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小美玉市

 小美玉市は、2006(平成18)年3月27日、東茨城郡小川町、同美野里町、新治郡玉里村が合併して誕生した。 市名は旧町村の頭文字である小川町の「小」、美野里町の「美」、玉里村の「玉」をつなげたもの。 人口52,279人(2010年国勢調査)、面積は145.03平方km。
 旧小川町は、1889(明治22)年、町村制施行に伴い、東茨城郡小川町、下野合村=1891(明治24)年10月3日、白河村に改称、橘村が成立。 1954(昭和29)年12月10日、この3町村が合併して小川町となった。 小川町は、鎌倉時代、下川辺氏が小川に築城したことが始まりと伝えられている。江戸時代は水戸藩の御用河岸として栄えたという。 航空自衛隊百里基地がある。納豆で全国一のシェアを誇るタカノフーズの本社がある。 合併前の人口は19,332人(2005年国勢調査)、面積は62.98平方km。
 旧美野里町は、1989(明治22)年、町村制施行に伴い、東茨城郡竹原村、堅倉村が成立。1956(昭和31)年8月1日、両村が合併して美野里村となり、 1959(昭和34)年4月1日、町制施行し美野里町となった。 合併前の人口は25,051人(2005年国勢調査)、面積は61.90平方km。
 旧玉里村は、1989(明治22)年、町村制施行に伴い、新治郡田余村、玉川村が成立。1955(昭和30)年3月31日、両村が合併して玉里村となった。 玉里は、もともとヤマトタケルノミコトがこの地を訪れた際、井戸を掘らせたところ、とても清らかな水が湧き出し「よくたまれる水かな」とたたえたことから「田餘(たまり)」と呼ばれるようになったという。 合併前の人口は8,882人(2005年国勢調査)、面積は15.33平方km。
霞ヶ浦、霞ヶ浦湖岸道路水郷筑波国定公園へ。
タカノフーズ
 納豆業界最大手。主力ブランドは「おかめ納豆」。本社、水戸工場、研究所、納豆博物館などがある。 同社は、1932(昭和7)年、納豆製造を中心とした「高野商店」として創業。 1957(昭和32)年、有限会社「おかめ納豆本舗」として法人化。1979(昭和54)年、株式会社化。 1985(昭和60)年、社名をタカノフーズ株式会社に変更した。現在国内に東北から九州まで8カ所の工場がある。 納豆では「極小粒」「旨味」「国産」「ふわりん」などの商品を展開。 また、2006年(平成18)に発売された発酵コラーゲン納豆は、女性が開発したもので、「おいしさと肌の変化がきちんと実感できる」がコンセプト。 テレビなどでも取り上げられ話題になった。 このほか、同じ大豆製品の豆腐も多くの商品を展開しており、国産大豆100%の「国産豆腐」はじめ、「できたて風味豆腐」「本にがり」「ツインパック豆腐」「絹美人」などがある。
 敷地内にタカノフーズ納豆博物館がある(1996年開設)。納豆誕生の秘密や家庭で作る納豆、世界の大豆発酵食品などが紹介されている。 開館時間は午前9時から午後4時(正午から午後1時は閉鎖)。休館日は年末年始。入館無料。また、工場見学も可能(要予約)。
 小美玉市野田1542。タカノフーズの地図
カゴメ茨城工場
 カゴメ(本社・愛知県名古屋市)は、トマトジュースをはじめとする飲料、食品の総合メーカー。 茨城工場は1962(昭和37)年操業開始、業務用野菜飲料、トマトソース、家庭用チルド飲料などの製造を行っている。 2013(平成25)年1月、家庭用チルド飲料製造の新棟が完成。同棟は、一般消費者向けの商品を取り扱うことから工場見学通路を設けた。
 工場見学は完全予約制。希望日の1週間前までに工場へ電話(0299−46−0221)で申し込む。 見学可能時間は原則午前9時〜正午まで。チルド飲料(植物性乳酸菌ラブレ、野菜生活100ホームパック)の製造工程。見学時間は約90分。
 小美玉市羽鳥2652。カゴメ茨城工場の地図
航空自衛隊百里基地
 航空自衛隊の基地で、基地指令は、第7航空団指令が兼務する。 関東で唯一戦闘機が配備されており、首都圏防空の要とされ、「首都防空基地」とも呼ばれる。また、航空自衛隊で唯一の偵察航空隊が所在している。 領空侵犯機などに対する緊急発進、いわゆるスクランブル発進が行われている。なお、区切りとなる航空自衛隊のスクランブル発進20000回目(2006年)は百里基地からのものだった。 配備されている主力戦闘機はF−15J/DJ(第305飛行隊)。 また、F−4EJ改(第302飛行隊)が今でも実践配備されている。同戦闘機が現在も現役なのは、航空自衛隊でも新田原基地と百里基地のみ。
 百里基地の前身は、1938(昭和13)年に開設された旧日本海軍の百里ケ原航空隊。戦後、開拓農民が入植していたが、1955(昭和30)年、地元から基地誘致運動が起こり、翌年1956(昭和31)年に基地設置が決定した。 1965(昭和40)年に飛行場が完成し、翌1966(昭和41)年7月に百里基地として正式発足した。 1967(昭和42)年に第7航空団司令部、1975(昭和50)年に偵察航空隊が埼玉の入間基地から移駐した。
 毎年秋には「百里基地航空祭」が開催(航空観閲式のある年を除く)され、多くの人でにぎわう。周辺の道路は早朝から混雑、また石岡市の常磐自動車インターチェンジ周辺から会場にかけて渋滞が発生する。
 小美玉市百里170。航空自衛隊百里基地の地図
百里基地
百里基地
RF-4E F-4E
訓練飛行中のRF−4E(左)、同じくF−4EJ改(右)
茨城空港
 百里基地の民間共用化に伴い2010(平成22)年3月11日に誕生した空港。国内98番目の空港。正式名称は百里飛行場。 茨城空港は愛称で、水戸空港、百里空港などの候補の中から選ばれた。成田、羽田に次ぐ首都圏第3空港という。 民間共用化にあたり既存の滑走路に並行して1本増設し、滑走路は2700mが2本。旅客ターミナルビルが新滑走路の南西に建設された。 ターミナルビルは2階建て。1階が国内線と国際線の出発ロビー及び到着ロビー。2階には売店やレストラン、展望デッキがある。無料駐車場が1300台ある。 2000(平成12)年度から整備が進められ事業費は約220億円。
 スカイマーク、春秋航空が定期運航している。 このほか、休日などに東アジア方面やグアムなどにチャーター便が飛ぶ。
 小美玉市与沢1601−55。茨城空港の地図
茨城空港
茨城空港のターミナルビル
スカイマーク スカイマーク
茨城空港への着陸態勢に入るスカイマーク機(左)、同じく駐機中のスカイマーク機(右)
空港公園
 茨城空港のターミナルビル南側にある。一部オープン済み。整備中(予定)も含めると総面積は19.3ha。 シンボル広場、展望広場、多目的広場、航空広場、芝生広場などが整備される予定。 ターミナルビル南側には、百里基地に配備されていたF4戦闘機2機が展示されている。F−4EJ改要撃戦闘機とRF−4EJ戦術偵察戦闘機。
 小美玉市与沢。空港公園の地図
空港公園
F4戦闘機が飾られている空港公園
空のえきそらら
 地元農畜産物の販売、地元農産物を使ったレストランなどがある。 茨城空港近くに小美玉市地域再生拠点施設として2014(平成26)年7月31日オープン。
 丸い2つの中庭、イベントひろば、太陽のひろばを取り囲むように、直売所&物産館、ウエルカムセンター、ビュッフェスタイルのレストラン、 チャレンジショップ、乳製品加工施設&ヨーグルトハウス、そして食の体験教室などを開く2つのそららホールなどがある特徴あるデザインの施設。
 営業時間は午前9時〜午後8時。年中無休(年末年始を除く)。
 小美玉市山野1628−44。そららの地図
そらら
そらら
池花池
 白鳥の飛来地として知られる。毎年10月下旬から3月中旬にかけて約30羽のコハクチョウが飛来する。また、夏にはヒツジ草が水面を覆う。 午前6時ごろから咲き始め正午ごろには満開となる。 
 小美玉市部室1161。池花池の地図
池花池 池花池
夏の池花池(左)、池花池に飛来した白鳥(右)
大曲の桜並木
 国道6号沿いにある約1kmの桜並木。
 小美玉市堅倉。大曲の桜並木の地図
大曲桜
大曲の桜並木
小美玉温泉ことぶき
 市営の日帰り温泉福祉施設。もともとあった「老人いこいの家小川温泉寿荘」の老朽化にともない建て替えられ、2012(平成24)年3月2日オープンした。 温泉はナトリウム−炭酸水素塩・塩化物冷鉱泉。phは8.4。琥珀色のお湯が特徴。適応症は、神経痛、筋肉痛、関節痛など。大浴場、露天風呂、休憩室、娯楽室、大広間などがある。 同じ敷地内には、グラウンドゴルフ場が整備されている。
 営業時間は、午前9時(風呂の利用は午前10時から)〜午後8時(最終受付は午後7時30分)。水曜日休館。料金は小美玉市民は300円(小学生以下や高齢者は無料)、市外利用者は1000円。 貸しタオル(有料)もあり手ぶらでの利用も可能。
 小美玉市上吉影58−1。小美玉温泉ことぶきの地図
小美玉温泉ことぶき
小美玉温泉ことぶき
希望ヶ丘公園
 野球場、テニスコート、多目的広場、弓道場などがある総合運動公園。コスモスの名所として知られている。
 コスモスは公園周辺約8haの水田に植えられた約500万本。9月中旬から10月下旬ごろまでみることができる。見ごろは10月初旬から中旬。満開後は、花を摘むこともできる。
 小美玉市中台418。希望ヶ丘公園の地図
希望ヶ丘公園コスモス
希望ヶ丘公園のコスモス
希望ヶ丘公園野球場 希望ヶ丘公園バーベキュー
希望ヶ丘公園野球場(左)、バーベキュー広場(右)
小美玉市民家園
 旧小松家住宅。小美玉市上玉里の小松家から寄贈を受け、1995(平成7)年から翌1996(平成8)年にかけて解体、復元、修理、保存を行った。 旧小松家住宅の建築年代は、江戸時代中期の1700年代末と推定されている。「曲り屋」と呼ばれる形式で、当時の上層農家の諸様式を持っている。 また、馬屋があり「二つの曲がり」を持つ珍しい形式になっている。建築面積は41.58坪。ざしき、ちょうば、ぬれえん、ひろま、なんど、にわ(土間)などがある。 屋根は茅葺き、ぐしは竹簾という形式。小美玉市指定文化財。
 小美玉市高崎291−3。小美玉市民家園の地図
民家園
小美玉市民家園
乗越神社
 祭神は、高皇産霊大神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊大神(かみむすびのかみ)。家内安全、商売繁盛、子孫繁栄、厄除け、方位除けのほか、最近では縁結びの神として人気がある。 1974(昭和49)年、羽束師坐高御産日神社(はづかしにいますたかみむすひじんじゃ・京都市伏見区)より御分霊を観請した。 羽束師坐高御産日神社は、477年の創建とされ、式内大社として、延喜式にも記載がある古社。「むすび」の御神徳が顕著という。
 小美玉市羽鳥2271。乗越神社の地図
乗越神社
乗越神社社殿
素鵞神社そがじんじゃ
 祭神は素戔鳴命(スサノオノミコト)。地元では天王さまとして親しまれている。 創建は、1529(亨禄2)年、橋本源左衛門、孫左衛門兄弟が園部川より神像を拾い上げそれを祀ったことによるという。 翌年、領主園部宮内少輔の命で分祀され、陰神(クシイナダヒメノミコト)が園部城内に、陽神(スサノオノミコト)が城外にそれぞれ祀られた。 素鵞神社は陽神を祀ったもので、1869(明治2)年、現在地に遷座した。もと天王宮(天王さま)と尊称していたが、天保年間に現社号に改められた。 1870(明治3)年、小川鎮守、1873(明治6)年村社に列格した。1987(昭和62)年より神社庁特別神社。 本殿は1899(明治32)年、拝殿は1932(昭和7)年に建立された。 園部城内の陰神は稲田神社として境内に遷座している。旧小川町内の祇園は、同神社の祭礼。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。
 小美玉市小川1658−1。素鵞神社の地図
素鵞神社 素鵞神社御朱印
素鵞神社社殿(左)、御朱印(右)
手接神社てつぎじんじゃ
 室町時代ごろの創建と伝えられる。神社にある手形に手を合わせると手の病気に霊験があると伝えられる。手の形の絵馬などが奉納されている。 河童伝説が残る。昔、殿様が馬で梶無川のほとりにくると、水の中から馬の尻尾を引っ張る河童が現れた。 殿様は、刀でその手を切り、持ち帰った。その夜、河童が現れ、手を返してくれ、お礼に先祖から伝わる妙薬を教えるということで返してもらったという。 その後、河童の死骸が沢で見つかり、哀れに思った殿様が手厚くそれを葬ったという。 1481(文明13)年、その場所に手接神社を創建したと伝えられ、1507(永正4)年、現在地に移った。 河童の伝説には、いくつかのバリエーションがあるが、おおむね上記のようなストーリーとなっている。
 小見玉市与沢1112。手接神社の地図
手接神社社殿 手接神社河童碑
手接神社社殿(左)、手接神社境内の碑(右)
耳守神社みみつちよじんじゃ
 常陸大掾・平貞盛の弟、繁盛の五男に香丸殿と呼ばれる五郎左衛門兼忠があった。兼忠は、田余郷飯塚の里に領地をもらい、以降飯塚氏を名乗った。 兼忠には千代姫という愛娘がいた。しかし、千代姫は耳が不自由で、幼いながら世をはかなむ様子はまことに痛々しかった。 このため兼忠夫婦は、断食して熊野神社に「娘の手足にかえても耳をきかせ給え」と祈願した。満願の時を迎えると不思議にも千代姫の耳が忽然と聞こえるようになったという。 それも遠寺の鐘の音はおろか、地中の虫の動く音まで聞こえるようになった。ところが、喜びもつかの間、そのかわり足がなえて立つことが出来なくなったしまった。 それから長い年月を経て、千代姫はふとした風邪で床に伏し、病は次第に重くなった。 明日をも知れぬ身となった姫は父母を枕元に呼び「われなき後になるならば一社を祀り給え、耳の病を守護せん」と話し、33歳の9月9日にこの世を去ったという。 遺言の通り、千代姫愛用の鏡を御神体として、社壇を設け、耳守を号として祭礼を営んだという。 今でも耳の神様として信者が多く、耳が通るよう竹の小筒にひもを通して供えたりする人が多いという。
 小美玉市栗又四ケ2051。耳守神社の地図
耳守神社
耳守神社社殿
鹿島神社(上馬場)
 鎌倉時代の創建とされる。祭神は武甕槌大神。本殿は1間社流造りで小美玉市指定文化財。流麗な彫刻が特徴。創建時期の建立と考えられているが、以後度々修復されている。 特に江戸時代には大規模な修復の記録がある。江戸時代は近隣9ケ村の郷社、明治以降は竹原中郷と上馬場の鎮守社。昭和30年代までは流鏑馬の神事も行われていたと伝えられる。
 小美玉市上馬場321。鹿島神社・上馬場の地図
鹿島神社上馬場社殿 鹿島神社上馬場社殿
鹿島神社(上馬場)拝殿(左)、本殿(右)
鹿島神社(下馬場)
 祭神は武甕槌大神。元郷社。 鹿島の大神が霞ヶ浦から園部川を遡ってきたという。村人らがそれを祀ったのが神社のはじまりとされている。 現在地に遷座したのは807(大同2)年とされる。1457(長録元)年、領主が神田を寄進、以降歴代の領主がこれにならった。 1612(慶長17)年、社殿が再建された記録がある。江戸時代は小河(小川)12郷の大鎮守とされた。 社殿は1883(明治16)年に改築され、1927(昭和2)年には屋根を銅板に葺きかえられている。 長い参道がある。境内にある大ケヤキは、目通り周囲11.6m、樹高約15m、樹齢推定500年。 同じく大杉は、目通り周囲5.4m、樹高約40m、推定樹齢800年。いずれも小美玉市の天然記念物に指定されている。
 小美玉市下馬場530。鹿島神社・下馬場の地図
鹿島神社下馬場社殿
鹿島神社(下馬場)社殿
蠶影神社こかげじんじゃ
 祭神は、稚産霊神(わかむすびのかみ)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、木花開耶姫命(このはなきくやひめ)。 明治時代、この地を開拓した人たちが、土地が荒地で思うように作物が育たなかったことから、最終的には養蚕に生活をかけることにした。 そのため養蚕の神様である、つくば市神郡の蚕影神社の御分霊を祀り、五穀豊穣と子孫繁栄を願った。 1996(平成8)年、社殿を再建した。
 小美玉市野田。蠶影神社の地図
蠶影神社
蠶影神社
大宮神社
 創建年代は明らかではないが、和銅年間(708〜715年)と伝えられている。祭神は武甕槌命。 もと、鹿島明神と称したが、江戸時代の1696(元禄9)年、徳川光圀が巡視の際、大宮大明神と改めさせた。 明治時代に入り、大明神を神社とした。社殿は、1684(貞享元)年の造営。 1257(正嘉元)年の銘がある鎌倉時代の鰐口がある。 銅製で重さは約4.5kg、直径約27cm。茨城県の文化財に指定されている。 境内は、スダジイやタブノキなどの常緑広葉樹がそびえる。また、スギやモミの常緑針葉樹が混生している。 これらの神社の森は、大宮神社樹叢として茨城県の天然記念物に指定されている。
 小美玉市上玉里1119。大宮神社の地図
大宮神社
大宮神社社殿
潮宮神社いたみやじんじゃ
 祭神は高倉下命。旧村社。992(正暦3)年、鹿島神宮の潮宮を遷祀したという。多くの樹木に囲まれたおよそ150mもある長い参道が特徴。 現在の社殿は2003(平成15)年の再建。
 小美玉市倉数1。潮宮神社の地図
潮宮神社
潮宮神社
潮宮神社本殿 潮宮神社参道
潮宮神社本殿(左)と参道(右)
貴布禰神社
 創建年代不詳。京都鞍馬(京都府京都市)の貴船神社から御分霊を迎えたという。金刀毘羅神社を合祀している。 言い伝えでは、鎌倉時代の弘安年間(1278〜87年)、四国の金刀比羅神社の分霊を奥州へ奉遷する際、御神体が片倉(堅倉)宿に留まり疲れを癒したことから、貴布禰神社境内に祀られるようになったという。 社殿は1996(平成8)年の再建。この時、境内の金刀毘羅神社も合祀された。 拝殿には「貴布禰神社」「金刀毘羅神社」の扁額が並んで掲げられている。11月23日の例祭では、堅倉ばやしが奉納される。 堅倉ばやしは、獅子舞、神馬(きつね)、4丁目(おかめ)、民場(ひょっとこ)からなる。小美玉市指定民俗無形文化財。
 小美玉市堅倉。貴布禰神社の地図
貴布禰神社
貴布禰神社社殿
イトウ製菓
 イトウ製菓(本社・東京都北区)は、1952(昭和27)年創業、クッキー、ビスケットの専業菓子メーカー。 ミスターイトウのブランドで知られ、バタークッキー、チョコチップクッキー、バターサブレなどが著名。 小美玉市内には第1工場と第2工場がある。両工場で同社の全製品を製造している。
 工場見学が可能。30人以上の団体のみ(個人での申し込みは受け付けていない)。見学予定日の2ヶ月前受付。 電話で仮予約の上、申込用紙を送付する。見学時間は約90分。25分の映画を見た後、製造工程、包装工程を見学する。
 小美玉市西郷地1667。イトウ製菓の地図
鳳林院
 萬松山鳳林院。曹洞宗の寺。境内に美野里豊川稲荷がある。 応永年間(1394〜1427年)、近くにあった高原城の城主、高原四郎影政公の開基と伝えられるが、古文書類が失われており定かではない。 天正年間(1573〜92年)には、同じく近くにあった竹原城の城主、竹原四郎義邦公から田畑の寄進を受け、菩提寺として再興する。 さらに江戸時代の1646(慶安元)年には、3代将軍徳川家光公から朱印地10石を賜り、七堂伽藍が整備され、隆盛を誇った。 1883(明治16)年、火災で堂宇を失い、当時の建物は山門が残っているのみ。
 山門は小美玉市指定文化財。1715(正徳5)年10月28日建立。1917(大正6)年10月1日の大風で大破したが、復元された。 大破前の門は、釘を1本も使わない工法で建立されていた。1975(昭和50)年2月、屋根を茅葺葺きから鉄板葺きに改修した。 本堂は1903(明治36)年の再建。
 美野里豊川稲荷は、愛知県豊川市の豊川稲荷(妙厳寺)から御神体の分身を迎え祀ったもの。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 小美玉市竹原中郷612。鳳林院の地図
鳳林院本堂 鳳林院御朱印
鳳林院本堂(左)、御朱印(右)
鳳林院山門 美野里豊川稲荷
鳳林院山門(左)、美野里豊川稲荷(右)
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