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石岡市

 つくば市の北東隣に位置する。筑波山から北へ足尾山、加波山と連なる東側に街がある。イチゴやナシ、クリなど果樹栽培が盛んで、 筑波山から連なる直線の道路はフルーツラインと呼ばれる。2005(平成17)年10月1日、旧石岡市と旧八郷町が合併し誕生した。つくば市との隣接は旧八郷町。 人口79,687人(2010年国勢調査)、面積215.62平方km。
 旧石岡市には常陸の国府が置かれており、茨城で最も古い町を掲げる。奈良時代、聖武天皇の命令で建立された国分寺、国分尼寺が置かれており、その跡は国の特別史跡に指定されている。 国分寺跡と国分尼寺跡の両方が指定されているのは全国で唯一。 江戸時代は、水戸・徳川家から出た松平家の城下町として明治維新まで続いた。酒の醸造が盛んで関東の灘と呼ばれている。 江戸時代までは「常陸府中」(ひたちふちゅう)や「常府」(じょうふ)と呼ばれていた。 明治時代に版籍奉還の際に石岡と改名された。石岡の名称の由来は定かではないが、13世紀にあった石岡城からとの説が有力。 なお、茨城の地名発祥の地でもある。
 1889(明治22)年の町村制施行で、石岡町、高浜町、三村、関川村が成立。1953(昭和28)年11月16日、石岡町と高浜町が合併し石岡町となり、 翌1954(昭和29)年2月11日に市制施行し石岡市となった。同年12月1日に三村、関川村を合併している。 合併前の人口は52,568人(2000年国勢調査)、面積59.60平方km。
 旧八郷町は、1955(昭和30)年1月1日、柿岡町と園部村、瓦会村、林村、恋瀬村、葦穂村、小幡村、小桜村の8町村が合併して誕生した。 8つの町村なので八郷町となったという。四方を山に囲まれ、八郷盆地(柿岡盆地)と呼ばれる。合併前の人口は30,551人(2000年国勢調査)、面積153.78平方km。
加波山神社、文殊院加波山神社へ。
やさと温泉ゆりの郷筑波山の温泉へ。
安倍晴明伝説、朝日トンネル筑波山麓へ。
恋瀬川、恋瀬川サイクリングコース恋瀬川へ。
龍神山、富士山(柿岡富士、八郷富士)筑波の山々へ。
霞ヶ浦、霞ヶ浦湖岸道路水郷筑波国定公園へ。
茨城県フラワーパーク
 四季折々の花が楽しめる。茨城県の花であるバラのテラスはじめ、アジサイ園、ボタン園、シャクヤク園などがある。園内が一望できる展望塔やアスレチック、滑り台などの遊具も充実。
 園内の花を見て、買いたいという人のために展示販売も行われている。月曜休園。入園料必要。
 石岡市下青柳200。茨城県フラワーパークの地図
茨城県フラワーパーク 茨城県フラワーパーク入場口
フラワーパーク入口(左)、入場口(右)
常陸國總社宮
 常陸国内の神社を分祀、統合した神社。鎮護常陸國の総鎮守として祀られている。 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、 大国主命(おおくにぬしのみこと)、大宮比売命(おおみやひめのみこと)、布瑠大神(ふるのおおかみ)の6柱を祀っている。
 古代、国司に着任した最初の仕事は国内の神社を巡回し参拝することだった。平安時代になると国府に総社を置き、巡回を省くようになった。 常陸國總社宮の創建年代は不詳だが、そのような経緯を考えると、平安時代には創建されていたと考えられる。 ただ、祀られている6柱と常陸国内の大きな神社の祭神と一致しない部分がある。
 本殿は神社では珍しく西を向いている。これは、京都の御所を向いていると伝えられている。2016(平成28)年10月9日、改修工事完成。 拝殿は、1985(昭和60)年に再建された。茅葺屋根で趣のある随神門、本殿脇には神楽殿がある。 このほか、境内には日本武尊腰掛石、樹齢500年という大楠のご神木、神井などがある。
 厄除け、縁結び、安産、交通安全などにご利益がある。御朱印及びオリジナル御朱印帳有。授与は守札授与所。 オリジナル御朱印帳の表紙は同神社の例大祭である「石岡のおまつり」の獅子が刺繍されており、人気がある。 1月及び9月限定販売(規定数売切れ次第販売終了)のジャングル大帝御朱印帳がある。 御朱印については御朱印・神社参照。
 なお、總社宮の北側にある石岡小学校が国衙跡。
 石岡市総社2−8−1。常陸國總社宮の地図
常陸國總社宮拝殿 常陸國總社宮随神門
常陸國總社宮社殿(左)、随神門(右)
常陸國總社宮拝殿 常陸國總社宮随神門
常陸國總社宮本殿(左)、神楽殿(右)
常陸國總社宮御朱印 常陸國總社宮御朱印帳表紙 常陸國總社宮御朱印帳裏表紙
常陸國總社宮御朱印(左)、常陸國總社宮オリジナル御朱印帳表紙(中)、同御朱印帳裏表紙(右)
常陸國總社宮御朱印 常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳表紙 常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳裏表紙
常陸國總社宮本殿修復記念御朱印(左)、常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳表紙(中)、同御朱印帳裏表紙(右)
常陸國總社宮大祭ひたちのくにそうじゃぐうたいさい
 関東3大祭の一つ。周辺では「石岡のおまつり」として知られる。例祭(主に總社宮における神事)は毎年9月15日に開催、神幸祭・大祭・還幸祭は敬老の日(9月の第3月曜日)の前の三連休に行われる。 以前は平日、休日にかかわらず9月14日・15日・16日に行われていたが、ハッピーマンデー制度の施行により神幸祭〜還幸祭のみ実施日が変更された。
 起源は、8世紀ごろに武家の武運長久や五穀豊穣を祈願したのがお祭りに発展したと考えられ、現在のような祭りになったのは江戸の中期ごろからとされるが詳しくは分かっていない。 現在のような形態になったのは1902(明治35)年、年番町制度が確立されてからとされる。 年番町は、石岡旧町内の15町(当初16町、戦後1町内辞退)をいい、毎年交代で祭礼の中心的な役割を果たす。 また年番町には、御仮殿が設けられ、御神輿、御神霊が鎮座し、氏子地域を清めるとされる。次の祭礼まで1年間、神社への奉仕に努める。
 祭りは、各町内から3日間にわたって獅子や山車がくりだし、その勇壮さで知られる。時に獅子舞の獅子頭は、通常の獅子舞で使われる倍以上の大きさで、重さは3〜4倍あるという大きさが特徴。 山車は、屋根の無い2層〜3層構造で、最上層には高さおよそ2mほどの山車人形がつけられている。また期間中には、奉納相撲や奉納神楽も執り行われる。
 神輿の露払いを務める富田町のささらは、茨城県指定無形民俗文化財。同じく露払いを務める土橋町の獅子頭は茨城県有形民俗文化財。 同じく露払いを務める仲之内町の獅子頭は石岡市指定有形民俗文化財。中町の山車人形「日本武尊」と金丸町の山車及び山車人形「弁財天」は、石岡市指定有形民俗文化財。 また、お囃子「石岡ばやし」は、茨城県指定無形民俗文化財。
詳細及び各町内の山車、幌獅子については石岡のおまつりへ。
神輿 富田町ささら
神幸祭での神輿(左)、富田町のささら(左)
土橋町獅子 仲之内町獅子
土橋町の獅子(左)、仲之内町の獅子(右)
金丸町山車
金丸町山車
中町山車 若松町山車
中町山車(左)、若松町山車(右)
中町通り夜
多くの人で賑わう中町通り
常陸国分寺
 浄瑠璃山東方院国分寺。真言宗智山派。本尊は薬師如来。 752(天平勝宝4)年の建立。聖武天皇が、741(天平13)年に出された国分寺建立の詔によって建立された。 建立当時は、塔や金堂、講堂などを持つ大伽藍だったが、戦国時代に焼失、元禄時代に再建されたがそれも明治の大火で焼失した。 現在の国分寺は、それ以降に再建されたもので、規模がかなり縮小されている。 風情のある山門は旧千住院から移築したもの。現在の国分寺の入口には、「常陸国分寺址」の石柱が立つ。 春には桜の名所(下記参照)として知られる。
 また境内には、都々一坊扇歌堂がある。これは、江戸時代、寄席芸人として活躍し、都々逸節を完成させた都々一坊を記念して1933(昭和8)年に建立された。 都々一坊は、現在の常陸太田市の生まれだが、当時の政治や社会を批判したため、江戸追放となり、姉の嫁ぎ先であった府中香丸町(現在の石岡市)の旅籠に身を寄せており、そこで没した。
 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市府中5−1。常陸国分寺の地図
国分寺 国分寺御朱印
国分寺の薬師堂(左)、御朱印(右)
国分寺本堂 弘法大師堂
国分寺本堂(左)、弘法大師堂(右)
旧千住印山門 都々一坊扇歌堂
国分寺境内にある旧千住院山門(左)、都々一坊扇歌堂(右)
常陸国分寺跡
 国指定特別史跡。金光明四天王護国之寺。発掘調査で、七重塔や金堂、講堂、中門などが確認されている。境内に建立当時の礎石が残っている。 現在の国分寺の入口付近が中門、薬師堂の辺りが金堂、都々一坊扇歌堂の付近が講堂があった場所で、これらの建物が一直線に並んでいたことが分かる。 また七重塔の礎石は、現在の山門前にあるが、もとはかなり東にあったもの。 寺域は東西約270m南北約240mの規模で、全国の国分寺のなかでも規模の大きな方だったという。
 石岡市府中5−1。常陸国分寺跡の地図
常陸国分寺跡
現在の国分寺境内に残る常陸国分寺の講堂跡
常陸国分寺の桜
 開花時期の4月8日にはお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」が行われている。
常陸国分寺桜
常陸国分寺の桜
常陸国分尼寺跡
 国指定特別史跡。国分尼寺は、同じく聖武天皇の詔によって国ごとに建立された寺院で、正式には法華滅罪之寺。 現在当時の面影を残すものはなく、寺跡は広場になっている。この周辺は尼寺ケ原と呼ばれている。 発掘調査で、南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並ぶ伽藍配置などが確認されている。広場にはこれらの伽藍配置がわかるよう植樹されている。
 石岡市若松3−1。常陸国分尼寺跡の地図
常陸国分尼寺跡
国分尼寺の伽藍部分は史跡として残されいる
常陸風土記の丘
 復元された古代家屋や市内で出土した土器などの考古資料を展示した歴史公園。台座からの高さ14m、幅10m、奥行10m、日本一の大きさの獅子頭が外観の展望台がある。 また桜をはじめ、四季折々の花が彩る。
 縄文時代住居や弥生時代住居などの古代人住居、奈良・平安時代、鎌倉時代の住居を復元した中世の民家、そして江戸時代後期の長屋門、曲屋、近世の曲屋、直屋を復元している古代家屋復元広場、 そして、常磐自動車道建設に伴う発掘調査で発見された工房・住居跡、官衙跡(奈良時代から平安時代)などを復元した鹿の子史跡公園が、有料エリア。 それ以外のふれあい広場、獅子頭展望台、会津民家、時の門モニュメント、水際公園、ちびっこ広場、展望広場などの利用は無料。 展示研修施設では、市内の舟塚山古墳や国分寺跡、国分尼寺跡などで発掘された埋蔵文化財を展示している。 なお、無料駐車場からの入口には売店があり、オリジナルのお土産などが販売されているほか、江戸時代の曲屋を利用した食堂がある。
 開園時間は、午前9時から午後5時まで(11月から2月は午後4時まで)。休園日は、月曜日(祝休日の場合はその翌日)及び12月28日から1月2日まで。
 石岡市染谷1646。常陸風土記の丘の地図
獅子頭展望台 常陸風土記の丘
獅子頭展望台(左)と古代家屋復元広場方面を望む(右)
常陸風土記の丘の桜
 敷地内には、ソメイヨシノ、シダレザクラ、ボタンザクラの3種の桜が植えられており、4月上旬はソメイヨシノ、中旬はシダレザクラ、 下旬はボタンザクラとほぼ1ケ月間にわたって桜を楽しめ、その間は「さくらまつり」としてさまざまなイベントも行われる。
常陸風土記の丘枝垂桜
常陸風土記の丘の枝垂桜
つくばねオートキャンプ場
 筑波山東側の裾野に広がるキャンプ場。約4万平方メートルの敷地にオートキャンプサイト20区画、ケビン4棟、デイキャンプサイト10区画、40〜50人が同時に利用できるバーベキュー棟、シャワー施設などが完備されている。
 筑波山麓で唯一のオートキャンプ場。また、通年利用できるのも唯一。オートキャンプサイトには全てAC電源付。
 石岡市小幡2132−14。つくばねオートキャンプ場の地図
つくばねオートキャンプ場
筑波山のふもとにあるつくばねオートキャンプ場
東筑波ユートピア
 猿芸を中心としたレクリエーション施設。アスレチックコースやオートキャンプ場などもある。 また4WDコース、モトクロスバイクコースなどモータースポーツやパラグライダー(パラグライダースクール有り)なども楽しめる。
 石岡市吉生2730−3。東筑波ユートピアの地図
東筑波ユートピア
東筑波ユートピア入口
国民宿舎つくばね
 筑波山東側の中腹、標高約300メートルにある。自然豊かな環境の中にあり、ここから望む日の出は格別、全ての部屋から関東平野望める。 客室は全24室、104人収容。最大120人収容の大広間はじめ、大小の会議室も完備しており、研修などにも利用できる。
 石岡市小幡2132−50。国民宿舎つくばねの地図
国民宿舎つくばね
国民宿舎つくばね
陣屋門
 陣屋門は、府中松平藩の陣屋唯一の遺構。高麗門形式の門。本柱の上に屋根がつき、本屋根と直角に控柱の小屋根がついている。
 府中松平藩は、1700(元禄13)年、初代水戸藩主徳川頼房公の5男、松平頼隆公(保内藩主・現在の大子町)が藩主となり立藩。2万石。 以降170年間、明治維新を迎えるまで続いた。松平家は水戸徳川家の分家であることから御連枝と呼ばれ、格式が高かったという。
 陣屋門は、1828(文政11)年2月、9代松平頼縄(よりつぐ)公の時、江戸小石川の藩邸を新築した際の余まった材料で建築された。 もとは、石岡小学校の校門として使われており、現在の石岡市民会館のところにあった。 1969(昭和44)年、石岡小学校の校庭内に移され、もとの場所には「石岡の陣屋門跡」の碑が建てられた。 2014(平成26)年11月30日、修復工事に伴い再び元の位置に再移転した。
 石岡市総社1−2−5。陣屋門の地図
陣屋門 陣屋門の碑
陣屋門(左)、陣屋門の碑(右)
石岡市民俗資料館
 商都として栄えた石岡の民俗資料と、石岡市内の奈良、平安時代の遺跡から出土した考古資料を展示している。
 開館日は金、土、日及び祝日。料金は無料。開館時間は午前9時〜午後4時30分。石岡小学校の敷地内にある。
 石岡市総社1−2−10。石岡市民俗資料館の地図
石岡市民俗資料館 石岡市民俗資料館展示室
石岡市民俗資料館外観(左)と展示室(右)
常陸国府跡
 国指定史跡。常陸国衙跡。現在の石岡小学校のある場所が国衙の中心地区で行政官の官舎があった。 7世紀末から11世紀にかけての遺構。これまでの調査で、時代によって施設の変遷があるという。
 石岡小学校内になる石岡市民俗資料館の前に「常陸国府跡」の碑がある。
 石岡市総社1−2−10。常陸国府跡碑の地図
常陸国府跡碑
常陸国府跡碑
まちかど情報センター
 石岡駅前通りにある空き店舗を活用。中心市街地の活性化などを目的に開設されている。石岡市や周辺の観光情報、イベント情報などを提供。 内部は市民サロン、市民の会議室、市役所機能の窓口などがあり、音楽会や寄席、展示会なども行われている。
 開館時間は午前10時〜午後8時まで(短縮の場合あり)。木曜日及び年末年始(12月28日〜1月4日)休館。 
 石岡市国府3−1−16。まちかど情報センターの地図
まちかど情報センター
まちかど情報センター
歴史散策コース
 石岡の中心市街地にある史跡などを巡る散策コース。全長4kmの常陸大掾歴史コース、全長6kmの健康ウオーキングコースの2コース。いずれもJR石岡駅を起終点とする。
 正一位青木稲荷神社、二十三夜尊、青屋神社、常陸国衙跡、陣屋門、府中城跡、常陸国総社宮、愛宕神社、金刀比羅神社、清涼寺、北向観音堂、 常陸大掾氏墓所(平福寺)、鈴ノ宮稲荷神社を巡る。所要時間は約70分。
 健康ウオーキングコースは、隅宮福徳稲荷神社、常陸国分寺跡、イベント広場、十一面観音立像、若宮八幡神社、青屋神社、常陸国衙跡、陣屋門、府中城跡、常陸国総社宮、 愛宕神社、金刀比羅神社、清涼寺、北向観音堂、常陸大掾氏墓所(平福寺)、宇迦魂稲荷神社、鈴ノ宮稲荷神社を巡る。所要時間は約90分。
歴史散策コース案内板
歴史散策コース案内板
石岡駅
 JR東日本常磐線の駅。1895(明治28)年11月4日、常磐線の前身、日本鉄道土浦線の開通とともにオープン。 また、鹿島鉄道の接続駅だったが、2007(平成19)年4月1日、廃線となった。
 石岡市国府1−1−17。石岡駅の地図
石岡駅舎
石岡駅舎
石岡駅ステーションパーク
 石岡駅西口、バスターミナルの屋上にある公園。石岡のお祭りをテーマにしたからくり時計がシンボル。
 石岡市国府1−1−20。石岡駅ステーションパークの地図
石岡駅ステーションパーク
石岡駅ステーションパーク
いしおかイベント広場
 軽トラ朝市、フリーマーケットなどが行われている。
 石岡市若宮3−1。石岡イベント広場の地図
いしおかイベント広場
いしおかイベント広場
JA新ひたち野農産物直売所大地のめぐみ
 地元産の野菜を中心に取り扱う。「つくり手の思いが見える食べものづくり」「食と農を繋ぐ情報発信の場」「笑顔で食卓を囲む幸せを応援」がコンセプト。 パン工房こむぎや、かぁちゃんかふぇを併設。
 営業時間は午前9時30分〜午後6時。第2、第4木曜日定休。年末年始休。
 石岡市南台3−21−14。JA新ひたち野直売所大地のめぐみの地図
JA新ひたち野農産物直売所石岡そだち
 トマト、きゅうり、なす、ほうれん草などの野菜はじめ、梨、栗、レンコン、赤ねぎ、そば粉、米、小菊、産直たまごなどを取り扱う。
 営業時間は午前9時〜午後6時。毎週月曜日定休。年末年始休。
 石岡市八軒台11−36。JA新ひたち野直売所石岡そだちの地図
JAやさと柿岡直売所
 地元産の野菜、果物はじめ、納豆、肉類などを取り扱う。 営業時間は午前9時〜午後7時(11月〜3月は午後6時まで)。年末年始のみ休業。
 石岡市柿岡3638−1。JAやさと柿岡直売所の地図
JA柿岡直売所
JA柿岡直売所
JAやさと園部農産物直売所里の四季
 地元産の野菜、果物はじめ、納豆、肉類などを取り扱う。2階は手打ちそば処「里のめぐみ」併設。 営業時間は午前8時から午後7時(4〜10月)、午前8時30分から午後6時30分(11月〜3月)。 そば処は午前11時〜午後3時。 定休日8月13、14日。
 石岡市宮ヶ崎472−2。JAやさと園部農産物直売所里の四季の地図
JA園部直売所
JAやさと園部農産物直売所里の四季
茨城乳業
 「自分たちの牛乳を直接消費者に」というコンセプトで誕生した乳業メーカー。 茨城玉川農協のミルクプラントとして創業。1992(平成4)年5月1日、茨城乳業として創立した。 現在は、老舗乳業メーカー、中沢フーズと事業協力を行い、同社傘下。 「いばらき3.6牛乳」などのブランドで知られる。
 工場見学が可能。1カ月前までに予約が必要。受け入れ人数は10人から50人。見学時間は約1時間から1時間30分。
 石岡市東田中1187−1。茨城乳業の地図
石岡酒造
 江戸時代から続く蔵元4社が1972(昭和47)年に合併して石岡酒造が誕生。茨城県内で最も大きな酒蔵のひとつ。 代表ブランドは「白鹿」。鹿島神宮の白鹿に由来し、江戸時代から使われている伝統の銘柄。 一方、高級酒の新ブランドとして、1985(昭和60)年に「筑波」、1993(平成5)年に「酔鶴」、1997(平成9)年に「寿山」を発表した。
 酒蔵見学は可能。平日のみ。予約必要。人数制限有。
 石岡市東大橋2972。石岡酒造の地図
石岡酒造
石岡酒造
府中譽
 1854(安政元)年、初代山内権右衛門が創業。 代表ブランドは、常陸府中の名を冠し、会社名にもなっている「府中譽」。そして、幻の酒米といわれた渡舟を使った「渡舟」、そして季節限定酒「太平海」。
 酒蔵見学は可能。午前10時〜午後4時までの間で対応。1週間前までに予約必要。人数制限有(15人まで)。 
 石岡市国府5−9−32。府中譽の地図
府中譽
府中譽
白菊酒造
 広瀬家が創業。1805(文化2)年以前から酒造を行ってという。前身の広瀬商店は1935(昭和10)年の設立、 その後広瀬商店、広瀬倉庫などが共同で1961(昭和36)年に白菊酒造を設立した。 代表ブランドは、社名にもなっており、創業以来使用している「白菊」。そのほか「紅梅一輪」「霧の里」など。
 酒蔵見学は可能。平日のみ。予約必要。
 石岡市高浜880。白菊酒造の地図
白菊酒造
白菊酒造
まち蔵「藍」
 江戸時代末期に建てられた染物屋「丁子屋」(ちょうしや)の店舗を利用した石岡市の観光案内所。 木造2階建て。1929(昭和4)年の大火で焼け残った唯一の商家建築。 隣接地は無料の駐車場となっており、街の散策などに利用できる。
 石岡市国府3−5−6。藍の地図
藍
まち蔵「藍」
昭和レトロな街並み
 昭和初期の看板建築(一部商家建築)を残す街並み11棟が国の登録文化財に指定されいる。石岡市内の看板建築は、1929(昭和4)年の大火で焼失し、翌年の1930(昭和5)年に建築されたものが多い。 当時、東京では関東大震災による復興で、多くの看板建築が造られた。石岡市内でも大火からの復興で看板建築が建てられた
 看板建築とは、典型的な例は、木造2階建ての店舗兼住宅、さらに屋根裏部屋を造り、建物前面は平坦(軒を出さない)。外壁は、モルタルや銅板、装飾に凝っているものも多い。 建物前面の看板のような平面を利用し、自由なデザインが試みられたため、当時、東京大学大学院生で、建築家としても知られる藤森照信工学院大教授(元東京大学生産工学研究所教授)によって看板建築と命名された。
喫茶店四季
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。貸店舗。木造2階建て。屋根に取り付けられた煙突風の装飾などが特徴。当初から貸店舗として建築されたという珍しい建物。
 石岡市国府3−3−24。喫茶店四季の地図
森戸文四郎商店
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。飼料店(現在は生花店)。木造2階建て。柱のレリーフ、縦長の窓、褐色タイルなど全体にアールデコ調の外観が特徴。
 石岡市国府3−2−6。森戸文四郎商店の地図
喫茶店四季 森戸文四郎商店
喫茶店四季(左)、森戸文四郎商店(右)
きそば東京庵きそばとうきょうあん
 1932(昭和7)年頃建てられた和風食堂建築。蕎麦屋。木造2階建て。数奇屋風の外観が特徴。
 石岡市国府3−3−16。きそば東京庵の地図
すがや化粧品店すがやけしょうひんてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。木造2階建て。雑貨店(現在は化粧品店)。 ギリシャ神殿風の柱飾りなど重厚な外観が特徴。
 石岡市国府3−5−1。すがや化粧品店の地図
きそば東京庵 すがや化粧品店
きそば東京庵(左)、すがや化粧品店(右)
栗山呉服店くりやまごふくてん
 1932(昭和7)年頃建てられた商家建築。呉服店。木造2階建て。2階正面にあるガラス戸の瀟洒(しょうしゃ)な組子は、 明治以降の日本建築近代化の特徴をよくあらわしているとされる。
 石岡市国府3−4−25。栗山呉服店の地図
十七屋履物店じゅうしちやはきものてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。履物店。木造2階建て。1929(昭和4)年の大火後、この地区で最初に再建された建物。
 石岡市国府3−4−22。十七屋履物店の地図
栗山呉服店 十七屋履物店
栗山呉服店(左)、十七屋履物店(右)
久松商店ひさまつしょうてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。化粧品店、雑貨店。木造2階建て。
 石岡市国府3−4−21。久松商店の地図
福島屋砂糖店ふくしまやさとうてん
 1931(昭和6)年頃建てられた商家建築。砂糖問屋。木造2階建て。土蔵造りの壁が、土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできている。
 石岡市国府3−4−20。福島屋砂糖店の地図
久松商店 福島屋砂糖店
久松商店(左)、福島屋砂糖店(右)
丁子屋ちょうしや
 まち蔵「藍」として、観光案内所となっている。地図、写真等は上記参照。
府中譽ふちゅうほまれ
 主屋、長屋門、文庫蔵、仕込蔵、釜場、春屋(つきや)の7棟が指定されている。地図、写真等は上記参照。
平松理容店ひらまつりようてん
 1928(昭和3)年に建てられた看板建築。理容店。木造3階建て。1929(昭和4)年の大火を免れた建築当初の姿がよく保たれている。
 石岡市府中2−7−20。平松理容店の地図
平松理容店
平松理容店
西光院
 峰寺山。天台宗の寺。本堂は、断崖に柱を建てた懸造りが特徴で、関東の清水寺と呼ばれる。 平安時代、807(大同2)年、徳一大師の開山と伝えられる。 法相宗から鎌倉時代に真言宗となり、その後天台宗に改宗した。 本尊は馬頭観音、高さ3mの自然石という。 また、常陸七福神の毘沙門天が祀られている。
 本堂廻廊からの眺めはすばらしく、お寺自体がかなりの高所にあることもあり、回廊の端に立つと、手すりが低いせいもあり怖いくらい。 関東の清水寺の名に恥じない眺望がある。1777(安永6)年の火災で諸堂を焼失、現在の本堂は1791(寛政3)年の再建。 茨城県の文化財に指定されている。
 本堂手前にある堂には、高さ約6mの立木観音菩薩像(十一面観音像)が安置されている。 もともとはふもとの吉生村の立木山広照院長谷寺にあったもの。 桧材一木造りで平安時代末期の12世紀、約800年前に造られたものと見られ茨城県の文化財に指定されている。
 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 常陸七福神については常陸七福神へ。
 石岡市吉生2734。西光院の地図
西光院本堂 西光院御朱印 西光院毘沙門天御朱印
西光院本堂(左)、本尊御朱印(中)、常陸七福神毘沙門天御朱印(右)
阿弥陀院あみだいん
 福力山阿弥陀院。真言宗智山派。本尊は阿弥陀如来。1490(延徳2)年、京都随心院門跡祐伝和尚の開山と伝えられる。 石岡市文化財に指定されている書籍「弥陀名号」(みだみょうごう)は、源平合戦、一の谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで知られる熊谷次郎直実が、 その後、敦盛の菩提を弔うため、法然房源空を師とし仏門に入り蓮生法師となった。 この書籍は、蓮生法師が法然から授けられたものという。その後、開山の祐伝和尚が所持していたものとされる。「授蓮生法師」「源空」の落款がある。 関東八十八ヵ所霊場第36番霊場。8月には万灯祭が行われている。
 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市半田1117。阿弥陀院の地図
阿弥陀院 阿弥陀院御朱印
阿弥陀院の山門と鐘楼(左)、関東八十八ヵ所霊場第36番霊場の御朱印(右)
阿弥陀院本堂 阿弥陀院客殿
阿弥陀院の境内と本堂。正面の階段の上にある建物が本堂(左)、現在は本堂の役割も兼ねるという客殿(右)
金刀比羅神社ことひらじんじゃ
 常陸大掾ゆかりの神社。祭神は大物主神。「こんぴらさん」の愛称で親しまれている。 神社の歴史は古く、四国の金刀比羅宮を勧請する以前からあった。神社周辺は「森の地」と呼ばれ、森の神社、森木神社、守木神社などと呼ばれていたという。 また、森木寺や八大寺という寺院があった。その後、平安時代中期になると平氏が常陸大掾として勢力を拡大、国府に着任すると同時に森の神社の祭祀を継承したという。 「大森大明神」と尊称されていたという。
 しかし、1590(天正18)年、戦乱による兵火で神社は壊滅、常陸大掾による支配も終わった。 その後、平氏の後裔である別当の八大寺によって神社が復興された 江戸時代になると、平村(現在の石岡市中心部)の鎮守として当時の府中藩松平氏の崇敬も厚かった。 1827(文政10)年、讃岐国象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現を勧請した。1906(明治39)年には、金刀比羅神社と香取神社が合併している。 社殿は、1929(昭和4)年、石岡の大火で焼失。1936(昭和11)年、再建。2000(平成12)年、不慮の火災で焼失。 現在の社殿は、2007(平成19)年9月再建されたもの。
 御朱印有。授与は神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市国府6−2−1。金刀比羅神社の地図
金刀比羅神社 金刀比羅神社御朱印
金刀比羅神社社殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社染谷 さしのうじんじゃ
 龍神山の南側の峰、中腹にある神社。染谷と村上の佐志能神社1対で祀られている。 龍神山の龍神(雨の神)を祀るとされ、染谷の佐志能神社は雌龍(めたつ)。 創建された年代は不明。式内社。本殿脇にある屏風岩には、「風神の穴」があり、この穴に指を入れると、雷が鳴るまで抜けなくなるという。 4月19日の例祭では、「染谷12座神楽」が奉納される。400年の歴史があるとされ、12座全てが演じられる。 現在まで残っている数少ない里神楽として、石岡市の有形民俗文化財に指定されている。
 御朱印有。授与は常陸國總社宮社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市染谷1857−2。佐志能神社・染谷の地図
染谷佐志能神社 染谷佐志能神社御朱印
染谷佐志能神社拝殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社村上 さしのうじんじゃ
 龍神山の北側の峰、中腹にある神社。もとは村上村の鎮守で、一つの神社だったが、江戸時代に分村したことで、現在は村上と染谷の佐志能神社1対で祀られている。 龍神山の龍神(雨の神)を祀るとされ、村上の佐志能神社は雄龍(おたつ)。 江戸時代、村上村が分割されることになり、もとの佐志能神社が新たに出来た染谷地区に入ってしまったことから、新たに分霊し、祀ったもの。
 御朱印有。授与は金刀比羅神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市村上494。佐志能神社・村上の地図
村上佐志能神社 村上佐志能神社御朱印
村上佐志能神社拝殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社柿岡 さしのうじんじゃ
 佐志能神社という名前ながら、上記2つの神社とはまったく別の神社。別名白鳥明神で、旧八郷町柿岡の高友地区にある。 祭神は第11代崇神天皇第1皇子豊城入彦命。
 石岡市柿岡。佐志能神社・柿岡の地図
佐志能神社柿岡
うっそうとした森の中にある佐志能神社
佐久良東雄旧宅
 憂国勤皇の歌人として、多くの勤皇の志士に影響を与えた佐久良東雄の生家。幼少期をこの家で過ごした。母屋は桁行八間半、梁間四間半、茅葺の寄棟造り。 18世紀中期ごろの建築と見られている。正面の長屋門も同時期のものとされる。この地方の旧家の特徴をよくのこす貴重なものとされ、国の史跡に指定されている。
 石岡市浦須314−1。佐久良東雄旧宅の地図
佐久良東雄旧宅
佐久良東雄旧宅
佐久の大杉
 石岡市佐久にある鹿島神社の御神木。推定樹齢1300年。樹高28.6m、幹周り8.9m。茨城県指定天然記念物。
 神社が創建された応永年間(1394〜1428年)には、すでに1000年近い大杉として知られていた。 1997(平成9)年〜2000(平成12)年にかけて樹勢回復治療を行い、合わせて見学者用の歩廊などが整備された。
 石岡市佐久。佐久の大杉の地図
佐久の大杉
佐久の大杉
瓦塚遺跡
 古代の瓦を製造した窯跡。奈良時代の741(天平13)年、常陸国国府(現在の石岡市)に国分寺、国分尼寺を建立した際に、その屋根の瓦を造るため築窯されたと見られている。 1968(昭和43)年、隣接する山林の開墾中に7基の釜跡が発見された。さらにその後の調査で、合わせて24基の窯跡が見つかっており、保存状態や規模などから日本有数の窯跡遺跡とされている。 窯の構造は粘土質の山の斜面をくり抜いてつくられた「地下式有段登窯(ちかしきゆうだんのぼりがま)」と判明した。 燃焼部と燃成部が区分されているのが特徴で、燃成部は5段になっているという。8世紀後半から10世紀ごろまで使われていたと見られる。
 石岡市部原604。瓦塚の地図
瓦塚 瓦塚
瓦塚の第3号窯跡(左)、同じく釜跡(右)
有明の松
 南北朝時代、難台山の攻防と言われる戦いがあった。その時難を逃れた婦女子が、ここから見た夜明けが素晴らしかったことから、有明の松と呼ばれるようになった。 1666(昭和41)年、茨城県の文化財に指定されたが1980(昭和55)年、松くい虫の被害によって伐採された。その後、この松の種子から育った2代目の松が植えられたが、それも伐採され、現在は碑が残るのみ。
 1380年、南朝方の小山義政が難台山に陣を構え北朝方と戦い敗れた。 1387年、南朝方の小田藤親と義政の子、若犬丸が、難台山に陣を構え北朝方と戦い再び敗れた。この時、難台山の婦女子が、夜を徹して山を降り、この松の下に集まって夜を明かした。この時の伝説という。
 石岡市有明。有明の松の地図
有明の松
有明の松跡
龍神山森林公園
 龍神山の南麓にある森林公園。キャンプ場はじめ、雄池、雌池を中心に豊かな自然を生かした散策路がある。 園内1周周回路1.5km、散策路372m、雄池周遊歩道311m、雌池周遊歩道392m。
 石岡市染谷1617−4。龍神山森林公園の地図
雄池 散策道
雄池(左)、散策路(右)
龍神山キャンプ場
 龍神山森林公園内にある公園。
 予約が必要。使用期間は火曜日から日曜日。日帰りは午前9時〜午後4時まで。宿泊は正午から翌日正午まで。 月曜日及び年末年始(12月26日〜1月4日)は休場。
 石岡市染谷。龍神山キャンプ場の地図
キャンプサイト 管理棟
キャンプサイト(左)、管理棟(右)
ダチョウ王国
 日本一のダチョウの牧場。約9ヘクタールの敷地に約1000羽のダチョウが飼育されている。 ポニー、アルパカ、ワラビー、ウサギなどいろいろな動物と触れ合うことができる。 また、低カロリー高たんぱくの肉として注目を集めているダチョウ肉。園内ではダチョウ肉のステーキが食べらるバーベキュー施設などもある。
 石岡市半の木14052。ダチョウ王国の地図
船塚山古墳
 1921(大正10)年、国史跡指定。全長186mの前方後円墳。前方部の幅約100m、高さ約10m、 後円部は、直径約90m、高さ約11m、堀の幅約35m。 大きさは茨城県内最大で、東日本でも2番目の大きさを誇る。5世紀頃の築造。
 石岡市北根本。船塚山古墳の地図
気象庁地磁気研究所
 石岡市柿岡にある地球の地磁気を観測する施設。第1回国際極年観測(1882年 -1883年)を契機にして1883(明治16)年に東京・赤坂に開設された。 東京での鉄道電化に伴い、観測結果に影響が出るため1913(大正2)年に現地に移転した。
 メーンの観測施設は「KASMMER」。地磁気の素早い変化を高い精度で観測できるシステムで世界的にも高い評価を得ている。 原理は地磁気の変動を連続して観測する4台の磁力計と地場の方向と強度を測る装置を組み合わせ、これらのデータをコンピューターで解析処理する。
 施設内は、大正期の建築物が多く残る。本館(第一庁舎)は、1925(大正14)年完成。シンメトリーのドイツ風建物で、正面玄関から筑波山が真正面に見えるように設計されている。 このほか、1912(大正元)年完成の石室(第一変化計室)、1924(大正13)年完成のレンガ造り実験室など、趣のある建物が多い。
 同施設のため、茨城県内を走る常磐線と水戸線の電化が遅れたと指摘されている。現在は、観測に影響のない交流電車(都内などは直流電車)で電化されている。 常磐線は交直両用電車で運行され、取手駅と藤代駅間で直流、交流が切り替えられ(以前は切り替え場所で電車内の照明が消えた。現在は消えない車両が多い)ている。 つくばエクスプレスも同様に守谷駅以北を走る電車に限ってに交直両用電車で、守谷以南は直流、以北は交流で運行されている。
 施設の見学も可能。月曜日〜金曜日(祝日及び年末年始を除く)の午前8時30分〜正午、午後1時〜午後5時までの間で対応。 申し込みが必要で、見学申請書を提出。なお、毎年4月の科学技術週間には施設の一般公開が行われている。
 石岡市柿岡595。気象庁地磁気研究所の地図
地磁気研究所
地磁気研究所入口
石岡の一里塚
 旧水戸街道の元杉並木入口にある。道路両側に高さ約3mの築山が築かれ、上に榎が植えられていた。 茨城県内で道の両側に一里塚が残っているのはここだけ。茨城県指定文化財。 現在も東側の一里塚の榎は樹勢もよく立派な姿を見せている。西側の一里塚にあった榎は2002(平成14)年7月の台風で倒木した。 倒れた榎は樹齢約400年、高さ20m、幹周り約4.2m。2008(平成20)年、一里塚内に生えていた幼木を2代目榎として植えた。
 石岡市泉町2108、12805。石岡の一里塚の地図
石岡の一里塚
石岡の一里塚
柏原池公園
 その名の通り柏原池(かしわばらいけ)を中心とした公園。柏原池は山王川へと流れ出る。古くからの桜の名所として知られている。 芝生広場や散歩コースなどが整備されている。公園内には、東京・新島から贈られたモヤイ像がある。
 石岡市鹿の子3−4。柏原池公園の地図
柏原池公園
柏原池公園
柏原池公園の桜
 柏原池公園の広場や散歩コース周辺に多くの桜がある。
 石岡市鹿の子3−4。柏原池公園の桜の地図
柏原池公園の桜
柏原池公園の桜
高浜神社
 祭神は武甕槌命。高浜の地は、常陸国国府の外港として栄えた。国府に赴任した国司は、領内の神社(大社)に奉幣祈願するのが習わしだった。 鹿島神宮へは、この高浜から船でいくのが順路だったが、悪天候などで船が出せない時があった。その時、浜にススキやマコモなどの草で御仮屋をつくり遥拝したのが神社の始まりとされる。 現在の本殿、拝殿は、いずれも茅葺屋根の重厚な造りとなっている。
 石岡市高浜865。高浜神社の地図
高浜神社拝殿 高浜神社本殿
高浜神社拝殿(左)、本殿(右) 
若宮八幡宮わかみやはちまんぐう
 728(神亀5)年の建立とされる。1082(永保2)年、八幡太郎源義家が奥州征伐の際、かぶら矢を奉納して戦勝を祈願したと伝えられる。 また、1395(応永2)年には太田道灌が参拝したという。
 社殿は1590(天正18)年、佐竹義宣の府中攻略の際、焼失。1602(慶長2)年、再建された。 その後、1627(安永4)年、1665(寛文5)年に改築。現在の社殿は元文年間(1736〜1740年)の再建による。 石岡市指定文化財。 桁行3間、梁間3間、正面が入母屋造、背面が寄棟造。また神門は、四脚門形式で、風神、雷神を祀っている。
 石岡市若宮2−1−3。若宮八幡宮の地図
若宮八幡宮 若宮八幡宮
若宮八幡宮社殿(左)、神門(右)
青屋神社
 祭神は天照大神、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、武甕槌命。安産に御利益があるという。
 石岡市総社1−4。青屋神社の地図
青屋神社
青屋神社
鈴ノ宮稲荷神社
 天狗党ゆかりの神社。筑波義挙発祥の地とされる。1864(元治元)年3月27日、藤田小四郎ら天狗党63人がこの神社に終結し、筑波山に向けて出立したという。 なお、この神社の脇に新地八軒と呼ばれる遊郭があった(現在は駐車場)。藤田らはそこを定宿としていたという。
 石岡市国府2。鈴ノ宮稲荷神社の地図
鈴ノ宮稲荷神社
鈴ノ宮稲荷神社
青木稲荷神社
 祭神は倉稲魂命。平国香が「国家鎮護、武運長久」のために、屋敷の中に勧請したと伝えられている。もと宝沢院という寺院内にあったが、廃寺後、神社だけが残った。
 石岡市府中2−2。青木稲荷神社の地図
青木稲荷神社
青木稲荷神社
平福寺
 春林山平福寺。常陸大掾を務めた平国香が建立。常陸大掾氏の菩提寺となる。 境内にある「常陸大掾氏墓所」は、石岡市指定文化財。平国香の墓と伝えられる五輪塔はじめ、14基の五輪塔がある。 本堂前には高さ3.2mの「常陸大掾氏碑」がある。
 石岡市国府5−9−3。平福寺の地図
平福寺
平福寺本堂
照光寺
 雷電山西向院照光寺。浄土宗の寺。常陸府中松平氏の墓所がある。
 1374(応安7)年、常陸大掾高幹(たかもと)が開基、良善上人を開山として現在の鹿の子の地に創建。その後、大掾氏は佐竹氏に滅ぼされ、その時の兵火で焼失。 佐竹氏は、称往上人を招き、現在地に移して再興した。
 常陸府中松平氏の墓所は、東京・小石川の宗慶寺にあったが1926(大正15)年、照光寺に移された。
 石岡市府中2−4−9。照光寺の地図
照光寺本堂 照光寺山門
照光寺本堂(左)、山門(右)
東耀寺
 高照山養願院東耀寺。天台宗の寺。721(養老5)年の創建とされる。 980(天元3)年の頃、法相宗で広大寺と称していたという。のち真言宗。 1640(寛永17)年、天台宗に改められた。 新撰組九番隊隊長、鈴木三樹三郎の墓がある。
 石岡市若宮1−1−13。東耀寺の地図
東耀寺本堂 東耀寺山門
東耀寺本堂(左)、山門(右)
清涼寺
 興国山清涼寺。曹洞宗の寺。1330(元徳2)年、常陸大掾高幹(たかもと)が開基、興国尼が開山。国分尼寺に真言宗の寺、興国山春林院清涼寺として創建。 1501(文亀元)年、真言宗から曹洞宗の改宗した。いたずらする狸が登場する「清涼寺の古狢(むじな)」の話が伝わっている。茨城百八地蔵尊霊場第89番札所(水子子育地蔵尊)。
 漫画家・手塚治虫氏の祖先で、同氏のまんが「陽だまりの樹」にも出てくる常陸府中藩医・手塚良仙(2代目)の妹の子である同じく藩医・手塚良運の墓がある。 陽だまりの樹は、舞台やアニメ、ドラマ化されている。
 石岡市国府6−2−3。清涼寺の地図
清涼寺
清涼寺
鳴滝
 石岡市の北部、瓦谷地区の山中にある。水量はそれほど多くないが落差約20m、長さ約50m。
 岩肌を伝わって流れ落ちる水の音が素晴らしく、特に大雨の後は大きな音がすることからこの名がついた。滝の上には不動尊「鳴瀧不動明王」が奉られている。 筑波山周辺では最も大規模な滝。水口川の源流。茨城の自然100選及び石岡市の文化財、名勝に指定されている。馬滝、赤滝とともに石岡3滝とされる。
 石岡市瓦谷。鳴滝の地図
鳴滝 鳴滝不動尊
鳴滝(左)、鳴滝不動尊(右)
馬滝
 石岡市と小美玉市との境界を流れる園部川の源流とされる。「真家の馬滝」と言われ、石岡市の北部、真家地区の山中にある。
 五段の滝で、最上部が 馬の尾に似ていることから、この名がついたという。 鳴滝、赤滝とともに石岡3滝とされる。
 大澤山明圓寺の脇を抜けて、車一台がやっと通れる山道に入る。馬滝の前に車数台が止められるスペースがある。
 石岡市真家。馬滝の地図
馬滝
馬滝
赤滝
 石岡市西南部、風返峠へ向う、小幡地区十三塚の山中にある。雨の後など、土砂が混じって赤褐色の滝になることから、 赤滝と名付けられたとされる。 風返峠を挟んで、つくば市側にある白滝とともに、筑波の紅白滝ともいわれる。落差約15m。茨城県道42号笠間つくば線沿いにある。 県道からの入り口には桜元地蔵が祀られている。 鳴滝、馬滝とともに石岡3滝とされる。
 石岡市小幡。赤滝の地図
赤滝 桜元地蔵
赤滝(左)、桜元地蔵(右)
赤滝入口 赤滝看板
茨城県道42号笠間つくば線の赤滝入口(左)、右手に桜元地蔵を見て突き当たりを右へ(右)
赤滝分岐 赤滝けもの道
すぐに真っ直ぐと左への分岐があるのでここを左(左)、すぐに右側にけもの道があるのでここを下ると正面にある(右)
球状花崗岩
 花崗岩に黒雲母と微量の石英、燐灰石などを含む玉子状の硬い粒が散在している。このため小判石とも呼ばれる。 1937(昭和12)年2月5日、茨城県天然記念物に指定。
 石岡市。球状花崗岩の地図
球状花崗岩 球状花崗岩入口
球状花崗岩(左)、道路脇入口(右)
足尾神社あしおじんじゃ
 足尾山山頂にある神社。祭神は国常立尊、面足尊、惶根尊。山頂近くに拝殿、山頂に本殿がある。また、石岡市側の山麓に里宮がある。 920(延喜20)年ごろ、醍醐天皇が足病消除祈願をしたところ、たちまち全快されたことから「日本最初足尾神社」の勅額を賜ったという。 その後、野火によって焼失したが、1464(寛正5)年、再び勅額と菊の紋入り喇(うがい)石を授かっている。 以降、足の病を治す神様として信仰され、信者が草履やわらじを奉納する風習が生まれたという。また最近では、アスリートをはじめスポーツ選手の参拝も多いという。 境内には奉納された多くの履物やギブスなどが山積みとなっている。なお、お札は「足形の御影」を版木によって写しており、「足形のお札」として知られている。 また、筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、山中には多くの霊場もある。足尾山のふもと、石岡市小屋には里宮がある。 登山道は、石岡市側は、上曽や小屋から、桜川市側からは白井からが古くから知られている。
 北筑波稜線林道沿いに足尾神社入口の鳥居がある。この鳥居をくぐって登っていくと、やや開けた場所に現在は石の基礎しか残っていない拝殿跡。 その拝殿脇の左側から山頂に続く石段がある。かなり急で狭い。さらに段数も相当ある。これを上りきると山頂の本殿。周囲は樹木も少なく、見晴らしもいい。
 石岡市小屋1。足尾神社の地図
 石岡市小屋387。足尾神社里宮の地図
足尾神社本殿
足尾山山頂にある本殿
足尾神社入口鳥居 足尾神社入口鳥居
足尾神社の拝殿跡。以前は拝殿があったが、倒壊してしまい、現在は基礎が残るのみ。基礎の中央部に小さな祠が祀られている。 山頂へは、この左側から登っていく(左)、北筑波稜線林道沿いにある足尾神社入口の鳥居(右)
足尾神社里宮
足尾神社の里宮
子授け地蔵 こさずけじぞう
 子授けにご利益があるスポットとして有名。婆が峯、爺が峯伝説が、筑波山の東側、石岡市の旧八郷町小幡の十三塚に残る。 昔、この場所を通った婆さんと爺さんが追い剥ぎにあい、必死に逃げたが殺されてしまった。そこで村人が石仏を作り、春と秋の彼岸に供養法要を営んだ。 そしてこの石仏を抱くと子宝に恵まれるという言い伝えが残っている。このため抱き石とも呼ばれる。筑波パープルライン沿い、風返し峠近く。
 石岡市小幡。子授け地蔵の地図
子授け地蔵
筑波山を望む子授け地蔵
子授け地蔵祠 子授け地蔵全景
子授け地蔵の祠(左)、同じく全景(右)
朝日里山学校
 里山文化を活かした交流・体験型観光施設。2004(平成16)年3月に閉校した旧朝日小学校を活用した。 旧朝日小学校は、旧八郷町で唯一の木造平屋建ての校舎で、地元の人たちに親しまれていた。そこで、この建物をできる限りの残すとともに、地元の里山文化を伝える施設とした。 2008(平成20)年11月24日オープンした。 農業体験、ピザづくり体験、ジャムづくり体験、そば打ち体験、餅つき体験、かまど炊き体験、陶芸体験などが出来る。月曜日休校。
 石岡市柴内630。朝日里山学校の地図
朝日里山学校
朝日里山学校
万葉の森
 ライオンズ広場。八郷ライオンズクラブ創立25周年記念事業で造られた。 万葉集に詠まれている植物を集めた公園。湯袋観光道路沿いにある。
 石岡市小幡。万葉の森の地図
万葉の森入口 万葉の森
万葉の森入口の碑(左)、眺望もある万葉の森(右)
華園寺
 常栄山華園寺。時宗の寺。1281(弘安4)年、創建とされる。
 本堂前にえび子安地蔵尊がある。真教上人が常陸を訪れた際、この堂を念仏道場とし、華園寺の寺号を与えたとされる。安産に御利益があるとして広く信仰されている。
 石岡市国府2−5−20。華国寺の地図
華園寺 えび子安地蔵尊
華園寺本堂(左)、えび子安地蔵尊(右)
常光院
 来迎山常光院極楽寺。天台宗の寺。本尊は阿弥陀如来。平安時代中期、後朱雀天皇(1036〜45年)の代に府中城の外城に大学清治が創建。 万能の発明者、鈴木万能の墓がある。
 石岡市国府5−2−11。常光院の地図
常光院
常光院
如来寺
 帰命山無量寿院如来寺。親鸞聖人二十四輩第4番。浄土真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。 1215(建保3)年、乗然房領海が聖人の形見として聖徳太子像を賜り、霞ヶ浦湖畔に草庵を建てたのが始まりとされる。 1498(明応7)年、現在地に移る。 領海が賜った太子像は「聖徳太子浮足の像」と呼ばれる。高さ63cm、木彫の立像。太子像の足が台座から半紙1枚が通るぐらい浮いていることからこうよばれる。
 石岡市柿岡2741。如来寺の地図
如来寺本堂
如来寺本堂
如来寺山門 如来寺楼門
如来寺の山門(左)と楼門(右)
明圓寺
 大澤山常陽院明圓寺。親鸞聖人二十四輩第19番。浄土真宗本願寺派。開基の明法房は、もと山伏弁円。 弁円は、最初は親鸞聖人を快く思っておらず、なき者にしようと企てていたが果たせず、その後、教えを受けて弟子になった。 上宮寺(那珂市)を預かっていたが、隠居し、1240(仁治元)年、同地に寺を開いた。明法の明と弁円の円をとって明圓寺とした。 1786(天明6)年には山津波に遭い、本堂などが約800m下の畑まで流されている。
 石岡市真家1055。明圓寺の地図
明圓寺本堂 明圓寺参道
明圓寺本堂(左)、参道(右)
常林寺
 浄土宗の寺。もと自道院と称したが、永禄年間に常林寺と改めた。 寛政年間に七堂伽藍を整備したが、明治年間に2度に渡る火災で焼失するも、再建された。
 石岡市柿岡1951。常林寺の地図
常林寺
常林寺本堂
善慶寺
 国豊山善慶寺。曹洞宗の寺。1336(延元元)年、佐竹氏の一族、長倉義春によって長倉(現在の常陸大宮市長倉)で創建される。 1595(文禄4)年、長倉氏が柿岡城主に任じられたことから、寺も同地に移った。
 石岡市柿岡2136。善慶寺の地図
善慶寺
善慶寺本堂
雲照寺
 常明山寶聚院雲照寺。真言宗豊山派の寺。本尊は不動明王。1470(文明2)年、葦穂村に建立された。開山は慶阿闍梨。 その後兵火で焼失するも、片野城主、太田三楽が再建。柿岡城主、長倉遠江守が修理したが、慶長年間に廃寺となった。 1616年(元和2)年、宥岳上人が現在地に再興した。
 石岡市瓦谷。雲照寺の地図
雲照寺本堂 雲照寺山門
雲照寺本堂(左)、山門(右)
八坂神社柿岡
 享禄年間(1528〜31年)、小田氏一族に代わって柿岡城主となった佐竹氏一族の長倉義興が、那珂郡長倉村から神霊を勧請し、創建した。 祭神は素戔鳴命。柿岡地区の中心部に位置する。柿岡の祇園祭は、旧八郷町地区最大の祭り。祇園祭では、茨城県指定無形民俗文化財「柿岡からくり人形」が披露される。 山車の上に太さ12cm角、長さ1.8m、の柱をたて、その上に横木を組んで」、そこで「ことわり人形」「はらんばい人形」そして「くらり人形」の3対の人形をぶら下げ操る。
 石岡市柿岡1857。八坂神社・柿岡の地図
八坂神社・柿岡
八坂神社社殿
八幡神社柿岡
 柿岡城主・長倉義興が伊勢神宮に参拝した際、奉納24神楽のうち12神楽を持ち帰り、八幡神社を建立し、武運を祈って神楽を奉納したとされる。 持ち帰った神楽は、「太々神楽」として約400年、代々伝わっており、八幡様の「ジャカモコジャン」として親しまれている。 1座・国堅(くにがため)の舞、2座・老翁(おきな)の舞、3座・天狐(てんこ)・種稼(たねかし)の舞、4座・龍神の舞、 5座・地法(ちのり)の舞、6座・神酒(みき)の舞、7座・西之宮大神(にしのみやおおかみ)の舞、8座・鈿女(うずめ)の舞、9座・岩戸の舞、 10座・戸隠(とがくし)の舞、11座・猿田彦、12座・山の神から成る。このほか巫女舞として、幣(へい)の舞、榊の舞、扇の舞が奉納される。
 石岡市柿岡。八幡神社・柿岡の地図
八幡神社・柿岡
八幡神社社殿
白鳥神社小幡 しらとりじんじゃ
 旧村社。祭神は日本武尊。
 石岡市小幡。白鳥神社の地図
白鳥神社
白鳥神社社殿
大覚寺
 板敷山大覚寺。浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来立像。1221(承久3)年、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の法弟、周観大覚が開山。大覚は、後鳥羽上皇の第三子正壊親王。 本堂裏には、京都にある「桂離宮」を模して造園された日本庭園がある。どの角度から見ても裏がないことから「裏見無しの庭」と呼ばれる。
 石岡市大増3220。大覚寺の地図
大覚寺本堂
大覚寺本堂
大覚寺山門 大覚寺鐘楼
大覚寺山門(左)、鐘楼(右)
大覚寺裏見無しの庭
大覚寺の裏見無しの庭
長楽寺
 真言宗豊山派。本尊は薬師如来。824(天長元)年、滝本坊として創建されたという古刹。1605(慶長10)年、長楽寺に改められた。 仁王門は二間半四方で、仁王像が残されている。岩間山の13天狗は、もと12天狗とされ、長楽寺の天狗が加わり13天狗になったなど、天狗伝説が残る。
 現在は映画やドラマのロケ地として知られる。周囲が山林で電柱など近代的なものが見えないため時代劇のロケ地として人気がある。 映画の「座頭市」はじめ、NHK大河ドラマの「武蔵」「篤姫」など、多くの作品の撮影が行われている。
 石岡市龍明(狢内)633番外。長楽寺の地図
長楽寺堂 長楽寺門
長楽寺本堂(左)、仁王門(右)
北向観音
 富田観音。富田北向観音。安産、子育て、厄除けに御利益ありとして近隣の信仰を集めている。 常陸國總社宮内にあった神宮寺の観音堂として建立された。元禄年間(1688〜1704年)に神宮寺が富田町地内に移ったことに伴い、観音堂も移築、さらに現在地に移った。 十一面観音菩薩像が安置されている。また、鰐口は天仁年間(1108〜10年)の銘があったとされる。なお、石岡市小野越にも小野小町伝説が残る北向観音がある。下記参照。
 石岡市国府5−9。北向観音の地図
北向観音
北向観音
愛宕神社
 祭神は迦具土命。天狗党の薄井龍之が境内で私塾を開いていたという。
 石岡市府中2−7。愛宕神社の地図
愛宕神社
愛宕神社
二十三夜尊
 本尊は勢至菩薩。樹齢500年を越える銀杏があった。現在は伐採され、切り株のみが残る。
 石岡市若宮1−5。二十三夜尊の地図
二十三夜尊
二十三夜尊
護身地蔵
 野菜の屑を奉納すると風邪が治ると伝えられている。戦国時代、戦いに敗れた武士が、この地蔵付近まで逃れてきて、不思議な老婆に出会い、塵芥の山のなかに隠れて助かったという伝説が残る。 助かった武士が、感謝して石の地蔵を寄進し、塵芥(ごみ)から護身(ごみ)に転じたとされる。
 石岡市国府5−7。護身地蔵の地図
護身地蔵
護身地蔵
宇迦魂稲荷神社
 祭神は宇迦魂命。創建は不詳。
 石岡市国府6−1。宇迦魂稲荷神社の地図
宇迦魂稲荷神社
宇迦魂稲荷神社
息栖神社
 祭神は住吉三神。旧村社。
 石岡市川又1274。息栖神社の地図
息栖神社社殿 息栖神社鳥居
息栖神社社殿(左)、鳥居(右)
上曽宿
 上曽峠を越える旅人の宿場として栄えた。峠へ向かう直線の道沿いに、現在でも当時の面影を残す風情のある家が数軒残る。
 石岡市上曽。上曽宿の地図
上曽宿
上曽宿
成賢寺
 本願院霊通山成賢寺、真言宗の寺で、水戸黄門ゆかりの寺。1689(元禄2)年、徳川光圀が領内巡検の際、那珂郡額田村(現在の那珂市)から移転建立させた。 玄盛和尚を中興として開山している。1784(天明4)年に焼失、翌年再建された。阿弥陀堂は、山門の仁王像とともに石岡市の文化財に指定されている。
 石岡市井関1024。成賢寺阿弥陀堂の地図
成賢寺阿弥陀堂
成賢寺阿弥陀堂
山伏弁円護摩壇跡
 板敷峠の旧峠、板敷山の山頂近くにある。当時常陸国で布教していた親鸞聖人を快く思っていなかった山伏の弁円が、親鸞聖人を呪った護摩壇の跡。 弁円は、親鸞聖人を亡き者にしようと、ここで三日三晩護摩をたいて念を込め、すぐ近くにある板敷峠(旧峠)で待ち伏せするなどした。 しかし果たせず、その後、親鸞聖人の人徳に触れ、改心して弟子になったという。親鸞二十四輩、明法房として親鸞聖人の布教に尽力した。
 石岡市大増。山伏弁円護摩壇跡の地図
護摩壇跡
山伏弁円護摩壇跡
親鸞聖人法難之遺跡碑
 板敷峠の旧峠にある。板敷峠(旧峠)は、山伏弁円が、親鸞聖人を襲うため待ち伏せした場所とされる。 碑には「親鸞聖人法難之遺跡 板敷山」とある。
法難の地碑
親鸞聖人法難の遺跡碑
善光寺楼門
 小田城第12代城主・小田左衛門尉成治公が1501(文亀元)年に「月光山無量寿院善光寺」として月光山麓に建立した。 1701(元禄14)年、現在地に移される。その後廃寺となり、当時を偲ばせるものは楼門のみとなっている。本堂も残っているが半壊状態。 楼門の特徴は2階部分を造りながら何らかの原因で完成を断念した「三間一戸楼門」の形態。 戦国時代の世相を反映したものとみられ、室町時代後期の建築細部様式を持つ。1993年から1995年にかけて解体修理が行われた。国指定重要文化財。
 石岡市太田948。善光寺楼門の地図
善光寺楼門 善光寺本堂
道祖神峠の入口に建つ善光寺楼門(左)、楼門から階段を登ってある本堂。半壊状態だが、映画やドラマのロケなどで使われている(右)
湯袋観光道路
 湯袋峠の東(茨城県道150号月岡真壁線接続)と風返峠を結ぶ観光道路。 石岡市(旧八郷町)から筑波山への主要な路線。なお全線で終日自動二輪及び原動機付自転車の通行禁止。
湯袋観光道路
湯袋観光道路
北向観音堂
 小野小町伝説が立ち寄ったという伝説が残る。小野小町が皮膚の病のため、山を越えて北向観音堂を訪れ、十一面観世音菩薩に祈願したところ、たちまち平癒したと伝えられる。 北向観音堂は、行基菩薩が弟子に命じて建立されたという菖蒲沢にあった龍光院の別院。本来の本尊は十一面観世音菩薩だが、失われており、現在は聖観世音菩薩が本尊として祀られている。 皮膚病や婦人病、子宝、子育てなどに御利益があるとして広く信仰されている。
 観音堂周辺には、小町伝説の場所が多くある。小町腰掛石、小町姿見の池、小町かんざしの木、小町硯石など。毎年7月15日には、地元の人たちによって万灯会が行われている。
 観音堂は、茨城県道138号つくば石岡線からあぜ道を入る。観音堂の前を小桜川が流れ、ほたる橋という石の橋が架かる。 テレビのロケーションも行われている。
 石岡市小野越。北向観音堂の地図
北向観音 観音堂参道
北向観音堂(左)、観音堂の登る階段(右)
いぼ神様 小町せせらぎ館
観音堂の参道前にあるいぼ神様の霊石(左)、同じく観音堂の参道前にある小町せせらぎ館は旧小野越公民館を利用、万灯会の時などに利用される(右)
小町ほたる橋 観音堂入口
観音堂入口の小桜川に架かる小町ほたる橋(左)、茨城県道138号つくば石岡線沿いにある観音堂入口の案内板(右)
菖蒲沢薬師堂
 筑波山四面薬師如来のひとつ。もとは、筑波山不動院東光寺の奥院として建立された。 東光寺は807(大同2)年、徳一法師の開山。記録では、1646(正保3)年火災で焼失、1696(元禄9)年に再建された。 1839(天保10)年、山林火災で山門、鐘堂などを焼失、1842(天保13)年、小規模に再建された。 この時、薬師如来坐像は、村人たちによって運び出され難を逃れている。
 薬師如来坐像は、2007(平成19)年から行われた修復で、胎内から1687(貞享4)年4月8日、東光寺29代別当の寛泉の建立、 京烏丸大仏師松崎冶兵衛らの作という銘文が見つかっている。
 薬師堂も老朽化してきたことから、同じく2007(平成19)年から修復に着手、2008(平成20)年12月に完成した。 坐像も2009(平成21)年3月に修復が完了。同年7月、開眼供養が行われた。
 石岡市菖蒲沢。菖蒲沢薬師の地図
菖蒲沢薬師堂 薬師如来
菖蒲沢薬師堂(左)、お堂に祀られている薬師如来(右)
菖蒲沢薬師古道
 石岡市菖蒲沢の桑柄山にある菖蒲沢薬師堂に至る古道。入口となる菖蒲沢公民館(筑波山不動院東光寺跡地)から東光寺奥院にあたる菖蒲沢薬師堂まで約500m。 途中分岐が道があり、庚申塚までの約540mと合わせて全体で約1040mの古道。薬師堂が中腹にあるため登山道となっている。 道は階段状に整備され登りやすくなっている。
 古道は、菖蒲沢公民館から進むと、すぐ脇に徳一法師小屋跡、さらに馬櫪神(農耕馬の健康と安全を願う馬の守護神)、二十三夜供養塔(勢至菩薩を祀る)、氏神様、不動尊などが立て続けにある。 さらに進むと左側に天白稲荷神社。稲荷神社の裏に分岐がある。そこを右に進むと薬師如来坐像除き灯篭、仁王門跡を経て、石の階段を一度降りると弁財天を祀る弁天池、さらあに石の階段を上がると菖蒲沢薬師堂がある。
 稲荷神社の分岐を左に進むと大きな岩の下に龍神様がある。ここからの眺望は抜群で浅間山や龍神山などを望むことが出来る。 さらに進むと庚申塚に至る。
 駐車場は、朝日里山学校の駐車場を利用。朝日里山学校から菖蒲沢公民館まで約1.2km。
古道入口 小屋跡
茨城県道138号つくば石岡線からの入口(左)、徳一法師小屋跡(右)
馬櫪神 古道
馬櫪神(左)、整備された古道(右)
二十三夜供養塔 氏神様
二十三夜供養塔(左)、氏神様(右)
不動尊 稲荷神社
不動尊(左)、天白稲荷神社(右)
灯篭 仁王門跡
薬師如来坐像除き灯篭(左)、仁王門跡(右)
弁財天 古道
弁財天(左)、龍神様へ向う古道(右)
龍神様 眺望
龍神様(左)、龍神様からの眺望(右)
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