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筑西市

 読みは「ちくせいし」。つくば市の北西隣に位置する。2005(平成17)年3月28日、下館市と真壁郡明野町、同関城町、同協和町が合併して誕生。 つくば市とは旧明野町地区が隣接する。人口は108,527人(2010年国勢調査)、面積205.35平方km。
 旧下館市は、1889(明治22)年の町村制施行に伴い、下館町、伊讃村、嘉田生崎村、大田村、五所村、中村、河間村、竹島村、養蚕村が成立。 昭和の大合併で、1951(昭和26)年4月1日、下館町と伊讃村が合併し下館町として町域を拡大。 1954(昭和29)年2月1日に、下館町と竹島村、養蚕村が合併し下館町となり、 同年3月15日、さらに五所村、中村、河間村、大田村、嘉田生崎村が編入して市制施行した。 合併前の人口は65,034人(2000年国勢調査)、面積86.25平方km。
 旧明野町は、1954(昭和29)年1月1日、大村町と長讃村が合併、さらに11月3日、大村町、上野村、鳥羽村、村田村が合併し発足した。 合併前の人口は17,796人(2000年国勢調査)、面積48.35平方km。
 旧関城町は、1956(昭和31)年8月1日、関本町と河内村、黒子村が合併して発足した。梨の生産地として知られる。 合併前の人口は16,145人(2000年国勢調査)、面積34.51平方km。
 旧協和町は、1954(昭和29)年12月1日、小栗村、新治村、古里村が合併し、協和村となった。1964(昭和39)年12月1日に町制施行した。 合併前の人口は17,145人(2000年国勢調査)、面積36.24平方km。
 茨城県西部の中心都市。県西合同庁舎があり茨城県の出先機関が集中しているほか、国土交通省下館河川事務所などがある。東西に国道50号、南北に国道294号が走るほか、東西にJR水戸線、中央から南に関東鉄道常総線、中央から北に真岡鉄道が通る交通の要衝地。 鬼怒川、小貝川、勤行川が南北に流れる肥沃な土地で、日本有数の穀倉地帯、同じく梨、そしてこだまスイカの産地として知られる。
 奈良時代、この地方の行政組織であった新治郡衙が置かれていたほか、平安時代には、藤原秀郷が平将門討伐のため、上館、中館、下館を築いたとされる。 また、南北朝時代には関城や伊佐城など、南朝方の拠点として登場。1478(文明10)年、には、この地方の豪族・結城氏の四天王といわれた水谷(みずのや)勝氏が結城氏から下館領を与えられ下館城を築城。 以降、江戸時代まで水谷氏が支配する。1590(天正18)年には、水谷勝俊が豊臣秀吉から下館領4万7000石を安堵されている。 その後、水谷氏が転封、水戸・徳川家の長男・松平頼重が5万石で入る。松平氏転封後は、一時天領時代が挟むものの増山正弥、老中などを務めた井上正岑、寺社奉行などを務めた黒田直邦のいずれも譜代大名が1代限りで入った。 その後1732(享保17)年、寺社奉行や若年寄を務め伊勢神戸藩では名君として領民から親しまれていた石川総茂が2万石で入る。 石川氏が9代続き明治維新となった。明治期以降もこの地方の中心として栄えた。
安倍晴明伝説筑波山麓へ。
下館駅(関東鉄道常総線)、大田郷駅、黒子駅関東鉄道常総線・駅へ。
鬼怒川鬼怒川へ。
小貝川小貝川へ。
真岡鉄道
 真岡鉄道は筑西市の下館駅から栃木県の真岡市などを経て栃木県茂木町の茂木駅に至る全長41.9kmの私鉄。 毎週土日及び祝日、夏休み期間中には蒸気機関車が運行されている。
 運行されているSLは、C11型とC12型で、製造番号を加えC11325号、C1266号と呼ばれている。 毎週土日と祝日、夏休みなどの金曜日などで、定期点検の場合などもあるので要確認。午前10時35分に下館駅を出発、 茂木駅で折り返し午後3時56分に下館駅に戻る。片道は1時間弱。乗車には乗車券のほか、SL乗車整理券(大人500円、小人250円)が必要(指定券ではない)。 整理券は、真岡駅、久下田駅、益子駅、茂木駅のほか、JR東日本のみどりの窓口、びゅうプラザで1カ月前の午前11時から販売。
真岡鉄道SLC12 真岡鉄道SLC11
下館駅近くを走るC12(左)、同じくC11(右)
真岡鉄道 真岡鉄道SL999
現在の真岡鉄道主力車両モオカ14(左)、下館駅近くを走る「999」のヘッドマークをつけたC12。 しもだて美術館「松本零士展−夢の彼方へ」開催を記念し、2016(平成28)年5月21日、22日、6月11日、12日の4日間、 「真岡鉄道999号」として運行された(右)
真岡鉄道重連
真岡鉄道、蒸気機関車の重連運行。手前がC11、奥がC12
下館祇園まつり
 筑西市最大の祭り。羽黒神社(下記参照)の祭礼。毎年7月の最終木曜日から日曜日まで4日間に渡って開催される。 木曜日から土曜日までは、JR下館駅北口前通りをメーン会場に毎年担ぐ神輿としては日本一の大きさを誇る「平成神輿」など、 多くの神輿が登場するほか、最終日である日曜日の早朝には筑西市金井町の勤行川で川渡御する。
 祭りでは、「平成神輿」神輿のほか、日清戦争勝利を記念して造られた「明治神輿」、羽黒神社の相殿神「玉姫依」 の女神輿(姫神輿)などが渡御する。このほか、筑西市内各地区から30数基の子供神輿も通りを練り歩き祭りを盛り上げる。 土曜日の夜は「わっしょいカーニバル」と題して、多くの神輿が集結する。市内の神輿だけでなく市外からの参加もある。 また、平成神輿、明治神輿の競演もみどころのひとつ。
 川渡御は、勤行川に橋上から神輿をクレーンで降ろし、川の中で神輿を担ぐ。さらには神輿を川につけ、水で清める。 川渡御を終えた神輿は、羽黒神社へ向かい宮入りする。
川渡御
川渡御
板谷波山いたや はざん
 筑西市出身の日本陶芸界の巨匠。1872(明治5)年4月10日、真壁郡下館町(現筑西市)生まれ。本名は板谷嘉七。 波山は、筑波山からとったという。東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科入学、岡倉天心、高村光雲らの指導を受ける。 卒業後は、石川県金沢の石川工業学校彫刻科の教師として赴任。1903(明治36)年、教師の職を辞して東京・田端に築窯。このころから波山の号を用いる。 1907(明治40)年には東京勧業博覧会で3等賞を受賞。以降、さまざま展覧会、博覧会で受賞、入選を果たす。 1929(昭和4)年、帝国美術院会員、1934(昭和9)年、帝室技芸員。1953(昭和28)年、陶芸家として初めて文化勲章を受章。 波山が始めたとされる葆光(ほうこう)彩磁はじめ、釉下彩(下絵付)による彩磁や彫文様を生かした磁器などの作品で知られる。 波山の登場以降は、陶芸家が職人ではなく、芸術家として認知されるようになったともいわれる。下館市(筑西市)名誉市民、茨城県名誉県民。 1963(昭和38)年、田端にて没、享年91歳。
板谷波山
板谷波山記念館前にある板谷波山像
板谷波山記念館
 板谷波山の生家跡に、波山の功績を顕彰するため、1980(昭和55)年に開設された。 1995(平成7)年には、庭園、工房、展示館などを整備し新装開館した。
 生家は木造平屋建て、瓦葺、建築面積71.8平方m。明和年間(1764〜71年)の建築とみられる。 6畳2間と3畳の間に玄関と台所がある。工房は、田端にあった波山の工房をそっくり移築したもの。 展示館には波山の作品のほか、愛用していた日用品なども展示されている。
 開館時間は午前10時から午後6時。月曜日休館。入館料は200円、しもだて美術館との共通券は300円。高校生以下無料。 無料駐車場有。 
 筑西市甲(田町)866。板谷波山記念館の地図
板谷波山記念館
板谷波山記念館
アルテリオ
 筑西市の旧下館市中心部にある。地上3階、地下1階。1、2階がしもだて地域交流センター、3階にしもだて美術館、地下は駐車場となっている。 設計を日本芸術院会員の池原義郎氏によるもので、ガラス張りの大きな空中展示プロムナードからは筑波山を望むことも出来る。
 集会室、ギャラリー、地域展示コーナーなどがある。開館時間は午前10時〜午後6時、月曜日休館。入館料は美術館のみ。
 筑西市丙372。アルテリオの地図
アルテリオ
アルテリオ
しもだて美術館
 アルテリオ3階にあるしもだて美術館は、板谷波山はじめ、郷土ゆかりの作家による作品の収蔵・展示を核として、 筑西市オリジナルの文化継承と再発見、さらには新たな地域文化の創造に貢献することを目的としている。 開館時間は午前10時〜午後6時、月曜日休館。常設展の入館料は美術館のみ200円、板谷波山記念館との共通入場券が300円。 高校生以下は無料。企画展の入館料は展覧会によって異なる。
 筑西市丙372。しもだて美術館の地図
あけの元気館・晴明の湯
 筑西市営の天然温泉を中心とした健康増進施設。泉質は、ナトリウム、カルシウムを含む塩化物泉。無色、無臭、塩味。 療養泉として、虚弱児童、慢性婦人病、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病、病後回復期、切り傷などに効果がある。
 温泉は、内風呂、露天風呂(洋風・和風)がある。 和風の露天風呂は、「晴明の湯」と名がつけられている。 浴室には、フィンランドサウナ、水風呂などがある。また、館内の温水プールやトレーニングルームも入浴料だけで利用できる。
 休館日は第2、第4水曜日。営業時間は午前10時から午後10時。入浴料は大人700円(中学生以上)、高齢者600円(満65歳以上)、 小人300円(3歳以上)。
 筑西市新井新田48−1。あけの元気館の地図
あけの元気館
あけの元気館
筑西遊湯館
 鬼怒川のほとり、筑波山を望む場所にある総合健康増進施設。ごみ処理場の余熱を使った温水プールとお風呂がメーンの施設。 温水プールは、スイミングプール、キッズプールなど4種類。お風呂は洋風風呂、和風風呂、露天風呂の3種類。このほかトレーニングルームなどがある。 利用料金は大人(中学生以上)600円、小人(4歳〜小学生)300円、高齢者(65歳以上)500円、障害者(手帳持参)200円、介助者500円。 休館日は第2、第4木曜日(祝日の場合は翌日)。利用時間は午前10時から午後10時30分(土日祝は午後9時まで)。
 筑西市下川島471−2。筑西遊湯館の地図
筑西遊湯館
筑西遊湯館
日本ハム茨城工場
 日本ハムのハム、ソーセージ製品の3割を生産する最大の工場。 茨城工場は、1963(昭和38)年操業開始。敷地面積約81000平方m。新工場が2000(平成12)年4月に完成した。東洋一の規模を誇る。関東全域と東北の一部に商品を供給している。 新工場は、太陽光発電システムや氷畜熱空調システムなどを備えた省エネ工場。2001(平成13)年にISO14001を取得した。 工場に関する説明、工場見学、試食からなる。無料。
 工場見学は毎週土曜日、午前の部(午前10時〜)と午後の部(午後2時〜)の2回。見学時間は約2時間。 見学には事前に申し込みが必要。受付時間は平日の午前10時〜午後5時。見学希望日の1カ月前から受付開始、締め切りは見学日前々日の午後5時。
 なお工場には隣接してハム、ソーセージの手作り体験が出来る下館工房が併設されている。午前11時から午後4時まで。 水曜日定休。手作り体験は約2時間から3時間。材料も1kg〜15kg。有料(525円〜)。
 筑西市みどり町2−1−1。日本ハム茨城工場の地図
日本ハム茨城工場 下館工房
日本ハム茨城工場(左)と下館工房(右)
七羽黒神社
 下館初代城主・水谷将勝は、羽黒神社を中心に、下館城の鬼門、風門、病門、天門と、5社の羽黒神社を創建。 その後、6代城主・水谷正村が1545(天文14)年、久下田城築城の際して、鬼門、病門と、更に2社を創建し、あわせて七羽黒と称した。
羽黒神社
 下館初代城主・水谷将勝が1481(文明13)年、領内鎮護を祈願し、出羽国(山形)の羽黒大権現を勧請、西郷谷に建立した。 羽黒神社は、その後下館城を中心に7つ建立され、七羽黒と称された。羽黒神社は七羽黒の筆頭神社として、歴代城主の崇敬篤く、武運長久、領内安全、子孫繁栄を祈願したと伝えられている。 一間社流造の社殿は、1634(寛永11)年建立のもので、桃山風の建築様式を備えている。本殿と愛宕明神立像、絵馬は茨城県の文化財に指定されている。
 下館祇園祭は、同神社の祭礼で、毎年7月の最終木曜〜日曜に行われる(上記参照)。 神社神輿は2つあり、一つは1992(平成4)年に新調された毎年担ぐ神輿では日本一の大きさを誇る「平成神輿」。 重さは約2t、台座の幅1.4m、高さ3.5m、担ぐ棒の長さは縦7m、横6.4mにもなる。 もう一つは、1895(明治28)年、日清戦争の戦勝を祝って造られた重さ約1tの「明治神輿」。 戦勝を記念しただけあって胴の扉の上には日章旗と軍艦旗が彫刻され、その間には戦争勝利時に飛来したという「鷹」も彫られている。 2010(平成22)年に修復が行われた。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 筑西市甲(大町)37。下館羽黒神社の地図
羽黒神社 羽黒神社御朱印
羽黒神社社殿(左)、御朱印(右)
稲野辺羽黒神社 竹島神社
 鬼門に当たる稲野辺の羽黒神社。明治時代、近隣の神社と共に合祀され、竹島神社となった。稲野辺の地名は残されているが、竹島神社があるのは市野辺。 合祀などの案内板はない。七羽黒で唯一、羽黒神社として現存していない。
 筑西市市野辺。竹島神社の地図
竹島神社
竹島神社
下岡崎羽黒神社
 風門に当たる下岡崎の羽黒神社。金井町の薬師堂、菅谷神明宮とともに結界を形成する。本殿、拝殿は1956(昭和31)年4月の鷹場町の大火で焼失。同年11月再建された。 なお、鷹場町の大火は、同神社で延焼がとまった。鳥居は1996(平成8)年、区画整理によって東南の方角に移された。
 筑西市下岡崎3−1−7。下岡崎羽黒神社の地図
下岡崎羽黒神社
下岡崎羽黒神社
外塚羽黒神社
 病門に当たる外塚の羽黒神社。以前は境内が船の形をしていたこともあり船羽黒とも呼ばれた。城の搦手である岡芹とともに西口の要衝。1980(昭和55)年、区画整理によって現在地に移された。
 筑西市外塚183。外塚羽黒神社の地図
外塚羽黒神社
外塚羽黒神社
上羽黒神社
 天門に当たる岡芹の羽黒神社。城の搦手につくられた。一間社流造の本殿と寄棟造の拝殿、それに絵馬が茨城県の文化財に指定されている。
 筑西市岡芹968−1。上羽黒神社の地図
上羽黒神社
上羽黒神社
大根田羽黒神社
 久下田城の鬼門に当たる大根田の羽黒神社。1995(平成7)年に再建された。
 栃木県真岡市(旧二宮町)大根田。大根田羽黒神社の地図
大根田羽黒神社
大根田羽黒神社
口戸羽黒神社
 久下田城の病門に当たる口戸の羽黒神社。
 筑西市口戸。口戸羽黒神社の地図
口戸羽黒神社
口戸羽黒神社
千妙寺せんみょうじ
 東睿山金剛寿院千妙寺。天台宗の寺。本尊は釈迦如来。最澄の直弟子・慈覚大師円仁が834(承和元)年、現在地より南東の上野の地に創建。 当時は承和寺といった。 その後、平将門の乱による戦火で本堂など全て焼失した。、 859(貞観元)年、清和天皇の勅願による祈祷が行われたとき大恩寺に改められた。 南北朝時代の中ごろ、1351(観応2)年、崇光天皇(北朝3代)の勅により、第16世亮守が現在地の黒子に移転し寺を再興、中興開山とされる。 西の比叡山延暦寺とともに、天台の伝法灌頂道場として栄えた。 盛時には、末寺、門徒寺は7カ国、600余ケ寺を数えたという。伝法灌頂道場は、比叡山延暦寺と千妙寺だけに伝えられる貴重な宗教行事という。
 東国花の寺百ヶ寺茨城第7番。茨城百八地蔵尊霊場第39番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 筑西市黒子214。千妙寺の地図
千妙寺本堂 千妙寺御朱印
千妙寺客殿(左)、御朱印(右)
千妙寺総本堂 千妙寺山門
通称・釈迦堂と呼ばれる千妙寺総本堂(左)、千妙寺山門(右)
積善院の枝垂桜
 積善院の本堂前ある枝垂桜。なお花見は駐車場から、境内へは立入禁止。
 筑西市黒子230。積善院の地図
積善院桜
積善院の枝垂桜
赤浜神社
 承和寺(現在の千妙寺=上記参照)の守護社として、承和寺3代、長意住職が勧請した。俗に「山王さま」と呼ばれている。 元は「日吉神社」または「日枝神社」だったが、明治維新の際、稲荷神社を合祀して「赤浜神社」と改称した。 観請した日吉神社は、近江国の一の宮で、比叡山の近くにあり、東本宮に大山咋命、西本宮に大己貴命を祀っている。 その縁もあって、承和寺の守護神として勧請したと考えられている。承和寺が移転後も、神社はそのまま残った。
 筑西市赤浜525。赤浜神社の地図
赤浜神社
赤浜神社拝殿
船玉古墳
 鬼怒川の左岸の丘陵部に位置する装飾古墳。およそ35m四方の方墳で高さは約4mと推定。玄室。前室、羨道からなる横穴式石室で南側が開口部。 石室は雲母片岩の板石で構築されている。赤と白の顔料で壁画が描かれていた。 古墳時代後期に作られたもので、茨城県内では最大規模の古墳。茨城県指定史跡。 古墳上には現在、船玉神社が祀られている。また、船玉神社脇には七鬼神社がある。
 筑西市船玉。船玉古墳の地図
船玉古墳
船玉古墳
船玉古墳石棺入口 船玉神社
船玉古墳石棺入口(左)、船玉神社(右)
伊佐城跡
 茨城県指定文化財。築城年代は不明。南北朝時代、城主の伊佐氏は、南朝方の北畠親房が拠る小田城に呼応、大宝城、関城などとともに戦った。 しかし北朝方、高師冬の攻撃についに落城、以後廃城となった。
 東は五行川を望む台地にあり、現在の城跡は二の丸跡とされ、観音寺が建立されている。
 筑西市中館522。伊佐城跡の地図
伊佐城跡
伊佐城跡の碑
観音寺
 中館観音。施無畏山延命院観音寺。天台宗の寺。 用明天皇の時代(585〜87年)雨引観音と同じく、中国(梁)出身の法輪独守居士の創建。 本尊の木造観世音菩薩立像は高さ約102cm。鎌倉時代の作で国の重要文化財。別名延命観世音菩薩。
 筑西市中館522。観音寺の地図
観音寺
観音寺本堂
観音寺の桜
 観音寺境内には多くの桜がある。
観音寺桜
観音寺境内の桜
延命水
 中館観音寺が創建されたころ、この地方に疫病が流行し死者が続出していた。 そこで法輪独守居士が、悪疫退散の祈願を行なうと不思議にも清泉が怫然として湧き出てきたという。 そして、この水を飲んだ人はたちまち疫病が治ったと伝えられている。 その後、孝徳天皇の代に再びあらたかな霊験があり天皇の叡感により「延命」という称を賜ったと伝えられる。 現在でも木の根元から水が湧き出している。
 筑西市中館522。延命水の地図
延命水
延命水
五行川ごぎょうがわ勤行川ごんぎょうがわ
 小貝川の支流。延長52.4kmあり、小貝川の支流では最長。栃木県さくら市(旧氏家町)の水田に源を発し、塩谷郡高根沢町、芳賀郡芳賀町、真岡市を経て筑西市に入る。 筑西市では、旧下館市の中心部を流れ、小貝川に流入する。下館祇園祭で有名な川渡御は、五行川で行われる。 また、鮭の遡上する川として知られる。例年10月末から11月にかけて川を上る鮭を見ることが出来る。 旧下館市内の中心市街地の橋の上からよく見ることができる。また、遡上の季節には、さまざまなイベントも行われている。
 国土交通省の表記では五行川となっているが、旧下館市では勤行川と呼ばれることが多い。また、筑西市ではホームページ等の案内でも勤行川と表記している。 勤行の名は、平将門が栃木県・真岡市にある大崎明神に戦勝祈願するため勤行したからという説と、筑西市中館の観音寺の僧がこの川で勤行したからという説があり、由緒ある名前となっている。 なお、五行を冠した橋名はないが、国道50号に架かる橋は「勤行大橋」となっている。
 五行川・勤行川の詳細は小貝川へ。
五行川
五行川
筑西市サイクリングロード
 勤行川(五行川)沿い、筑西市の旧下館市街北側にある仙在大橋から栃木県境までの5.5kmのサイクリングロード。
 筑西市。筑西市サイクリングロード(仙在大橋付近)の地図
筑西市サイクリングロード
筑西市サイクリングロード
勤行川桜づつみ
 勤行川(五行川)沿い、筑西市サイクリングロード沿いに植えられた桜並木。
 筑西市小林。勤行川桜づつみ(南側)の地図
勤行川桜づつみ
勤行川桜づつみ
久下田城跡
 1545(天文14)年、下館城主の水谷正村が、北方の宇都宮氏から下館領を守るため、下館城の北に築城した。 東は五行川を望む台地にあり、筑西市樋口の城山周辺が城域。城跡(二の丸跡)には、城跡公園がある。 茨城県指定文化財。
 筑西市久下田。久下田城跡の地図
久下田城跡
久下田城跡
下館城跡
 1478(文明10)年、水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ築城。3代勝之の時完成した。 水谷氏はその後も戦国時代を生き抜き、さらに関ケ原の戦いでも東軍につき、大名となっている。 城は、平城で、堀を三重にめぐらし、「螺城」の別名を持つ。本丸、二の丸、三の丸があったが、ほとんど当時の遺構は見られない。 現在は、本丸跡に八幡神社が建っており、二の丸は大部分が下館小学校の敷地になっている。
 なお下館藩は、水谷氏が1639(寛永16)年、勝隆の時、備中成羽に転封となった。同年、水戸藩主・徳川頼房の長男・松平頼重が5万石で入封。 1642(寛永19)年、讃岐高松藩へ転封となり、一時天領となったが、1663(寛文3)年、増山正弥が入封、以後井上正岑、黒田直邦と続き、 天領を経て1739(享保17)年、石川総茂が2万石で入封し、石川氏が九代続いて明治維新を迎えている。
 筑西市。下館城跡の地図
下館城跡
下館城跡
関城跡
 国指定史跡。筑西市南端の関舘地区にある鎌倉時代から南北朝時代の城跡。城主は関氏。 東、南、西の三方が旧大宝沼に囲まれ北は台地続きで、土塁と掘割をめぐらせた天然の要塞。 南北朝時代、南2.5kmのところにある大宝城と呼応し、南朝に味方した。 1341(興国2)年、北畠親房らがこの城に入り、城主の関宗祐親子が、わずか300名の兵力で、高師冬ら北朝の軍勢と戦った。 攻めあぐねた師冬軍が、城へ入るための地下道(坑道)を掘った跡などが残されている。およそ2年間戦ったが、関城は力尽き滅ぼされた。 城跡には城主・関宗祐親子の墓がある。 なお、北畠親房は、小田城で書いた神皇正統記を、ここで加筆し完成させたという。落城寸前に脱出し、吉野に帰っている。  
 筑西市関館。関城跡の地図
関城跡
関城跡
荒川家住宅荒七
 下館の中心市街地にある商家。国登録文化財。 主屋、店蔵、付属屋、内蔵、石蔵の5棟。主屋は木造3階建、アールデコ調の洋館で、3階の屋根は方形屋根の特異な外観持つ。 1875(明治8)年の建造物で、5棟のなかで最も新しい。東側には土蔵造2階建の店蔵があり、現在も酒店として使われている。 主屋の北側に付属屋、その北側に内蔵がある。2階建ての土蔵で、5棟のなかでは最も古く、1868(明治元)年の建造物。石蔵は東北端にある。 明治期の下館商店街の繁栄を示す建物として貴重なものとなっている。
 筑西市甲868(田町)。荒川家住宅の地図
荒川家住宅
荒川家住宅
一木歯科医院
 国登録文化財。木造鉄網コンクリート2階建て。1922(大正11)年の建造物。1階が診療室、2階が和室となっている。
 筑西市甲12(田町)。一木歯科医院の地図
一木歯科医院
一木歯科医院
荒川家住宅荒為
 国登録文化財。「荒為」の屋号で知られる商家。旧卸問屋。上記荒川家住宅とは、道を挟んで反対側にある。主屋、旧店蔵、土蔵の3棟。 主屋は、木造2階建て、江戸時代末に建てられた。寄棟造、銅板葺き。旧店蔵は、1908(明治41)年の建物。土蔵造2階建て。 1933(昭和8)年、国道50号の拡幅に伴い、現在の場所に移動した。同時に3階建て、洋館風の袖蔵を増築した。 土蔵は、土蔵造2階建て、明治後期の建造。 上記荒川家住宅同様、明治期の下館商店街の繁栄を示す建物。
 筑西市甲929(田町)。荒川家住宅の地図
荒川家住宅
荒川家住宅旧店蔵と袖蔵
常陸入道念西・仙台伊達氏の祖
 常陸入道念西は、この地方にあった伊佐郡を本拠とした武将で、仙台の独眼流で知られる伊達政宗を輩出した伊達氏の祖とされる。 鎌倉時代、源頼朝による奥州征伐の石那坂の戦い(いしなざかのたたかい)で、念西の4人の息子、為宗、為重、資綱、為家が功をたてた事から、奥州の伊達郡を戦功としてもらい、以降、伊達氏を名乗った。 念西は、初代・伊達朝宗(だて ともむね)とされる。念西は、藤原氏の流れをくみ、祖父の代に常陸に地方豪族として根をはり、伊佐氏を名乗る。 念西の時代には源頼朝につかえ、有力御家人として関東で地位を固めていた。娘(大進局)が頼朝の側室となっている。 なお、伊達領拝領後は、念西は居を伊達郡に移すが、伊佐郡の土地は長男の為宗が治め、引き続き伊佐氏を名乗った。 伊達氏は次男の為重(後の宗村)が相続している。伊達政宗は、念西(朝宗)を初代とし、17代目の子孫。なお、伊佐氏は、南北朝の戦いで南朝方についたため、没落している。
 伊佐城跡には、同じく朝宗より7代目、南北朝時代の武将で、南朝方の伊佐氏を助け、北朝方の高師冬の軍勢と戦った伊達行朝の廟(供養塔)がある。
伊達行朝廟
伊達行朝廟
下館駅
 JR東日本水戸線、関東鉄道常総線、真岡鉄道の3つの路線が交差する。関東鉄道常総線と真岡鉄道は終点駅となる。 北側から順に、1番線・真岡鉄道、2,3,4番線・JR東日本水戸線、5,6番線関東鉄道常総線のホームとなる。 開設は1889(明治22)年、水戸線が水戸鉄道として、小山・水戸間の開通に伴うもの。 その後1912(明治45)年、真岡鉄道が真岡軽便線、下館・真岡間が開通。 1913(大正2)年、常総線が常総鉄道として取手・下館間が開通した。 茨城県内で3つの鉄道事業者(JR貨物を除く)による3路線が乗り入れている駅は下館駅のみ。
関東鉄道常総線下館駅の詳細は関東鉄道常総線・駅へ。
 筑西市乙86。下館駅の地図
下館駅
下館駅
中村美術サロン
 旧下館市内の旧家・中村家の土蔵を改造した美術館。中村家は代々続く名家で、9代目は俳号を「風篁」といい、与謝蕪村を支援するなど、文化に理解が深かった。 そのDNAが受け継がれ、19代目が現在のサロンをオープンさせた。中村家所蔵の板谷波山の作品はじめ、日本画や油絵を展示。 また、多くの個展も開かれている。白壁の土蔵造りの建物が目印。
 筑西市甲(大町)46。中村美術サロンの地図
中村美術サロン
中村美術サロン
関城の梨
 筑西市関城地区(旧関城町)は日本でも最も古い梨の産地のひとつ。「幸水」「豊水」「大高」が主な品種。 茨城県銘柄生産地。夏から秋にかけてがシーズン。関城地区の沿道では、梨の直売所も設けられる。  
協和の紅こだまスイカ
 筑西市協和地区(旧協和町)は、国内有数のこだまスイカの生産地。紅こだまスイカは実が赤い品種。茨城県の銘柄産地指定を受けている。 協和地区の沿道では、紅こだまスイカの直売所も設けられる。
JA北つくばきらいち筑西店
 2004(平成23)年10月26日オープン。 売場面積約466平方m、駐車場は約120台。 このほか、地元農家と消費者の交流を図る場として多目的ホール約70平方m、体験農園約1000平方mがある。
 営業時間は午前9時〜午後6時30分(4月〜10月)、午前9時30分〜午後6時(11月〜3月)、毎月第3水曜日定休。
 筑西市西方838−1。きらいち筑西店の地図
きらいち筑西店
きらいち筑西店
JA北つくば協和直売所
 協和農産物直売所。営業時間は午前9時〜午後4時、毎週火曜日、土曜日定休。
 筑西市上星谷369。協和直売所の地図
県西総合公園
 「スポーツ、レクリエーションを通じた地域コミュニティの向上」を目的に整備された。1992(平成4)年開園。 多目的広場、バーベキュー広場、野外ステージ、テニスコート、ターゲットバードゴルフ場、体育室や会議室があるコミュニティクラブハウスなどがある。 公園の入園は無料だが、多目的広場やバーキュー広場などの利用は有料。
 開園時間は午前8時30分〜午後9時(12月〜3月は午後5時まで)。第1水曜日(祝日の場合は翌日)及び1月1日、12月31日が閉園。
 筑西市桑山2818。県西総合公園の地図
コミュニティクラブハウス
コミュニティクラブハウス
親水池 南モニュメント
親水池とあずまや(左)、南側入口モニュメント(右)
多目的広場 こども広場
多目的広場(左)、こども広場の巨大遊具(右)
大鳥の桜 明野公民館の桜
 明野公民館の周囲に植えられている桜。明野公民館のある場所は、旧明野町立大鳥中学校の跡地。 1951(昭和26)年3月、当時の大村・鳥羽村組合立大鳥中学校第2回卒業生が、その記念として、1人1本づつ、計170本の桜の苗木を植えたもの。
 筑西市海老ケ島2120−7。大鳥の桜の地図
大鳥の桜
大鳥の桜
日立化成桜並木
 日立化成株式会社下館事業所(五所宮)にある桜並木。1974(昭和49)年3月、当時の工場長が「市民の憩いの場となるように」 との願いから植えたもの。工場東側の道路沿いに約200本の桜が植えられている。
 筑西市五所宮1150。日立化成下館事業所の地図
日立化成桜並木
日立化成桜並木
新治廃寺跡
 奈良時代にあった寺跡。国指定史跡。 1939(昭和14)年に始まった調査で、金堂の東西に塔を配し、北側に講堂がある伽藍配置であることがわかった。 また、多くの古瓦が出土している。建物のあった部分には盛土され、遺跡が保護されている。そのため、伽藍配置がイメージしやすい。 国道50号沿いにある。石碑と案内板がある。
 筑西市久地楽、古郡。新治廃寺跡の地図
新治廃寺跡
新治廃寺跡。東塔から金堂の方向を望む
新治郡衙跡
 奈良時代の古代律令制度のもとにあった新治郡(現在の筑西市、桜川市、笠間市あたり=近世の新治郡とは別)の役所跡。国指定史跡。 1941(昭和16)年に始まった調査で、庁舎跡と倉庫跡を計51棟確認。 また、『日本後紀』の817(弘仁8)年に常陸国新治郡の不動倉13棟と穀9990石を焼失したという記事と符合する建物跡と炭化した穀物も確認されている。 現在は、遺跡のほぼすべてが畑となっており、遺構はない。石碑と案内板だけが、畑のなかにある。
 筑西市古郡。新治郡衙跡の地図
新治郡衙跡
新治郡衙跡の碑と案内板
内外大神宮ないげだいじんぐう
 大同年間(806〜810年)の創建と伝えられる。伊勢神宮と同じく内宮に天照大神、外宮に豊受大神を祀る。 本殿は応永年間(1394〜1427年)に焼失、1679(延宝7)年に再建されたもの。 内宮、外宮の本殿が並んであり、向かって右が内宮、左が外宮。本殿が並んでいるのは茨城県内では珍しいという。両宮本殿とも三間社神明造。 御遷殿は、遷宮(せんみや)ともいい、1574(天正2)年の建立。一間社流造。2009(平成21)年、両本殿及び御遷殿が国の重要文化財に指定されている。
 小栗周辺は平安時代後期に、伊勢内宮領となった。茨城県内で唯一の御厨(みくりや=小栗御厨)で、常陸大掾・平維幹の曾孫である重義(重家)が小栗氏を名乗り、代々この地を治めた。
 筑西市小栗1。内外大神宮の地図
内宮本殿 外宮本殿
内宮本殿(左)と外宮本殿(右)
内外大神宮拝殿 御遷殿
内外大神宮拝殿(左)と覆屋に保護されている御遷殿(右)
雲井宮郷造神社くもいのみやくにつくりのみやつこじんじゃ
 祭神は、正殿が武甕槌命、左殿・事代主命、毘奈良珠命、右殿・大国主命、御名方命。元鹿島大明神で、地元では「明神様」と呼ばれる。 常陸西国三十三観音札所第2番。境内には天神宮、道祖神が祀られている。
 筑西市倉持928。雲井宮郷造神社の地図
雲井宮 雲井宮本殿
雲井宮拝殿(左)、本殿(右)
雲井宮門 雲井宮門
雲井宮門(左)、天神宮(右)
定林寺
 玉叟山定林寺。曹洞宗の寺。もとは稲野辺にあり、般若山定林寺といい、真言宗の寺だった。下館城主水谷家の菩提寺として、水谷氏歴代の墓がある。 1481(文明13)年、、初代下館城主水谷勝氏が、結城の乗国寺から良室欣栄和尚を開山に迎え、曹洞宗に改宗した。この時、玉叟山に改めた。玉叟は勝氏の号。 境内にある銅鐘は、室町時代の作で、1567(永禄10)年、第7代下館城主水谷勝俊の寄進。 また、境内には鎌倉時代のものと見られる板碑がある。いずれも茨城県指定文化財。
 筑西市岡芹957。定林寺の地図
定林寺本堂 定林寺山門
定林寺本堂(左)、定林寺山門(右)
妙西寺
 祥雲山妙西寺。曹洞宗の寺。もと善陽寺といい、真言宗の寺だった。 1586(天正14)年、第6代下館城主・水谷政村が母の冥福を祈るため、結城の安穏寺から天秀真慧和尚を招き開山とし、これ以降曹洞宗に改宗した。 山号の祥雲、寺号の妙西は、母の法名・祥雲院殿蓮室妙西大姉からとったもの。
 筑西市乙(新花町)657。妙西寺の地図
妙西寺
妙西寺本堂
加波山事件志士の墓
 妙西寺の門前にある。間口4m、奥行き2mほどの大きさで、4本の角柱の墓が建てられている。 角柱には、加波山事件で亡くなった、茨城県と栃木県出身の富松正安、保多駒吉、玉水嘉一と平尾八十吉の4人の名前がそれぞれに刻まれている。
 筑西市乙(新花町)657。加波山事件志士の墓の地図
加波山事件志士の墓
加波山事件志士の墓
雷神社
 樋口雷神社として知られる。1087(寛治元)年、源義家が後3年の役で勝利し、帰陣の途中、この地で休憩し、一宇を建立し、戦勝の報賽を行ったのがはじめりという。 本殿は、1776(安永5)年の再建。拝殿は、1779(安永8)年の建立。幣殿は1689(元禄2)年、拝殿として建立され、新しい拝殿の建立とともに、幣殿に改築された。 旧暦3月16日に行われる湯立祭は、1691(元禄4)年から続いており、湯立てにより、その年の吉凶を占う神事。
 筑西市樋口412。雷神社の地図
樋口雷神社
樋口雷神社社殿
湯立祭 ゆたてさい
 樋口雷神社で行われる湯を使ってその年の吉凶などを占う神事。毎年4月の第1日曜日に行われる。 「雷神社の湯立祭」として筑西市無形民俗文化財に指定されている。
 1691(元禄4)年、本殿改築の説きから始まったという。境内に4本の竹と注連縄などで結界を作り、 その中央に釜を据え湯を沸かす。行者は、笹の枝で湯を頭上から降り注ぐ行為を繰り返し、 最後には神がかってお告げを氏子や講中に伝える。 当日は朝から氏子が中心となって準備が進められ、午前11時から神楽の奉納、 午後3時から花火を合図に湯立の神事が行われる。
湯立祭 湯立祭神楽
湯立祭(左)、湯立祭で奉納された神楽(右)
薬師堂
 1478(文明10)年、初代下館城主水谷勝氏の建立といわれる。もと大徳寺というお寺だった。 薬師堂は、1691(元禄4)年の再建と伝えられている。本尊は薬師如来。木造欅材入母屋造平屋瓦葺。蟇又に十二支の彫刻、正面に龍の丸彫がある。 眼病に御利益があるとして信仰を集めている。
 筑西市甲(金井町)898。薬師堂の地図
薬師堂 薬師堂大欅
薬師堂(左)、薬師堂前にある大欅(右)
五所神社
 722(養老6)年の創建とされる。1189(文治5)年、源頼朝の奥州征伐に従った伊佐氏が戦功により伊佐荘を領有した時、5ケ所の神霊を祀り創建したとも伝えられる。 祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売命。境内社として、日枝神社、八幡神社、熊野神社、天満神社、稲荷神社が祀られている。 現在の本殿は1622(元和8)年の再建。三間社流造、銅瓦棒葺。 伊佐荘33カ村の総鎮守。歴代領主からも崇敬された。
 筑西市五所宮1。五所神社の地図
五所神社
五所神社社殿
三所神社
 祭神は誉田別命(八幡神)、武甕槌命(鹿島神)、経津主命(香取神)の三社を祀る。 811(弘仁2)年、武甕槌命を勧請し創建。その後、近隣の八幡神社、香取神社を合祀したことから三所神社となる。 現在の本殿は1912(大正元)年の再建。
 筑西市村田1700。三所神社の地図
三所神社拝殿 三所神社本殿
三所神社拝殿(左)、本殿(右)
二所神社
 祭神は武甕槌命、別雷命。平安時代後期、成田氏が、鹿島神宮から神霊を勧請し、成田鹿島神社として祀った。 1186(文治2)年、一の谷の戦いにおける戦功で、小貝川筋12郷を領地として賜ったので、その神徳に感謝し鹿島神社として再建した。 1877(明治9)年、別雷神社を合祀し二所神社と改称した。旧郷社。大正時代まで流鏑馬が行われていた。 境内に大榊がある。
 筑西市成田368。二所神社の地図
二所神社拝殿 二所神社本殿
二所神社拝殿(左)、二所神社本殿(右)
春日神社
 祭神は、天児屋根命、大日霎貴命、武甕槌命、斎主命。藤原武麿が麿山(現在地の西方)に創建した。 784(延暦3)年、現在地に遷座したという。旧村社。1665(寛文5)年、領主の井戸氏(旗本)が本殿と拝殿を建立した。 現在の本殿は1848(嘉永元)年の再建とされる。一間社流造。屋根は「とち葺き」(板葺きの一種)。
 筑西市嘉家佐和1772。春日神社の地図
春日神社
春日神社社殿
関本神社
 1873(明治6)年4月、稲荷神社に、当時の関本村内にあった鹿島神社、若宮八幡神社、郡神社、神明神社を合祀、関本神社となった。 筑西市の無形民俗文化財となっている「太太神楽」(だいだいかぐら)は、毎年春の3月3日と秋の11月23日の大祭で奉納されている。 神楽は十二座からなる高千穂系神楽。 境内にある欅(けやき)は、推定樹齢400年以上の古木。筑西市指定の天然記念物となっている。
 筑西市関本上1404。関本神社の地図
関本神社
関本神社
関本神社拝殿 関本神社本殿
関本神社拝殿(左)、本殿(右)
福蔵院
 慈眼山福蔵院光福寺。梶内観音。天台宗の寺。行基菩薩作と伝えられる十一面観音が本尊。1刀3礼の作とされ、安産、子育てに霊験があるとして知られる。 838(承和5)年慈覚大師の創建という。江戸時代の1711(正徳元)年、定観が中興した。 毎年3月17日は、護摩法要が盛大に行われる。
 茨城百八地蔵尊霊場第40番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 筑西市梶内805。梶内観音の地図
梶内観音
梶内観音
延命寺
 荘台山地蔵院延命寺。真言宗豊山派。本尊は地蔵菩薩。創建は1637(寛永14)年以前という。 江戸時代、徳川家の庇護厚く、本堂には、1708(宝永5)年につくられたという2代将軍秀忠公、3代将軍家光公、4代将軍家綱公の 位牌が安置されている。また、代々の将軍から賜った朱印状が残されている。境内、本堂前には樹齢300年を超える枝垂桜がある(下記参照)。
 筑西市伊佐山142。延命寺の地図
延命寺堂 延命寺門
延命寺
延命寺の枝垂桜
 延命寺の境内にある樹齢300年を超える枝垂桜。花の時期にはさまざまなイベントや夜のライトアップも行われる。
 筑西市伊佐山142。延命寺の地図
延命寺桜
延命寺の枝垂桜
観音院
 正法山観音院。別名律院。檀家を持たない寺院。1744(延享元)年の創建。本堂は1862(文久2)年の建立。 三間四方総檜方形造。蟇又に十二支、正面欄間に花鳥風月の彫刻がある。筑西市指定文化財。 境内には樹齢150年というしだれ桜(下記参照)や江戸の石工が建てたという宝篋印塔がある。
 筑西市森添島1107。観音院の地図
観音院本堂 観音院境内
観音院本堂(左)、桜の時期の境内(右)
観音院の枝垂桜
 正法山観音院の境内にある樹齢150年を超える枝垂桜。境内入口には紅枝垂桜もある。
 筑西市森添島1107。観音院の地図
観音院桜
観音院の枝垂桜
田中稲荷神社
 田中稲荷大明神。祭神は倉稲魂命。古くから田中村(現在の田町、金井町、末広町、春日町、桜町)の惣社。 1189(文治5)年、源頼朝が奥州征伐の帰路、詣でたという記録がある。1789(寛政元)年、神位を受け正一位田中稲荷大明神。 1857(安政4)年、火災により焼失。1863(文久3)年、現在地に移転、再建。
 筑西市甲(田町)856。田中稲荷神社の地図
田中稲荷神社
田中稲荷神社
鹿島神社東石田
 平国香の本拠のあった場所とされる。
 筑西市東石田。鹿島神社・東石田の地図
鹿島神社東石田 鹿島神社東石田本殿
東石田の鹿島神社(左)、本殿(右)
鞍懸神社
 旧村社。
 筑西市宮後。鞍懸神社の地図
鞍懸神社拝殿 鞍懸神社本殿
鞍懸神社拝殿(左)、本殿(右)
長光寺
 石田山長光寺。曹洞宗の寺。鹿島神社とともに、平国香の本拠のあった場所とされる。
 筑西市東石田。長光寺の地図
長光寺本堂 長光寺山門
長光寺本堂(左)、山門(右)
長光寺の桜
 山門と本堂の間にある。また、境内には枝垂桜、本堂裏には山桜がある。
長光寺桜
長光寺の桜
長福寺
 宮後山法受院長福寺。浄土真宗の寺。1234(文暦元)年、西願御坊の開基とされる。 西願は、常陸源氏の棟梁、佐竹頼泰の子孫で、宍戸三郎重俊といい、宍戸を領していたが、戦に破れて真壁に逃れた。 その頃、東国布教の親鸞聖人に出会い、1228(安貞2)年、弟子となり、西願の法名を賜る。 長福寺は、江戸時代、幕府から庇護され、1685(貞享2)年には、徳川綱吉から寺領を賜っている。
 筑西市宮後1029−1。長福寺の地図
長福寺
長福寺
尊像寺の枝垂桜
 尊像寺境内にある枝垂桜。
 筑西市成田451。尊像寺の地図
尊像寺桜
尊像寺の枝垂桜
来福酒造
 創業は1716(享保元)年。創業以来の銘柄である「来福」は、「福や来む 笑う上戸の 門の松」という俳句からとったもの。 「来福」は、通常の吟醸、純米などの銘柄のほか、花酵母を使った商品を展開している。 花酵母は、自然界の花から清酒酵母を純粋分離したもの。ナデシコ、ツルバラ、アベリア、オシロイバナなど13種類の酵母がある。 このほか「真向勝負」という品質重視の銘柄も販売している。
 蔵見学を受け付けている。平日午前9時30分〜午後3時。土曜日午前10時〜午後3時。20人以内。予約が必要。見学時間は約1時間。 また、酒造り体験も行っている。期間は11月から3月まで。平日及び土曜日、祝日の午前8時から正午まで。こちらも予約が必要。
 筑西市村田1626。来福酒造の地図
来福酒造
来福酒造
宮山ふるさとふれあい公園
 宮山観音古墳など史跡があるほか、キャンプ場やどんぐりの林、トンボ池などがあり自然に親しむことが出来る。 展望台からは筑波山が望め、建物内には安倍晴明の展示がある。また、地元産の農産物を直売するあけのアグリショップがある。 このほか、陶芸工房では、焼き物体験が出来る。
 自然豊かな平地林のなかにあるキャンプ場は、サイト数20。利用期間は7月1日から9月30日までの夏期のみ。
 筑西市宮山504。宮山ふるさとふれあい公園の地図
ふれあい公園キャンプ場
豊かな自然の中にある宮山ふるさとふれあい公園キャンプ場
ふれあい公園管理センター ふれあい公園展望台
ふれあい公園管理センター(左)とふれあい公園展望台(右)
宮山ふるさとふれあい公園の桜
 ソメイヨシノほか枝垂桜などが園内に咲く。
宮山ふるさとふれあい公園桜
宮山ふるさとふれあい公園の桜
ひまわりの里
 宮山地区の約2.8haにひろがるひまわり畑。東北八重ひまわりを中心に約100万本のひまわりが植えられている。 ひまわりの開花時期に合わせ毎年9月上旬には、「あけのひまわりフェスティバル」が開催され、多くの人でにぎわう。 ひまわりの里を一望できる展望塔も設置され、一面のひまわり畑を楽しむことが出来る。
 筑西市宮山。ひまわりの里の地図
ひまわり畑
筑波山を背景にした一面のひまわり畑
旭ヶ丘の桜
 母子島遊水地のある旭ヶ丘地区にある桜。地区の周囲を取り囲むようにある。
 筑西市旭ヶ丘。旭ヶ丘の地図
旭ヶ丘桜
旭ヶ丘の桜
母子島遊水地
 小貝川からの水害防止を目的にした母子島遊水地。初期湛水池からの筑波山は写真撮影スポットとして知られる。
 1986(昭和61)年8月4日の台風10号による水害で、大きな損害を被った、小貝川とその支流の大谷川の合流部にあった 当時下館市嘉田生崎の5地区(一丁田、飯田、椿宮、母子島、小釜)が集団移転、遊水地にした。 当時の建設省の直轄河川激甚対策特別緊急事業の指定を受け建設された。面積約160ha、貯水能力約500万立方m。 遊水地は、初期湛水池を除き、通常は水田として利用されている。洪水時には、堤防に設けられた越流堤から水が流れこみ、氾濫を防ぐ仕組み。 なお集団移転した5地区は、遊水地の一角に、これまでより5mほど嵩上げした土地に集団移転、地名も旭ケ丘とした。
 初期湛水池は、合流部付近にある。広さ11ha、貯水量は10万立方mある。小さな洪水では、ここで調整し、水田に被害が出ないようにしている。 現在では、筑波山の撮影スポットとして人気がある。池面に映る逆さ筑波はじめ、頂上からの日の出が美しいダイヤモンド筑波などで、特にダイヤモンド筑波が撮影できる時期には多くのカメラマンで賑わう。 なお、湛水池脇には駐車場が整備されている。
 ダイヤモンド筑波などの様子は筑波山のビューポイントへ。
 筑西市飯田。母子島遊水地湛水池駐車場の地図
母子島遊水地湛水池
母子島遊水地初期湛水池
母子島遊水地 母子島遊水地越流堤
母子島遊水地。通常は主に水田として利用されているが、洪水時はここに水を溜める(左)、 小貝川との間にある越流堤、堤防の一部が低くなっており洪水時はここを越えて遊水地に水が流れ込む(右)
母子島遊水地の桜
 母子島遊水地の湛水池周囲にある桜。
母子島遊水地桜
母子島遊水地桜
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