、国指定重要文化財。
仮殿
仮殿

高房社

 拝殿と仮殿の間にある社。祭神は建葉槌命で、武甕槌大神に服従していなかった天香香背男を抑えるのに大きな貢献をしたと伝えられる。 古くから高房社を参拝してから本宮を参拝する習わしがある。
高房社
高房社

要石

 要石は、地中深くまで埋まり掘り出すことができないと伝わる。要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えているとの言い伝えがある。 古くから山の宮、御座石などと尊ばれてきたという。 水戸徳川家の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、 結局確認できないばかりか怪我人が続出、断念したと「黄門仁徳録」に記載がある。
要石社 要石
要石の社(左)、要石(右)

御手洗池

 みたらしいけ。奥参道の先にある。かつてはここで禊を行ってから参拝したという。 1日に40万リットル以上の湧水があり霊泉とされる。水底が全面見渡せるほど澄みわたっている。 現在は、1月に大寒禊として200人もの人々が池に入る。 古くは御手洗池の手前まで大船津から入り江が続いており、当時は船でここまできて、まずこの御手洗池で禊をしたと伝えられる。
御手洗池
御手洗池

参道

 大鳥居から楼門まで。奉納された多くの灯籠などがある。 また、大鳥居に至る門前町の道路は、2000(平成12)年に電線の地中化や車道と歩道を花崗岩の石畳にした。、
参道 参道鳥居前
大鳥居前から楼門方面を見た参道(左)、門前町の参道へ続く道路。美しい石畳の道路(右)
定書
 参道入り口にある。ペットを持ち込むことや喫煙など、境内での禁止事項が書かれている。
定書
定書
由緒書
 参道入り口にある。祭神や創建などについて書かれている。
由緒書
由緒書
案内板
 参道入り口にある案内板。境内案内図や森林浴の道の案内板がある。
境内案内図 森林浴道案内板
境内案内図(左)、森林浴の道案内板(右)
デジタルサイネージ付き案内板
 参道途中の右側にある。高さ約2.3m、幅約3.4m。タッチ式のモニターを左右に配置し、各種案内を表示している。
デジタルサイネージ案内板
デジタルサイネージ付き案内板

奥参道

 楼門から進み拝殿から奥宮に向かってある約300mの参道。流鏑馬ではここに馬場が設けられる。 また、奥宮はこの奥参道を通って移設されたとされ、奥宮の幅と奥参道の幅がほぼ一致することも、移設の証拠とされる。
奥参道 奥参道御手洗口
奥参道(左)、奥参道の御手洗池側参道入り口(右)
奥参道入口 奥参道樹木
拝殿近くにある奥参道入口(左)、奥参道の樹木の根(右)

祈祷殿

 従来の社務所奥にある。式年大祭御船祭の記念事業として建設され、2014(平成26)年10月18日供用開始。
祈祷殿
祈祷殿

祖霊社

 所管社。氏子崇敬者の祖先を祀る。祈祷殿奥にある。なお社殿は、1947(昭和22)年、成蹊学園内鹿島神社の社殿を移築したもの。
祖霊社社殿
祖霊社拝殿
祖霊社本殿 祖霊社手水
祖霊社本殿(左)、祖霊社手水舎(右)

御神木

 本殿奥にある。樹齢1300年とされる杉で樹高は約40m、根回り約12m。
御神木
御神木

鳥居

 鹿島神宮の鳥居は、鹿島鳥居と呼ばれるもの。原型は木製で、表皮をむいただけの丸太を使い、笠木は外側から見て太い方を左側にする。 貫は角材に加工され、柱の外に突き出る構造。笠木の両端は斜め下に切り落とされている。 大鳥居はじめ、御手洗口鳥居、御手洗池などの鳥居などがこの形式。その一方で別の形の鳥居もある。拝殿前にある鳥居は明神鳥居。 同じく奥宮にある鳥居は、明神鳥居の中でも笠木にそりが無い八幡鳥居と見られる。
大鳥居
 神宮の入口にある木製の大鳥居。かつては1968(昭和43)年、笠間市の稲田石(花崗岩)で建てられた石鳥居があった。 花崗岩製では日本一の大きさを誇った大鳥居だったが2011(平成23)年の東日本大震災で倒壊。 現在の大鳥居は、境内に自生していた杉の巨木を切り出し、花崗岩製時代と同じ大きさで再建された。2014(平成26)年6月1日完成。 杉は、柱が樹齢約500年、笠木が樹齢約600年、貫が樹齢約250年の4本が使われた。 完成した大鳥居は高さ約10.2m、笠木幅約14.6mの大きさ。記録の残る1664(寛文4)年以降で11代目、明治期以降では4代目となる。
大鳥居 旧大鳥居
大鳥居(左)、旧大鳥居=東日本大震災で倒壊(右)
御手洗口鳥居 みたらしぐちとりい
 鳥居は高さ約8m、最上部の笠木幅が約11.3m、柱間約6.3m。 正面の大鳥居と比べると一回り小さい(約80%の大きさ)。 耐候性圧延鋼板による鋼鉄製鳥居。重さは約6.3tあるという。
 御手洗口にかつてあった花崗岩製の鳥居は2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で倒壊していた。 東京のIT企業の奉納により再建が決まり、2020(令和2)年5月27日地鎮祭を実施、同年8月10日竣工した。
御手洗口鳥居
御手洗口鳥居
拝殿鳥居
 拝殿前にある鳥居。石製で近年奉納されたもの。最上部が笠木と島木の二重構造で、笠木の両端に反りがある明神鳥居。額束がある。
拝殿鳥居
拝殿前の鳥居
奥宮鳥居
 奥宮前にある鳥居。木製で明神鳥居のうち笠木に「そり」が無いことから八幡鳥居と見られる。額束は無し。
奥宮鳥居
奥宮の鳥居
御手洗池鳥居
 御手洗池の中にある鳥居。石製の鹿島鳥居。
御手洗池鳥居
御手洗池のなかにある石製鳥居

手水舎

 楼門左手前にある。
手水舎 手水舎水
手水舎(左)、手水(右)

授与所

 御札や御守りの授与所。拝殿の向かい側にある。2019(令和元)年12月3日竣工。2020(令和2)年1月1日から開所。 鉄骨造り平屋建て、床面積は約395平方m。従来の授与所は参拝者が外で御守りなどを購入していたが、完成した授与所は参拝者も屋内となるため、 授与時の利便性が向上した。
授与所
御守りなどの授与所

斎館

 授与所に隣接してある。大正時代に建立された。神職の装束への着替えなど神事の準備をする。 授与所の新築に合わせて大規模改修が行われた。建立当時の材料を生かすなどし改修が行われている。 延床面積は約159平方m。授与所と同じく竣工した。
斎館
斎館

樹叢

 鹿島神宮の森は、鹿島神宮の樹叢として茨城県の天然記念物に指定されている。茨城県内随一の常緑照葉樹林とされる。 約800種類の植物が生育している。 椎や樅などの巨樹のほか、生育南限の植物と北限の植物が混ざりあっているのも大きな特徴の一つ。
樹叢
奥参道入り口近くの森
要石樹叢
要石近くの鹿島神宮の森

霊杉木

 かつて幹回り2丈5尺(約7m50cm)あったとされる杉の巨木。雷による火にかかり弱っていたこともあって、1654(承応3)年の大風で倒れた。 しかし400年を経た現在でも木株は生存しているとされる。
霊杉木
霊杉木

境内社

 境内には上記以外にも多くの境内社がある。
御厨社 みくりややしろ
 末社。祭神は御食津神(みけつかみ)。鹿島神宮の神饌を預かる。祈祷殿奥にある。
御厨社
御厨社
 熱田社 あつたのやしろ
 末社。祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)。明治以前は七夕社、あるいは田畑社といわれた。 裏参道の途中、南側にある。
熱田社
熱田社
稲荷社
 祭神は保食神(うけもちのかみ)。参道脇の広場(自動車修祓所)にある。 「銚場の稲荷様」として広く信仰を集める。銚場とは直会(なおらい)場のことで、江戸時代以前はこの広場で直会が行われていたという。
稲荷社
稲荷社社殿
稲荷社全景 稲荷奉納鳥居
稲荷社(左)、稲荷社に奉納された多くの朱鳥居(右)
沼尾神社・坂戸神社遥拝所
 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。出世、武運長久に御利益。
遥拝所 遥拝所入口
沼尾神社と坂戸神社の遥拝所(左)、手水舎脇の遥拝所入口(右)
熊野社
 祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。国家安泰、子孫繁栄に御利益。
祝詞社
 祭神は大山昨命(おおやまくいのみこと)。病気平癒に御利益。
熊野社 祝詞社
熊野社(左)、祝詞社(右)
津東西社
 祭神は高神・闇神。印鑑、契約の神。財運招福、商売繁盛に御利益。随身門くぐって左手にある。
須賀社
 祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)。手水舎手前の遥拝所入口を入って右手にある。
津東西社 須賀社
津東西社(左)、須賀社(右)
大国社
 御手洗池前にある。祭神は大国主命。明治以降に鎮座した比較的新しい社。夏越祓の日、西瓜を供えて参拝する。
大国社
大国社

燈籠

 参道には多くの灯籠が奉納されている
石灯籠
 1619(元和5)年、社殿造営に関係したとされる安藤対馬守が奉納。拝殿近くの奥参道にある。 茨城県指定文化財。
石灯籠
石灯籠

記念碑・オブジェ等

 芭蕉句碑などの記念碑や鯰を押さえつける武甕槌大神などがある。
さざれ石
 さざれ石は石灰質角礫岩の一種。岐阜県揖斐郡春日村の山中から産出されたもの。
さざれ石
さざれ石
芭蕉句碑
 松尾芭蕉の句碑は境内に3つある。要石近くにある句碑には「枯枝に鴉のとまりけり穐の暮」と刻まれている。
芭蕉句碑
芭蕉句碑
要石オブジェ
 武甕槌大神が鯰にのり、押さえつけているところを彫刻した石のオブジェ。奥宮から要石に向かう途中にある。
要石オブジェ
要石オブジェ

鹿苑

 鹿は、鹿島神宮の祭神、武甕槌大神の使いとされ、古くから大事にされてきた。 国譲りの神話で天照大御神の命を武甕槌大神に伝えたのが鹿の神霊とされる天迦久神(あめのかくのかみ)であるとされる。 768(神護景雲2)年、藤原氏が氏神の春日大社を創建するにあたり鹿島の大神の御分霊を神鹿の背に乗せ奈良へ進んだとされる。 その足跡は東海道各所に言い伝えとして残っている。 鹿島の神鹿は長く大切にされていたが一時途絶えていたこともあり、1957(昭和32)年、奈良と神田神社から 神鹿を迎え現在の鹿苑を開いた。裏参道沿いにある。
鹿苑 鹿
鹿苑(左)、鹿(右)

神庫

 本殿向かって右側奥にある。
神庫
神庫

宝庫

 拝殿向かって左側にある。
宝庫
宝庫

椎の木

 樹齢800年と推定される椎の古木。第一駐車場入り口にある。
椎の木
椎の木

御手洗公園

 鹿島神宮園地御手洗公園。御手洗口近くにある。池や遊歩道が整備された庭園風の公園。江戸時代までは御手洗凉泉寺があった場所という。
御手洗公園
御手洗公園

まちぶたい

 大鳥居脇にある。2020(令和2)年6月29日奉納。舞台の広さは約64平方m。
まちぶたい
まちぶたい

自動車修祓所

 参道脇にある広場。自動車の修祓のほか、神幸祭の提灯まちではここで提灯が燃やされる。
自動車修祓所
自動車修祓所

ロケ地

 NHKのBSで放送された「塚原卜伝」では境内各所がロケ地となった。それを示す案内板が境内にある。
ロケ地案内板奥参道 ロケ地案内板御手洗池
ロケ地案内板と奥参道(左)、同じくロケ地案内板と御手洗池(右)

旧社務所等

 現在は取り壊されている旧社務所と旧宝物殿。
旧社務所
旧社務所
旧宝物殿
旧宝物殿

茶屋・売店

 鳥居近くの駐車場脇に売店。御手洗脇や奥宮前に茶屋がある。
湧水茶屋一休 鹿苑売店
御手洗池脇にある「湧水茶屋一休」(左)、鹿苑にある売店(右)
あらみたま 茶屋一休
奥宮前の茶屋一休跡にある、まち珈琲「あらみたま」(左)、かつて奥宮前にあった「茶屋一休」(右)
売店
駐車場前の売店

夏越大祓

 夏越大祓は、1月から6月までの罪穢れを祓う神事で6月30日に行われる。 境内に設けられた「茅(ち)の輪」をくぐるほか、神宮社頭にある「人形(ひとがた)」で体を撫で、息を吹きかけて罪穢れを移す。 人形は神事後御焚き上げされ御手洗川に流される。 茅の輪は毎年6月1日に設置され、直径は約3.5m。束ねた茅で作られている。6月30日には茅の輪をくぐる神事 「夏越大祓式」が行われる。茅の輪は神事後撤去される。
 コロナ禍のなか、2020(令和2)年からは疫病退散で訪れる参拝者のため旧暦の6月30日まで茅の輪が設置されている。
夏越大祓
夏越大祓で拝殿前に設けられた茅の輪

大助人形

 おおすけにんぎょう。大助人形は、「お鹿島さま」ともいい、鹿島の大神が東北平定に際し、これを助けた兵士の姿とされる。 人形は集落の境界に立てられ病気や厄災が侵入することを防ぐと伝わる。 人形は、藁で体を作り、腰に竹刀を差し、紙に書かれた顔をつける。 コロナ禍の2020(令和2)年、早期終息を願い約50年ぶりに10体が境内に設置された。 茨城県内では県北地区に今でも大助人形の風習が残っている。
大助人形
大助人形

鹿島神宮創祀二六八〇年奉祝記念祭

 2020(令和2)年12月4日、鹿島神宮の祭神である武甕槌大神の神威発揚と氏子地域 の発展を目的に「創祀二六八〇年奉祝記念祭」が斎行された。また今回は、新型コロナウイルス感染症の終息も合わせて祈念した。
 祭典は、仮殿前、高房社前での神事を経て、本宮前で実施された。 神職による神事のほか、巫女による「悠久の舞」の奉納、小笠原流教場の病魔退散を祈念した「蟇目神事」の奉納、 特別崇敬者で歌手の相川七瀬さんによる歌唱奉納などが行われた。 なお祭典は本宮前で午前に行われたほか、夕刻からは奥宮前でも行われた。
参進
祭典会場に参進する神職ら
仮殿前 高房社前
仮殿前での神事(左)、高房社前での神事(右)
神事宮司 神事
本宮前での神事(左)、同じく本宮前での神事(右)
悠久の舞 蟇目神事
巫女による悠久の舞(左)、小笠原流教場による蟇目神事(右)

令和の大改修

 令和の大改修は、2026(令和8)年に斎行される12年一度の「鹿島神宮式年大祭 御船祭」を前に 国指定文化財である幣殿、拝殿、奥宮、楼門の修繕工事を実施する。
 奥宮の改修は2021(令和3)年2月11日、御神体を仮殿に移す「下遷宮(げせんぐう)」の神事が行われ、 奥宮に祀られている武甕槌大神荒魂(たけみかづちのおおかみあらみたま)が仮殿に移しスタートした。 下遷宮は2001(平成13)年以来20年ぶり。檜皮葺(ひわだぶき)屋根の葺き替え、鳥居の建て替え、社殿の補修が行われた。 2022(令和4)年3月31日、改修工事が終了し、御神体を仮殿から戻す「上遷宮(じょうせんぐう)」の神事が行われた。
 拝殿と幣殿の改修は、2022(令和4)年から2024(令和6)年にかけて行われている。 今回の改修では奥宮同様、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の葺き替えを28年ぶりに実施。 拝殿と幣殿の屋根は約300平方mほどの広さがあり、葺き替えには幅15cm、長さ75cmの檜皮、18万枚が必要。
 2024(令和6)年から2026(令和8)年にかけては楼門の改修が行われる。
奥宮改修
修繕工事のため足場で囲まれた奥宮
拝殿改修 拝殿改修
修繕工事のため足場に囲まれた拝殿(左)、同じく向かって右側から見た工事中の拝殿(右)
鹿島神宮奥宮檜皮葺屋根修繕特別拝観
 かしまじんぐうおくみやひわだぶきやねしゅうぜんとくべつはいかん。 令和の大改修を行っている奥宮の檜皮屋根の葺き替え工事が2021(令和3)年10月8日から11月30日まで、 特別公開(特別拝観)を実施。建立から約400年間、社殿の一般公開は行われておらず初めての公開となった。
 現在の社殿は、1605(慶長10)年、江戸幕府初代将軍徳川家康公が関ヶ原の戦いの戦勝御礼として本殿として奉納されたもの。 安土桃山時代様式を伝える最後の社殿建築という。 その後、1619(元和5)年、江戸幕府2代将軍徳川秀忠公により現在の本殿が奉納された際、奥宮社殿として移設された。 祭神は武甕槌大神荒魂=上記参照=。
 特別拝観は、午前9時30分から午後4時まで。拝観料金は500円。 現在工事のため取り付けられている足場を使って見学。檜皮を葺き替えている現場が目の前で見られる。神職が案内、解説する。時間は約30分。
奥宮修繕正面 奥宮修繕向拝
檜皮葺修繕が行われている屋根、正面(左)、同じく向拝から(右)
奥宮修繕材料 奥宮修繕模様
出番を待つ檜皮(左)、きれいな模様の檜皮葺、これだけ近くで見られるのは貴重(右)
奥宮修繕後 奥宮修繕足場
社殿後側の檜皮葺修繕(左)、修繕工事の足場(右)

御朱印

 鹿島神宮の御朱印は本宮「鹿島神宮」と「奥宮」の2つ。 授与は祈祷殿。受付時間は午前8時30分から午後4時30分(元旦のみ午前零時から)。初穂料は各500円。
御朱印鹿島神宮 御朱印奥宮
鹿島神宮御朱印(左)、奥宮御朱印(右)

御朱印帳

 オリジナル御朱印帳は楼門タイプと鷲タイプの2種類。もともと楼門タイプのみだったが、2016(平成28)年から鷲タイプが加わった。 いずれも蛇腹式で、使用面の大きさは縦15.5cm、横11cm。表、裏とも23ページ。ビニールカバー付。 このほか、歌手の相川七瀬さんとのコラボ御朱印帳(限定)や正月限定御朱印帳などがある。
鹿島神宮御朱印帳表紙 鹿島神宮御朱印帳裏 鹿島神宮御朱印帳鷲表紙 鹿島神宮御朱印帳鷲裏
鹿島神宮御朱印帳表紙(左)、同じく裏表紙(中左)、鷲タイプ御朱印帳表紙(中右)、同じく裏表紙(右)、

アクセス

 鹿嶋市宮中2306−1。 鹿島神宮の地図
 【車】 東関東自動車道、潮来インターチェンジから約15分。
 【駐車場】 大鳥居脇に鹿島神宮第一駐車場。参道沿いに鹿島神宮第二駐車場。 鹿島神宮第一駐車場の地図 鹿島神宮第二駐車場の地図
神宮第一駐車場
鹿島神宮第一駐車場
 【公共交通機関】 JR鹿島線鹿島神宮駅下車徒歩約10分。 東京駅八重洲南口から高速バス「鹿島神宮駅」行約2時間、「鹿島神宮」バス停下車、徒歩約5分。
 鹿島神宮駅の地図
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