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笠間市
茨城県笠間市は、石岡市の北側、桜川市の東隣に位置する。つくば市とは隣接していないが、筑波山塊がつながっている。
笠間焼と笠間稲荷神社が有名。陶芸の街、石(稲田石)の街として知られる。また、天狗伝説なども残る。
2006(平成18)年3月19日、笠間市と西茨城郡友部町、岩間町が合併して新しく笠間市になった。
人口は76,739人(2015年国勢調査)、面積は240.27平方km。
旧笠間市は、1955(昭和30)年2月11日、笠間町と大池田村、北山内村、南山内村の1町3村が合併。 さらに、1956(昭和31)年4月10日、友部町の一部を編入、1958(昭和33)年2月25日、稲田町と合併し、市制施行した。 旧笠間市街は、笠間稲荷神社の門前町と思われがちだが、笠間藩の城下町という一面もある。 忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野家は、笠間から移ったこともあり四十七士にゆかりの場所がある。 合併前の人口は29,668人(2005年国勢調査)、面積は131.61平方km。 旧友部町は、1955(昭和30)年1月15日、宍戸町と大原村、北川根村が合併して誕生。 1955(昭和30)年3月31日、鯉渕村の一部を合併した。江戸時代、宍戸町は水戸徳川家の分家である松平氏が治め、宍戸藩1万石の城下町だった。 また、水戸と小山を結ぶ街道筋にあり、交通の要衝として栄えた。 また、友部駅は、水戸線と常磐線の分岐点で、駅前が発達した。 合併前の人口は35,526人(2005年国勢調査)、面積は58.71平方km。 旧岩間町は、1954(昭和29)年11月23日、岩間町と南川根村が合併して誕生。町西部の愛宕山一帯は、吾国愛宕県立自然公園に指定されている。 合併前の人口は16,303人(2005年国勢調査)、面積は49.93平方km。 稲田石については筑波山地域ジオパークへ。 愛宕山や吾国山の登山は吾国愛宕縦走コースへ。 日本遺産 かさましこ 兄弟産地が紡ぐ”焼き物語” 笠間焼の笠間市と益子焼の栃木県益子町は焼き物の兄弟産地で東日本最大の窯業地でもある。 益子町からは人間国宝の濱田庄司、同じく笠間市からは人間国宝の松井康成を生んでいる。 ”兄”笠間焼と”弟”益子焼の誕生と歴史のストーリー。2020(令和2)年6月19日認定。 日本遺産は文化庁の認定する地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーで、 それを語る上で欠かせない有形無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備し、国内だけでなく海外にも発信していこうというもの。 両市町は、八溝山地鶏足山塊を挟んで近接し、古代から須恵器づくりに必要な粘土、水、燃料の木材に恵まれ 8世紀から10世紀頃の古代窯跡からの出土品には共通した技法が多数見られるという。同じ技術圏だったと見られる。 江戸時代の18世紀後半、笠間の箱田村の名主・久野半右衛門が古代窯で使われていた良質の粘土に目をつけ、信楽(現在の滋賀県)の陶工の 指導を受けて焼き物を始めたのが笠間焼の始まりとされる。 19世紀後半、箱田村の鳳台院で寺子屋教育を受けていた大塚啓三郎が久野窯で焼き物作りを知り、 ここで焼き物修行をして益子で窯を築いたのが益子焼の始まりという。 両産地の製品は、壺や水甕、土鍋など使い勝手のいい日用品。明治時代になると笠間、益子に生産者の組合が設立される。 両産地は特約を結んで出荷規格を統一し連携するなどシて協力してきたという。その後、存続の危機に陥るなど冬の時代もあったが、 その後時代に合わせた技術革新を行い、多様な作風を取り入れるなど、自由でおおらかな創作環境に変わった。 現在では、実用性の高い「器」に限らずデザイン性や機能美を追求した「うつわ」をはじめ、オブジェなどの生活造形も盛んで、 芸術性を追求した陶芸も盛んで、現在では両市町で600人を超える陶芸家が活躍している。 笠間市の構成文化財群は、楞厳寺、笠間氏累代の墓地、三所神社、木造弥勒仏立像、木造薬師如来立像、唐本一切経、稲田神社、 久野陶園、笠間焼発祥に係わる登窯、鳳台院山門、海鼠釉流掛茶壺、黒釉捏鉢、笠間城跡、茨城県立笠間陶芸大学校、松井康成作品、 春風萬里荘、笠間稲荷神社本殿、田中友三郎彰徳碑。 笠間稲荷神社 祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。 五穀豊穣、商売繁盛、除災招福の神として古くから信仰され、関東はもとより日本各地から年間350万人の参拝客が訪れる。 なお、正月の初詣には約80万人が参拝者に訪れ、茨城県初詣参拝者数第1位。京都・伏見稲荷、愛知・豊川稲荷と並んで日本三大稲荷の一つ。 創建は、社伝によると、651(白雉=はくち=2)年とされ、1350余年の歴史がある。 奈良時代に編纂された『常陸風土記』には、この地で宇迦之御魂神への信仰が行われたとの記載がある。 別名、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)、「紋三郎稲荷」とも呼ばれる。 江戸時代には、松平、浅野、牧野など、歴代の笠間藩主が崇敬した。そのほとんどが、笠間を離れる祭、その分霊を新しい領地で祀っている。 本殿は江戸時代末期のもので国の重要文化財。側面に施された彫刻が素晴らしい。また、国道から見える朱塗りの大鳥居は街のシンボルにもなっている。 仲見世の参道入口には従来、御影石製の鳥居が3つ(手前から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居)あったが、東日本大震災などの影響で倒壊した。 2016(平成28)年3月4日、一の鳥居の再建工事が着工、同年10月9日完成した。鳥居は鉄製で大きさは高さ約10m、幅約12m、「笠間朱色」に塗られている。 常陸七福神で大黒天を祀る。本殿右側にある聖徳太子を祀った聖徳殿に合祀されている。 常陸七福神については常陸七福神へ。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市笠間1。笠間稲荷神社の地図 笠間稲荷神社拝殿 笠間稲荷神社楼門(左)、国指定重要無形文化財の笠間稲荷神社本殿(右) 大黒天を祀る聖徳殿(左)、彫刻が素晴らしい手水舎(右) 再建された鳥居(左)、総門(右) 笠間稲荷神社御朱印(左)、大黒天御朱印(右) 笠間稲荷神社節分追儺式 拝殿前に特設撒豆台が設けられ2月3日に行われる悪疫退散や除災、招福の神事。 午後3時及び午後7時の2回、拝殿での神事後、撒豆台で神職が古式に則り桃の弓、葦の矢、桃の杖で追儺式。 その後豆まきが行われる。境内いっぱいに集まった人たちを前に、正装した約200人が撒豆台から福豆や福銭をまく。 特設豆まき台からの豆まき 笠間稲荷神社神事流鏑馬 笠間稲荷神社で毎年11月3日に行われる。笠間小学校脇の道路に造られた幅2m、全長260mの特設馬場が会場。 神事流鏑馬では的中度や的の割れ方などから来年の農作物の豊凶を占う。 流鏑馬は1950(昭和25)年の第1回文化の日に最初に行われ、以降毎年実施されている。 特設馬場には、3カ所の的が設けられる。一の的は馬場元から30m、そこから75m先に二の的、さらに75m先に三の的で、2mの高さに正方形の的がつけられる。 午前10時、鎌倉時代の流鏑馬装束を身に着けた射手が拝殿前で神事を行った後、約700m離れた特設馬場まで古式にのっとり列を組んで進む。 同じく午後2時からも同様に行われる。 流鏑馬は、二大流派の一つである弓馬術礼法宗家、小笠原流が行い、鶴岡八幡宮、日光東照宮と並び三大流鏑馬の一つに数えられている。 流鏑馬神事 笠間稲荷神社釿始式 釿始式(ちょうなはじめしき)は、笠間稲荷神社で毎年1月5日に行われる神事。「木造り始め」ともいわれる。 工匠(宮大工)が、侍鳥帽子、直垂(ひたたれ)姿で釿始の神事を執り行う。 釿は現在はあまり使われていないが手斧のことで、大工道具の一種。神事ではこのほか、のこぎりや曲尺、墨坪、鉋を使い、儀式を行う。 大工をはじめとする建築関係者が仕事を始める前に、この神事に出席し1年間の工事の安全を祈願する。 笠間稲荷神社釿始式(左)、神事(右) 笠間稲荷神社御田植祭 笠間稲荷神社の豊作を祈る神事。神社の西約1kmにある約300坪の御神餞田で毎年5月10日に行われる。 午前10時の花火を合図に、御神餞田前に祭壇や舞殿が設けられ、神楽舞、「稲荷舞」、「迦陵頻(かりょうびん)」が奉奏された。 その後、御田植祭歌が奉唱される中、伝統的な衣装を纏った早乙女らによって苗が植えられた。 収穫された米は、御米(みけ)として毎日、神前に供えられる。 笠間市石井。笠間稲荷神社御神餞田の地図 田植えを行う早乙女ら 笠間稲荷神社夏越し大祓茅の輪くぐり 大祓いは、毎年6月と12月の晦日に行われている。6月は夏越し大祓いとして、 半年間の罪や穢れを祓い清める神事。神事の後、神職、巫女、参列者の順で輪くぐりを行う。 茅の輪くぐり 笠間稲荷神社車の茅の輪くぐり 交通安全祈願を目的に直径6mほどの巨大な茅の輪を車ごとくぐる神事。笠間稲荷神社夏越し大祓の一環。 笠間市笠間の笠間稲荷神社外苑駐車場を会場に6月の最終日曜日に行われている。 交通問題が顕著になってきた1966(昭和41)年から行われており50年以上の歴史がある。 午前10時から神事などを行った後、消防車やパトカーに続いて乗用車、トラックなどの一般車両はじめオートバイなども茅の輪くぐりを行った。 1台ごとに御祓いを行い、歩いて行う茅の輪くぐり同様に、8の字を描くように茅の輪をくぐった。 一般車受付は午前11時から午後3時、初穂料は2000円。 笠間市笠間1014−4。笠間稲荷神社外苑駐車場の地図 茅の輪くぐりを行う消防車 笠間稲荷神社古札炎上祭 古札炎上祭は、いわゆる小正月の行事であるどんど焼きで、笠間稲荷神社に納められた御札や御守の御焚き上げ行い、 御守護いただいた御札や御守の御神徳に感謝するとともに、1年の無病息災を祈願する神事。毎年1月15日、笠間市来栖の水田で行われている。 神事に続き、氏子総代らが点火する。 笠間稲荷神社古札炎上祭 笠間稲荷神社古札炎上祭での神事(左)、同じく氏子総代らによる点火(右) 笠間稲荷神社献燈祭 笠間稲荷神社の境内で8月の第1土、日曜日に開催される。2日間に限って夜間参拝が認められる。 その名の通り氏子や崇敬者から奉納された燈籠が境内に並ぶ。 笠間稲荷神社拝殿前 笠間稲荷神社楼門前(左)、同じく鳥居と門の間(右) 笠間稲荷神社小笠原流弓馬術礼法三三九手挟式 弓の小笠原流による天下泰平を願う「弓馬術礼法三三九手挟式」が、9月の秋分の日(前後の日曜日の場合有)に奉納されている。 小笠原流は、約1100年前に弓法を確立、源氏姓を賜った。その後源氏の弓術指南役となり1174(承安4)年に天皇から小笠原姓を賜っている。 以来、将軍家の弓術師範をしている。 三三九手挟式では、鎌倉時代から伝わる装束で歴史絵巻を展開。 午前11時から拝殿で神事、その後社殿前で「三三九手挟式、始めませい」の発声を合図に、前弓、後弓に分かれた射手がそれぞれ美しい作法で板的に 矢を放ち、的中した数を競った。最後に大将戦を行った。 社殿前で行われた小笠原流弓馬術礼法三三九手挟式の大将戦 笠間稲荷神社八重の藤 笠間稲荷神社境内にある推定樹齢およそ400年の八重咲きの藤。 茨城県天然記念物に指定されている。 枝はおよそ10m四方の藤棚に支えられている。花の時期は4月下旬から5月上旬。 笠間稲荷神社の境内にある八重藤(左)、同じく八重藤の花(右) 笠間稲荷神社大藤 八重の藤のとなりにある。こちらも推定樹齢およそ400年。 こちらも同じくおよそ10m四方の藤棚に支えられている。花の時期は4月下旬から5月上旬。 笠間稲荷神社の境内にある大藤 常陸国出雲大社 ひたちのくにいずもたいしゃ 祭神は大国主大神。縁結びの神様として知られる島根県出雲市の出雲大社の分社として1992(平成4)年、出雲大社から分霊を祀った。 当時の正式う名称は出雲大社常陸教会。この場所が選ばれたのは、出雲大社から長野県諏訪大社を通り、 日が生まれる国・常陸国と一直線に結んだ場所であるという。なお現在は独立した組織。 縁結びのほか開運、商売繁盛、災難除けなどに御利益がある。拝殿にある大注連縄が知られており、 長さ約15m、重さは約6tある。日本最大級とされる。現在は「映え」スポットとしても人気がある。 2022(令和4)年7月26日、大注連縄の掛け替えが行われた。古くなった大注連縄を取り換えるもので、 10年ごとに行われており、2012(平成24)年以来、3回目となる。 大注連縄の製作は島根県飯南町の企業組合に依頼、注連縄専用の稲を使い約1年がかりで完成させた。25日に古い大注連縄を取り外し、 26日に新しい大注連縄を重機なども使いながら設置した。 御朱印、オリジナル御朱印帳(黒、オレンジ2種類)、オリジナル御朱印帳ケース有。授与は神社社務所。 御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市福原2001。常陸国出雲大社の地図 常陸国出雲大社拝殿 常陸国出雲大社本殿(左)、同じく拝殿内(右) 常陸国出雲大社拝殿の大注連縄掛け替え 常陸国出雲大社御朱印(左)、オリジナル御朱印帳表紙=黒バージョン、オレンジは注連縄のデザイン(中)、 同御朱印帳裏表紙=現在頒布中のものはデザイン変更有(右) 笠間の菊まつり 毎年10月中旬から11月下旬にかけ、笠間稲荷神社を主会場に、市内各所でおよそ1万株の菊が展示される。 日本で最も歴史のある菊祭りとして知られ、1908(明治41)年、笠間稲荷神社の当時の宮司が、 日露戦争で廃れた人々の心を慰めるため境内に菊を飾ったのが最初という。100年以上の歴史があり国内最古の歴史がある。 会期中は、菊花品評会や流鏑馬などの催しが開催される。 また、笠間稲荷神社に隣接する笠間稲荷美術館を会場に菊人形展が行われる。毎年、NHKの大河ドラマをテーマに、名場面が菊人形で再現される。 笠間稲荷神社拝殿前の菊飾り(左)、同じく参道の笠(右) 笠間稲荷神社拝殿に飾られているキツネの菊飾り、拝殿左側(左)、同じく拝殿右側(中左)、 笠間稲荷神社西側入口の燈籠菊飾り(中右)、菊で飾られた笠間いなり寿司推進キャラクター・笠間特別観光大使「笠間のいな吉」(右) かさま歴史交流館井筒屋庭園の菊飾り(左)、笠間稲荷神社参道前ポケットパークに飾られている菊(右) 笠間つつじまつり 毎年4月中旬から5月上旬にかけ、笠間つつじ公園を会場に開催される。時間は午前8時から午後6時。 ゴールデンウイーク期間中にはさまざまなイベントも開催される。会場の笠間つつじ公園については下記参照。 つつじの開花時期の笠間つつじ公園 笠間きつねの祭典 笠間市のきつねをテーマにした祭り。きつねの仮装で街を練り歩くきつねの行列がメインイベント。毎年11月に行われている。 2018(平成29)年に第1回が行われた。きつねや妖怪などの仮装をして参加し、笠間をきつねの街として盛り上げることなどが目的。 きつねの行列のほか、参加者の交流を深めるきつねの広場やスタンプラリーなどのイベントも行われている。 笠間きつねの祭典、きつねの行列 笠間きつねの祭典での仮装(左)、同じく仮装(右) 笠間焼 関東最古の歴史を持つ。伝統的工芸品 (経済産業大臣指定品)に指定されている。 江戸時代の安永年間(1772〜81年)、箱田村(現笠間市箱田)の久野半右衛門が信楽の陶工、長右衛門の指導で焼き物をはじめ、築窯したことがはじまりとされる。 江戸時代は、笠間藩主の仕法窯として保護された。作風は素朴で、甕、摺り鉢などの日用雑器が中心。 消費地の江戸に近いこともあって栄え、明治初期には19の窯元をかかえる一大産地として知られていた。 現在は100を越える窯元がある。産地のルールはなく、笠間でつくられた作品は全て笠間焼という珍しい窯業産地となっている。 このため、江戸時代から続く素朴な日用雑器から、前衛的な作品まで幅広い作風が楽しめるのも笠間焼の特徴。 なお、栃木県の益子焼は、江戸時代に笠間で修行した人が窯を築いたことによりはじまったとされる。 笠間市の入口、国道355号沿いに飾られている笠間焼の巨大花瓶 陶炎祭ひまつり 陶炎祭は、笠間焼の陶芸家や窯元など200軒以上が出店し、 毎年、大型連休の4月29日から5月5日までの7日間に渡って笠間芸術の森公園を会場に開催される陶器の祭典。 期間中は、笠間芸術の森公園イベント広場にテント村が出来、笠間焼の陶芸家や窯元などが会場のブースで自らの作品を販売するほか、 陶芸家が自らプロデュースした笠間焼の器を使った飲食店があるのも特徴で見所のひとつ。 このほか、「稲田縁日」や野点、企画展が行われるほか、ステージではオークションやフリーライブなどのイベントも開催される。 1982(昭和57)年5月1日から3日まで、個人作家、製陶所、販売店の有志36人が、芸術村の空き地で第1回を開催した。 最初は手作り感のあるイベントだったが年々規模が大きくなり、1993(平成5)年には現在の陶芸美術館のある場所に会場を移動。 翌1994(平成6)年の第13回から主催が笠間焼協同組合に移行した。 さらに翌年の1995(平成7)年からは現在の笠間芸術の森公園イベント広場に場所を移している。 当初から大型連休中に開催されていたが、現在の4月29日から5月5日までに固定されたのは2000(平成12)年から。 入場無料。駐車場有。笠間芸術の森公園駐車場だけでなく周辺に多くの臨時駐車場も設けられる。いずれも有料。 JR笠間駅からシャトルバスも運行される(有料)。 笠間市笠間2345。笠間芸術の森公園の地図 陶炎祭会場、イベント広場のテント村全景 陶炎祭入口サイン(左)、さまざまなイベントが行われるステージ(右) 世界最大の陶器 笠間市下市毛の製陶ふくだに飾られている巨大花瓶。1990(平成2)年4月に第1号の巨大花瓶を製作。大きさは高さ5.4m、直径2m、重さ2.4tだった。 その後製作を進め、7本目として2001(平成13)年12月に完成した花瓶は高さ10.7m、直径2m、重さは6.5tに達した。 一部寄贈したものを除いて、店の前に展示されていたが、東日本大震災の影響で破損してしまい、現在店の前にあるのは、第1号の花瓶のみ。 笠間市下市毛754。製陶ふくだの地図 巨大花瓶 道の駅かさま 笠間市の魅力を発信する「笠間のゲートウエイ(玄関口)」がコンセプト。直売所棟と休憩・情報発信棟からなる。 2021(令和3)年9月16日グランドオープン。茨城県内の道の駅として15番目となる。 直売所棟はJA常陸の農産物直売所「みどりの風」。休憩・情報棟には和食レストラン「常陸乃國かぐや姫」のほか、 フードコートがあり、笠間の栗の専門店「楽栗」などの飲食店が入る。また両棟の間は、屋根付の多目的広場になっている。 このほかファミリーマートが入る。 笠間焼の手洗い鉢や陶板の壁画、栗の木を使った椅子や栗の形の車止めなどが笠間らしさの演出もある。 駅名が刻まれた笠間市産出の稲田石による巨大なモニュメントがある。 年中無休。農産物直売所は午前9時から午後6時まで。楽栗が午前10時から午後6時、レストラン、フードコートが 午前11時から午後6時。ファミリーマートは24時間営業。駐車場は乗用車349台、大型車16台。 キャンピングカー専用駐車場(有料、予約制)がある。 笠間市手越22−1。道の駅かさまの地図 道の駅かさま(左)、稲田石のモニュメント(右) 笠間芸術の森公園 茨城の新しい文化の発信基地として、伝統工芸と新しい造形美術をテーマとした公園。総面積54.6ha(現在開園分33.8ha)の広大な土地に、 茨城県陶芸美術館や陶の杜などの施設がある。 陶の杜は、約3.9haの自然の地形をそのまま利用したヒノキの森に、陶造形作家の作品を展示したもので、森の中で陶芸作品を楽しめる全国でも珍しいコンセプトで設計されている。 見て楽しむだけでなく、直接触れて楽しむこともできる。開園時間 午前8時30分から午後5時まで。 笠間市笠間2345。笠間芸術の森公園の地図 笠間芸術の森イベント広場を望む 茨城県陶芸美術館 茨城県陶芸美術館は、陶芸の芸術の向上、地域の振興、そして陶芸文化の新たな拠点として、 「ときめく」「識る(しる)」「楽しむ」三つのキーワードをもとに、 人間国宝に指定されている陶芸家の作品など優れた作品を展示するほか、笠間をはじめとする県内陶芸作家の作品、 笠間焼の歴史などを紹介している。 開館時間は午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)。月曜日と年末年始は休館。 入館料はコレクション展・現代茨城の陶芸展が大人300円、高大生250円、小中生150円。 企画展は、開催内容によって変わるがおおむね大人700円、高大生500円、小中生250円。 笠間市笠間2345。茨城県陶芸美術館の地図 茨城県陶芸美術館 笠間工芸の丘クラフトヒルズKASAMA 笠間芸術の森公園に併設されている。笠間焼を中心とした地場産業振興と、参加体験ができ伝統工芸に触れることができる観光拠点。 展示、工芸用品販売を行う「センタープラザ」、体験研修ができる「ふれあい工房」、情報交換の場としての「創作研究舘」がある。 笠間市笠間2388−1。クラフトヒルズKASAMAの地図 クラフトヒルズKASAMAのクラフトホールとその向かって右側にあるのが登り窯 クラフトヒルズKASAMAのセンタープラザ(左)、同じく匠の館(右) 茨城県立笠間陶芸大学校 「現代陶芸をリードする陶芸家を排出する産地」と「手作りを基本に日用陶磁器を生産する産地」の両面を併せ持つ 「陶芸産地」を目指すための人材育成を目的に設立された。 笠間芸術の森公園に隣接してあった茨城県窯業指導所の機能を一新し、同所に2016(平成28)年4月開校。 大学の理念は1.何を表現したいのか、なぜ陶芸なのか、個としてモノをつくる姿勢・考え方を学ぶ。 2.多様な技法(ロクロ、手ひねり、タタラ、石膏型など)や表現から、独自の技法・デザインを確立する。 3.現代陶芸の潮流や他産地の動向から、広い視野を身につける。 これらを実現するため、現在第一線で活躍する陶芸家が特命教授として指導を行っている。 カリキュラムは2つで、陶芸を一から学べ2年制の「陶芸学科」とより高度な知識と技術を習得でき、 陶芸学科卒業者などを対象とした1年制の「研究科」がある。入学定員は陶芸学科12人、研究科3人。 前身となる茨城県工業技術センター窯業指導所「匠工房・笠間」は、1995(平成7)年11月24日に完成。 笠間焼の魅力を伝えるとともに笠間焼の技術者の育成を図ることなどを目的にしていた。 笠間市笠間2346−3。茨城県立笠間陶芸大学校の地図 茨城県立笠間陶芸大学校 笠間芸術の森公園スケートパーク 国内最大級のスケートボードパークとして笠間芸術の森公園内に2021(令和3)年3月20日(一般向けは4月3日)オープン。 ムラサキパークかさま。国際大会も開催できるよう難易度を高めたほか、初心者向けのゾーンもある。 総面積は約17800平方m、うち競技エリアとなるスポーツ広場は約4600平方mで、 国内最大級を誇る圧巻のボウルで最大高低差約3mある「パークゾーン」、 ベンチや階段、手すりなどに見たてた障害物など街中を再現した「ストリートゾーン」、初心者向けの「フラット&ビギナーゾーン」、 雨天時も利用できる「屋内ゾーン」、初心者やウオーミングアップに使える「ミニボウルゾーン」の5つからなる。 このほか休憩広場や多目的広場がある。 利用時間は平日が正午から午後9時まで、土曜日は午前10時30分から午後9時まで、日曜日は午前10時30分から午後8時まで。 利用料金は平日が一般700円、高校生以下500円、土日祝日が一般1100円、高校生以下850円。 笠間市笠間。笠間芸術の森公園スケートパークの地図 笠間芸術の森公園スケートパーク 笠間日動美術館 1972(昭和47)年、東京・銀座にある日動画廊創業者、長谷川仁・林子夫妻により創設された。笠間が長谷川家の郷里であることからこの地が選ばれた。 日本を代表する画商の系列美術館であるため、地方にある美術館としては充実のコレクションを誇っている。 西洋の近代、日本の近・現代の巨匠が描いた絵画を中心に2千点を超す所蔵品がある。 中でも国内外の著名画家によるパレット画コレクションは有名。 開館時間は午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。月曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始休館。 入館料は大人1000円、大高生700円、中小生300円、65歳以上800円。 春風萬里荘との共通入場券は大人1400円、大高生900円、中小生400円、65歳以上1100円。 笠間市笠間978−4。笠間日動美術館の地図 笠間日動美術館企画館側(左)、同じくパレット館側(右) 春風萬里荘 笠間日動美術館の分館。北鎌倉にあった北大路魯山人の住居を移築した建物。江戸時代の風情ある古民家の趣となっている。 魯山人は料理家でありながら、陶芸をはじめとして幅広い分野で才能を発揮した芸術家でもある。 魯山人の遺品や遺作が数多く残されている。なお、「春風萬里」とは、李白の漢詩にある言葉で、魯山人が好んで用いていた。 開館時間は午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)、冬期(12月、1、2月)は午前10時〜午後4時(入館は午後3時30分まで)。 月曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始休館。入館料は大人600円、大高生400円、中小生300円、65歳以上500円。 笠間日動美術館との共通入館券有、上記参照。 笠間市下市毛1371−1 芸術の村。春風萬里荘の地図 笠間稲荷美術館 笠間稲荷神社の裏にある美術館。奈良の正倉院を模した高床式の建物が特徴。 信楽、常滑、瀬戸、越前、丹波、備前の六古窯の陶器を中心に展示されている。 開館時間は午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)。入館料は大人300円、学生200円、子供100円。年中無休。 笠間市笠間1。笠間稲荷美術館の地図 笠間稲荷美術館 笠間祇園祭 笠間八坂神社=下記参照=の祭礼。8月の第1土、日曜日に開催される。土曜日が宵宮祭、日曜日が祇園神幸大祭。 2日間とも夕方から夜には笠間稲荷神社前の通りが歩行者天国となる。 同神社の宮神輿は、1958(昭和33)年に新しくされ、当時関東一の京神輿といわれた。 漆塗り金箔張りの風格のある京神輿で現在でも渡御に使われる。宮神輿の渡御は午前9時から神事、午前9時30分に宮出しされ、 三所神社などを経て石井地区まで渡御する。これは笠間八坂神社が最初に祀られたのが現在の石井地区だったことに由来する。 その後笠間地区に戻り地区内を渡御し、午後9時30分ごろに宮入りする。 このほか複数の神輿や山車が出る。 笠間八坂神社から宮出しされる神輿 笠間祇園祭、伍倫会の神輿(左)、同じく城南の山車(右) かさま歴史交流館井筒屋 笠間の歴史や観光情報の発信拠点として、笠間稲荷神社近く、明治時代に建てられた旅館の建物「旧井筒屋本館」の建物を活用。 2018(平成30)年4月1日オープンした。市民や観光客の交流促進にを図り笠間稲荷神社周辺の活性化を推進する。 旧井筒屋本館は、1894(明治27)年の建設という木造3階建てで風格のある建物。笠間稲荷前通りの丁字路突き当りにあり、長く門前のシンボルとなっていた。 しかし2011(平成23)年の東日本大震災で被災し、廃業。笠間市は歴史的建造物として後世に伝えるべき建物として購入し、活用法を検討していた。 建物の耐震化及び改修工事が2016(平成28)年度からスタート。2017(平成29)年には、道路に面していた建物をそのまま後方へ約14mする「曳家(ひきや)」も実施された。 外観は旅館当時の風情をそのまま残し、内部は1階に観光インフォメーション及び門状の造りとし裏庭に抜けられる中路地の意味合いを持たせた。 2階には笠間城や郷土の偉人などを紹介する歴史展示コーナー、3階には市民らが利用できる会議室などがある。 また、曳家によって得られた建物前のスペースは、笠間特産の稲田石を敷いた広場となり、イベントなどでの活用される。 開館時間は午前9時から午後10時。月曜日休館(祝日の場合はその翌日)。 笠間市笠間987。かさま歴史交流館井筒屋の地図 かさま歴史交流館井筒屋 石の百年館 JR水戸線の稲田駅に隣接してある地元笠間市の稲田地区で産出される花崗岩「稲田石」の博物館。 サブタイトルに「INADA STONE MUSEUM」とある。 100年以上に渡って築き上げられた稲田石の歴史を後世に伝えるとともに、未来に向けて100年先の発展につなげることも目的に開設された。 稲田石の専門博物館で、稲田石の特徴や採掘の過程などが紹介されている。博物館は床面積約143平方m、鉄筋コンクリート平屋建て。 外壁には稲田石を使って日本伝統の「杉綾模様」がデザインされている。 開館時間は午前9時から午後5時(10月から翌年3月までは午後4時)まで。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始。 入館料は無料。 笠間市稲田2307。石の百年館の地図 石の百年館 石切山脈 石切山脈は、稲田石が産出される稲田地区の東西約10km、南北約5kmの稲田沢の通称。 このうち株式会社想石の所有する採掘場跡地が「石切山脈」として知られる。 地下およそ65mまで採掘し、2014(平成26)年に休止した場所で、現在では周囲の沢の水や雨水が流れ込み湖を作った。 水深は35mほどあるとされ、地図にない湖としても有名になった。採掘跡の露出する岩盤と湖が神秘的な景観を作っている。 見学可能。見学時間は午前9時から午後4時。入場料は大人(高校生以上)300円。中学生以下無料。株式会社想石が受付。 笠間市稲田4260−1。石切山脈の地図 石切山脈 佐白山麓公園 桜の名所として知られる。佐白山の西麓一帯にひろがる。江戸時代には、笠間藩士の屋敷があった場所。 忠臣蔵で有名な浅野家も一時期笠間の城主となっており、公園入口には家老の大石家の屋敷跡も残されている。 1963(昭和38)年には赤穂義士顕彰碑、1972(昭和47)年には、討ち入り姿の大石蔵之助像が建立された=現在は大石邸跡に移転。 笠間市笠間。佐白山麓公園の地図 山麓公園(左)、佐白山麓公園時代の大石内蔵助像(右) 佐白山麓公園の桜 公園内には多くの桜があり、桜の名所として知られる。 佐白山麓公園の桜 笠間市歴史民俗資料館 趣のある洋風建築、旧宍戸町役場庁舎を活用した歴史民俗資料館。考古資料や宍戸城、筑波海軍航空隊などの資料が展示されている。 旧宍戸町役場庁舎は、1937(昭和12)年に建設され、木造2階建て寄棟造。戦前の役場庁舎として国の登録有形文化財に指定されている。 1958(昭和33)年まで宍戸町役場庁舎、合併して友部町となった後は、役場として利用されなくなったが、 公民館や消防署として活用され、1981(昭和56)年からは友部町歴史民俗資料館となり、笠間市との合併に伴い現在の名称になった。 開館日は、火曜日、木曜日、土曜日、日曜日で、開館時間は午前9時から午後4時30分(火、木曜日は12時30分からの開館)。 毎月末日、祝日、年末年始は休館。入館料無料。 笠間市平町29。笠間市歴史民俗資料館の地図 笠間市歴史民俗資料館 旧笠間市立美術館 1900(明治33)年、明治天皇が笠間に行幸された際、西茨城第一高等小学校に宿泊された。 1950(昭和25)年、当時の笠間町は、建物の一部現在地に移築し「笠間町立美術館」として開館。 1958(昭和33)年、市制施行し「笠間市立美術館」となった。その後、老朽化から美術館としては使用されなくなったが、歴史的建造物として残された。 1995(平成7)年度に修理が行われた。 笠間市立美術館は、国宝仏の石膏によるコピー仏を展示する美術館として知られた。 コピー仏は、戦後間もなく、市内に住む芸術家からのアドバイスを受けて、当時の根本政太郎町長が制作を決め、3年近くかけて8体が作られた。 1950(昭和25)年、奈良東大寺の北河原公海管長らを招いて、仏の開眼式を行い、開館した。 1953(昭和28)年には奈良の国宝彫刻3点が加わった。その後、コピー仏は笠間市立中央公民館(現笠間市立笠間公民館)に移されている。 笠間市笠間。旧笠間市立美術館の地図 旧笠間市立美術館 笠間つつじ公園 佐白山麓公園の北側にある。市民の1株運動で造成されたつつじ園。面積は約7万平方m。25種類、8500株のつつじが植えられている。 つつじが咲く4月中旬から5月上旬にかけて、毎年つつじ祭りが開かれている(上記参照)。なお、つつじ祭り期間中は入園料500円、それ以外は無料。 笠間市笠間616−7。つつじ公園の地図 つつじ公園の全景 山頂部のつつじ公園(左)、展望台(右) つつじ公園を展望台から望む 坂本九旧宅 九ちゃんの愛称で親しまれた歌手でタレントの故坂本九さんが第2次世界大戦中、疎開した時に住んでいた家。2歳から6歳まで暮らしていた。 本名・大島九(ひさし)。祖父が現在のかすみがうら市出身。笠間は母の実家があった。 笠間を生涯愛しており、笠間稲荷神社は、女優の柏木由紀子さんと結婚式を挙げた場所。この時は、式後市内をパレードしている。 老朽化で取り壊し寸前だったこの家を、市民の有志が保存に乗り出した。保存のためのイベントが毎年ゴールデンウイークに行われている。 笠間市。坂本九旧宅の地図 坂本九旧宅 坂本九歌碑 故坂本九さんの代表曲「上を向いて歩こう」の歌詞が刻まれている歌碑。この曲で、アメリカのヒットチャート・ビルボードで全米1位になった。 現在まで1位となったのは、日本人はもちろんのこと東洋人として唯一。 笠間市。坂本九歌碑の地図 坂本九歌碑 座頭市の碑 1960年代から1970年代前半にかけて大ヒットした日本映画、座頭市シリーズ。勝新太郎扮する盲目の座頭、市が諸国を旅しながら超人的な抜刀術で悪人と対峙するという、当時の大人気映画。 その後テレビシリーズにもなった。映画の座頭市は、出身が笠間という設定になっており、それを記念して碑は1978(昭和53)年に、つつじ公園内に建立された。 そのため映画にも笠間やその周辺が登場したことがある。また、1973(昭和48)年に公開された「新座頭市物語 笠間の血祭り」では、笠間がサブタイトルにも入っている。 その縁もあって映画のロケも行われた。 座頭市の碑 身がわり観音 笠間を一望するつつじ公園に建立された巨大観音。1975(昭和50)年4月28日完成。 身がわり観音 飯田ダム 涸沼川の支流、飯田川に涸沼川総合開発事業の一環として建設された多目的ダム。1990(平成2)年3月完成。ダムは重力式コンクリートダム。 堤高33m、堤頂長219.5m、湛水面積0.28平方km、総貯水量は2440000立方m、有効貯水量は2240000立方m。 集水面積は直接6.5平方km、間接7.3平方km、合計13.8平方km。 ダム地点の計画高水量を毎秒90立方mから毎秒30立方mに調整し水害の防除を図る。 また、下流域の農地約135haの灌漑や水道用水25920立方m(1日当り)の取水を可能にした。 貯水湖は笠間湖と命名されている(下記参照)。 笠間市飯田。飯田ダム管理事務所の地図 飯田ダム(左)、堤防上道路(右) 笠間湖 涸沼川の支流、飯田川に設けられた飯田ダムによって造られた人造湖。面積約0.28平方km。 湖畔には「いばらきヘルスロード」にも指定されてる散策路がある。湖一周焼く4.8km。 また湖畔には野鳥観察施設などもある。 笠間市飯田。笠間湖の地図 飯田ダム堤防上道路から見た笠間湖 恋人の聖地 「陶芸の里かさま」として笠間市内全体が恋人の聖地に選定されている。 恋人の聖地は、NPO法人地域活性化センターが主催している「恋人の聖地プロジェクト」の一環。 「プロポーズにふさわしいロマンティックスポット」が選定基準となる。少子化対策、そして地域の活性化につなげる狙い。 笠間市は、全国で100番目、茨城県内では最初の聖地として2010(平成22)年6月1日選出。 笠間芸術の森公園入口にある恋人の聖地のサイン 西念寺 稲田山。稲田御坊。稲田禅坊西念寺。親鸞聖人ゆかりの寺。浄土真宗の別格本山。 親鸞聖人は、1214(健保2)年、この地の領主の招きで草庵を築いた。 40代前半から60代前半までのおよそ20年間この地で暮らし、常陸国、下野国、下総国への布教の拠点とした。 また、親鸞聖人はこの地で『教行信証』の執筆を始めたとされている。境内にある銀杏の巨樹=下記参照=は茨城県の天然記念物に指定されている。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 笠間市稲田469。西念寺の地図 西念寺の本堂(左)、御朱印(右) 西念寺の御葉付銀杏 西念寺の本堂脇にある。茨城県の天然記念物に指定されている。推定樹齢は300年以上(一説ではおよそ800年とされる)とされ、幹回りは約7.5m、樹高約35m、 枝張約23m。幹回りは茨城県内で最大。言い伝えでは親鸞聖人御手植えという。 御葉付銀杏 見返り橋 親鸞聖人が稲田を離れるときに草庵を振り返られたという橋。西念寺の約100mほど南の水田の一角にある。 橋は、円弧状の一枚岩で出来ている。 笠間市稲田。見返り橋の地図 見返り橋 玉日君御本廟 たまひのきみごほんびょう 玉日姫廟。親鸞聖人の妻である玉日姫の廟。玉日姫は関白、九条兼実の末娘とされる。西念寺から約800m離れた場所にある。 笠間市稲田2245。玉日君御本廟の地図 玉日君御本廟 玉日君御本廟門(左)、同じく参道(右) 正福寺 佐白山正福寺。旧観世音寺。佐白観音として知られる。真言宗単立。旧普門宗。651(白雉2)年の創建とされる古刹。 初めは佐白山上にあった。鎌倉時代初めに徳蔵寺と衝突し、1205(元久2)年、笠間氏初代、時朝によって寺は壊された。 のちに時朝は寺を再興し、正福寺と称した。以後、笠間氏の祈願所として栄えたが、笠間氏の没落とともに寺も取り壊された。 その後、勝福寺として再興され、1686(貞享3)年には再び正福寺となるが、明治の廃仏毀釈で荒廃。 1930(昭和5)年、観音堂(仮本堂)が建てられ観世音寺となった。 2012(平成24)年9月18日、正福寺に再改称した。 本尊の十一面千手観音坐像は鎌倉時代初期の作とされ茨城県の重要文化財に指定されている。 坂東三十三観音霊場第23番札所。関東百八地蔵尊霊場第59番札所(延命地蔵尊)。茨城百八地蔵尊霊場第30番札所(延命地蔵尊)。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 坂東三十三観音霊場については坂東三十三観音霊場も参照。 笠間市笠間1056。正福寺の地図 正福寺。旧観世音寺(左)、門(右) 正福寺坂東三十三観音霊場第23番札所御朱印(左)、正福寺関東百八地蔵尊霊場第59番札所御朱印(右) 正福寺父のさくら 正福寺本堂の向かって左手、一段上がった場所にある。 正福寺父のさくら 正福寺母のさくら 正福寺参道、本堂の手前、一段下がった場所にある。 正福寺母のさくら 楞厳寺りょうごんじ 仏頂山楞厳寺。臨済宗。創建年代は不明。笠間氏初代時朝が鎌倉・建長寺の大拙和尚を招いて中興し、諸堂を再建したという。 以後、笠間氏の菩提寺となった。 茅葺の山門は、室町時代中期の建立とみられ、国の重要文化財に指定されている。 また、本尊の木造千手観音立像(像高2.1m、檜の寄木造り)は、鎌倉時代の仏師・運慶の作と伝えられており、同じく国の重要文化財に指定されている。 山門は、境内から離れており、楞厳寺に向う道の途中にある。また、境内は仏頂山の麓にあり、森林に囲まれた風情ある寺。 笠間市片庭775。楞厳寺の地図 楞厳寺山門 楞厳寺本堂(左)、堂(右) 笠間駅 JR東日本、水戸線の駅。旧笠間市の玄関口。1889(明治22)年1月16日、水戸鉄道(水戸−小山間)の駅として開業した。2面3線のホームがある。 笠間稲荷神社、笠間日動美術館、正福寺などの最寄駅。 笠間市下市毛。笠間駅の地図 笠間駅 友部駅 JR東日本、常磐線及び水戸線の駅。笠間市の中心駅。1895(明治28)年7月1日開業した。 南口、北口がある。水戸線の終点で常磐線との乗換駅。 笠間市友部駅前1−24。友部駅の地図 友部駅南口 稲田駅 JR東日本、水戸線の駅。1898(明治31)年5月8日開業。2013(平成25)年3月6日、新駅舎供用開始。 新駅舎は床や壁などに地場産の稲田石を使用した。駅に隣接して石の百年館がある。また石切山脈の最寄駅。 笠間市稲田2333。稲田駅の地図 稲田駅 福原駅 JR東日本、水戸線の駅。1890(明治23)年12月1日開業。2013(平成25)年3月6日、新駅舎供用開始。 新駅舎は近くにある常陸国出雲大社をイメージした木造の駅舎。また、吾国山登山の拠点でもある。 笠間市福原2144。福原駅の地図 福原駅 岩間駅の桜 駅前ロータリーの各所にある桜。 笠間市下郷4439。岩間駅の地図 岩間駅の桜 笠間市立図書館 貸出数日本一の図書館(人口8万人以下の自治体にある図書館で2011年から7年連続)。 笠間図書館、友部図書館、岩間図書館の3館からなる。笠間図書館は蔵書数約21万冊強、 友部図書館は同じく25万冊強、岩間図書館が同じく7万冊強。貸出冊数無制限及び市外舎への貸出にも対応。郷土資料が充実している。 開館時間は午前9時から午後7時。月曜日及び資料整理日(笠間図書館と岩間図書館が毎月最後の木曜日、友部図書館が毎月最後の水曜日)、 年末年始及び特別整理日休館。 笠間市石井2023−1。笠間市立笠間図書館の地図 笠間市平町2084。笠間市立友部図書館の地図 笠間市下郷5140。市民センターいわま2階。笠間市立岩間図書館の地図 笠間図書館 友部図書館(左)、岩間図書館が入る市民センターいわま(右) 北山公園 白鳥湖を中心にした公園。茨城県立笠間自然公園内にある。白鳥湖は農業用の貯水池だったものを整備したもので、茨城の自然百選にも選ばれている景勝地。 湖の周囲には約8kmの遊歩道が張り巡らされている。高さ23mの展望塔や長さ161mのローラー滑り台などもある。 春には桜の名所として知られる。また、園内にはキャンプ場などのレクリエーション施設やあやめ園、しょうぶ園などがある。 白鳥湖を見下ろす小高い山の山頂には北山不動尊が祀られている。 キャンプ場には、キャンプサイト25区画、バーベキュー場屋根付炉13炉、野外炉10炉がある。 笠間市平町1416−1。北山公園の地図 北山公園新池(左)と北山公園バーベキュー場(右) 北山公園通り桜並木 北山公園へ至る通りに約400本のソメイヨシノが植えられ桜並木となっている。 北山公園通り桜並木 旧笠間市役所の桜 旧笠間市の市役所跡地にある桜。同所は、合併後笠間市役所笠間支所となっていたが、東日本大震災で被災し同地で仮設運営されていた。 その後支所は、笠間駅近くに移転した。現在は笠間市のシルバー人材センターがある。 敷地の外周を中心に多くの桜が植えられている。 笠間市石井717。旧笠間市役所の地図 旧笠間市役所の桜 笠間小学校の桜 笠間小学校の県道沿いにある桜並木。 笠間市笠間。笠間小学校の地図 笠間小学校の桜 岩間街道桜並木 笠間市土師の岩間街道沿いにある桜並木。 笠間市土師。岩間街道桜並木の地図 岩間街道桜並木 馬廻不動尊の枝垂桜 笠間市笠間の馬廻地区にある枝垂桜。笠間芸術の森の近くで不動尊が祀られている。 笠間市笠間。馬廻不動尊の地図 馬廻不動尊の枝垂桜 高乾院の枝垂桜 高乾院境内にある枝垂桜。 笠間市石井。高乾院の地図 高乾院の枝垂桜 片庭ヒメハルゼミ発生地 楞厳寺の裏山一帯が発生地。シイの木材に7月上旬ごろ発生する。 生息の北限とされ、国指定の天然記念物となっている。 ヒメハルゼミは、南方系のセミで、体長は27mm程度。国内のセミでは最小の種類。 笠間市片庭。ヒメハルゼミ発生地の地図 下市毛八坂神社の枝垂桜 樹齢200年〜250年と推定される。樹高約13m。笠間市指定天然記念物。 笠間市下市毛。下市毛八坂神社枝垂桜の地図 下市毛八坂神社の枝垂桜 稲田神社 創建年代は不詳。祭神は奇稲田姫命。延喜式の名神大社。旧県社。稲田姫神社ともいう。縁結び、安産、身体安全、家内安全などに御利益がある。 鎌倉時代には、領主の笠間氏の崇敬も厚く、建長年間(1249〜56)には、鎌倉歌壇の指導者を招き、歌会を催した記録が残る。 江戸時代の1695(元禄8)年、水戸藩主の徳川光圀公が四神旗を奉納した。現在も社宝として保存されており、茨城県の文化財に指定されている。 御朱印有。授与は参道一番奥、神社に向かって右側の宮司宅。 御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市稲田768−1。稲田神社の地図 稲田神社拝殿(左)、御朱印(右) 稲田神社本殿(左)、参道(右) 三所神社 笠間総鎮守。旧村社。祭神は大国主大神、事代主大神、建御名方大神、三穂津姫大神、火之迦具土大神。 平安時代の859(貞観元)年、三穂津姫大神が祀られたのに始まるという。 その後、1215(健保3)年、領主の笠間時朝公が笠間城の鎮守として、宇都宮の二荒山大明神の分霊を勧請。 その時、本殿3殿を建立、本殿中央に二荒山の神である大国主大神を、左脇宮に事代主大神、右脇宮に三穂津姫大神、建御名方大神、火之迦具土大神を祀り、 三社大明神とした。江戸時代には笠間8万石63村の総鎮守とされた。 1819(文政2)年、笠間の大火で焼失、1822(文政5)年、藩主の牧野越中守貞幹公が再建、 本殿を1社とし、内々陣に3社を祀り、社名を三所大明神に改称した。 御朱印有。授与は八坂神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市笠間353。三所神社の地図 三所神社拝殿(左)、御朱印(右) 八坂神社 祭神は素戔嗚尊。笠間八坂神社。笠間城主笠間時朝公が、下野国小貫郷に祀られていたものを石井村に移した。さらに城下整備のため石井村の住人を 大町に移した際、神社も遷宮した。はじめ三所神社に仮に祀られていたが1649(慶安2)年、現在地に移った。 江戸時代は牛頭天王。笠間の祇園祭は同神社の祭礼=上記参照。 御朱印有。授与は神社社務所。御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市笠間344−2。八坂神社の地図 八坂神社拝殿(左)、御朱印(右) 大通りに面してある八坂神社鳥居(左)、参道(右) 笠間八坂神社の枝垂桜 八坂神社の社殿前にある。 笠間八坂神社社殿前にある枝垂桜 石井神社 祭神は建葉槌命(たけはつちのみこと)。創建年代は不詳ながら、807(大同2)年に社殿が再建されたことが伝えられている。 現在の社殿は1788(天明8)年の再建という。大鳥居は1901(明治34)年建立という欅造りだったが老朽化が激しく、2017(平成29)年11月15日、 朱塗りの大鳥居が新たに建立された。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市石井1074。石井神社の地図 石井神社拝殿(左)、御朱印(右) 石井神社本殿(左)、石井神社鳥居(右) 石井神社節分追儺式 2月3日に開催される節分祭。午後1時、午後3時、午後6時の3回行われる。 神事後、福豆やお菓子などがまかれ多くの人でにぎわう。 拝殿の回廊から豆がまかれる 羽梨山神社 旧郷社。創建年代は不明だが、日本武尊が東征の際、この地で老翁、老婆が山菓を差し入れ、それによって兵士たちには力がみなぎったという。 尊が2人の名を問うと、磐筒男、磐筒女と答えたとされ、凱旋した時、この2人を祭ったのが最初とされる。 806(大同2)年に勅額を賜り、870(貞観12)年従五位上、885(仁和元)年正五位下を授かった記録がある。 祭神は木花咲耶姫。坂上田村麻呂、平貞盛、源頼義、義家親子など名だたる武将が戦勝を祈願したと伝わる。 1542(天文11)年、兵火で焼失、1546(天文15)年、園部大輔と小田政治の戦いで、小田氏の軍が集結したという。 延喜式の名神小社とされるが異説もある。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市上郷3161。羽梨山神社の地図 羽梨山神社拝殿 羽梨山神社本殿(左)、鳥居(右) 御神木(左)、御朱印(右) 佐志能神社さしのうじんじゃ 創建年代は不詳。佐白山(佐志能山)山頂に鎮座する。佐白山は、ピラミッド状の山で、巨石も多く、もともと山自体が信仰の対象となっていたらしい。 別当寺の観世音寺(佐白観音)の創建が651(白雉2)年とされることから、同神社も同様の歴史を誇るものとされる。 祭神は、豊城入彦命、建御雷之神、大國主神。式内社(論社)。旧村社。 建長年間(1249〜1255年)、笠間時朝が、佐白山に笠間城を築くため、下市毛(笠間市)に遷した。 1872(明治5)年、笠間城廃城に伴い、旧社地である佐白山山頂に戻された。社殿は、笠間城の廃材を使っているとされる。また本殿周りの塀には、天守閣の瓦が使われたという。 笠間市笠間3613。佐志能神社の地図 佐志能神社拝殿(左)、本殿(右) 大井神社 祭神は、神八井耳命(神武天皇の子で2代綏靖(すいぜい)天皇の兄)。8つの井戸、8つの耳を持つ聡明で慈悲深く、 末広がり七転八起の運を開く大願成就の神という。太郎明神。延喜式小社、大井神社論社。 神八井耳命は、皇位を弟に譲り、東国統治のため常陸国大井の里に来たという伝説が残る。 同神社は806(大同元)年、勅宣で常陸国那珂郡大井村に建立、大井大明神と呼ばれた。 拝殿扁額には「延喜式内 四所一宮 太郎明神」とある。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市大渕1652。大井神社の地図 大井神社拝殿(左)、御朱印(右) 大淵天神社 祭神は、菅原道真。創建は承久年間(1219〜21年)。笠間城主、笠間時朝により城の鬼門除けとして京都・北野天満宮から勧請。 その後、笠間氏の没落とともに荒廃するが1645(正保2)年、地元の有力者によって再興した。 1784(天明4)年、笠間藩牧野家3代藩主貞善公により奉納された「天満宮」の扁額は笠間市指定文化財。 本殿は1882(明治15)年の再建、施されている彫刻は1891(明治29)年の完成で後藤縫之助によるもの。同じく笠間市指定文化財。 本殿と拝殿の間にある御神木のツクバネガシは笠間市指定天然記念物。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。 笠間市大渕176。大淵天神社の地図 大淵天神社拝殿(左)、御朱印(右) 大淵天神社本殿(左)、鳥居(右) 城山稲荷神社 城山出世稲荷神社。城山新左衛門稲荷神社。胡桃下紋三郎稲荷(笠間稲荷神社)、士当原与兵衛稲荷とともに笠間三稲荷の一つ。 祭神は宇迦之御魂命。配神は誉田別命。 古くから佐白山上に祀られていた。鎌倉時代、領主の笠間時朝公が築城のため、山麓に移したという。 正保年間(1645〜48年)、城主の井上正利公が、居城内に白狐の穴を見つけたことから、同社を居城に移し崇敬したという。 元禄年間(1688〜1704年)、現在地に移った。本殿は江戸時代中期の建立。 笠間市笠間6−1。城山稲荷神社の地図 城山稲荷神社 車坂稲荷神社 祭神は宇迦之御魂命。1820(文政3)年、笠間の住人、畑岡善衛門が、かねてより崇敬していた京都・伏見稲荷の分霊を迎え氏神として祀った。 その後霊験顕著であることから、この地に住む7人が地区の守護神にするため畑岡氏に懇請し譲り受けたという。 花柳界や商業者の参拝が多い。 笠間市笠間2499。車坂稲荷神社の地図 車坂稲荷神社 如意輪寺 三嶋山明星院如意輪寺。天台宗の寺。市原観音として知られる。本尊は如意輪観世音菩薩。 境内には総本尊如意輪観音、不動明王、毘沙門天、十二支守本尊、ぼけ封じ観音が祀られている中堂、 阿弥陀如来、勢至菩薩、観世音菩薩の三尊が祀られている回向堂(阿弥陀堂)、 十一面観音が本尊で天台大師、伝教大師、慈覚大師、元三大師、徳一上人を祀る祖師堂などがある。 花の寺として知られ、特に冬牡丹は有名。毎年元旦から1月中旬までボタン園が開かれる。 関東三十三観音霊場第32番札所。東国花の寺百ヶ寺茨城第4番。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 笠間市上市原942。如意輪寺の地図 如意輪寺中堂(左)、御朱印(右) 如意輪寺回向堂(左)、祖師堂(右) 東国花の寺の御朱印(左)、元三大師の御朱印(中左)、不動明王の御朱印(中右)、如意輪寺地蔵尊の御朱印(右) 金剛寺 箱田山地蔵院金剛寺。真言宗豊山派の寺。本尊は延命地蔵尊。茨城花の寺2番。 賀海和尚の開山とされる。笠間3ヶ寺として隆盛を極めるが江戸時代には一時無住の時期があった。 茨城花の寺めぐりの詳細は茨城花の寺めぐりへ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 笠間市箱田1778。金剛寺の地図 金剛寺本堂(左)、茨城花の寺御朱印(右) 金剛寺の枝垂桜 樹齢300年といわれる枝垂桜。門前にはソメイヨシノもある。 金剛寺の枝垂桜(左)、金剛寺のソメイヨシノ(右) 養福寺 松長山成就院養福寺。天台宗の寺。777(宝亀8)年、筑波山を開いた徳一大師が自ら彫った十一面観音を本尊として開基。 813(弘仁3)年、慈覚大師円仁が日光山輪王寺開山の時、本堂と山門を建立し中興となった。 現在は、本堂、虚空蔵堂、書院、山門などがある。 笠間市大田324。養福寺の地図 教住寺 きょうじゅうじ 住吉山松林院教住寺。時宗の寺。本尊は秘仏とされる阿弥陀如来(一光三尊阿弥陀如来=善光寺如来)。 1346(貞和2)年、宍戸朝重の開基、遊行上人により開山。1648(慶安元)年、水戸徳川家2代、光圀公の命で堂宇が整備される。 全国善光寺会会員。 笠間市住吉1183。教住寺の地図 教住寺本堂 筑波海軍航空隊記念館 国内最大級の戦争遺構である旧筑波海軍航空隊の司令部庁舎を記念館とし当時の隊員の遺品などを展示した。 2013(平成25)年に公開された映画「永遠の0」のロケ地として使用されたことをきっかけに整備され、同年12月20日、期間限定でオープンした(その後公開期間を随時延長している)。 筑波海軍航空隊は、1934(昭和9)年霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊として発足。1938(昭和13)年独立し筑波海軍航空隊となった。発足当初は練習機の操縦訓練が主だったが、 終戦近くになると零戦などの操縦訓練を実施、神風特別攻撃隊が組織されると筑波海軍航空隊からも出撃した。戦後、司令部庁舎は病院の管理棟などとして利用されていた。 開館時間は午前9時から午後5時(入館は午後4時)まで。年中無休(年末年始休及び臨時休館有)。入館料は大人(18歳以上)500円、子供(小学生〜高校生)350円。 茨城県立こころの医療センター敷地内にある。 笠間市旭町654。筑波海軍航空隊記念館の地図 筑波海軍航空隊記念館 筑波海軍航空隊当時の号令台(左)、同じく正門(右) 筑波海軍航空隊の桜 旧筑波海軍航空隊にある桜。現在茨城県立こころの医療センターとして使われている広大な敷地には多くの桜があり、戦後植えられたものも多いが、 一部旧司令部前にある桜や敷地内の桜並木など航空隊当時からの桜も一部残る。 筑波海軍航空隊記念館前にある桜 笠間城跡 笠間城は、佐白山頂に築かれた山城。宇都宮氏の総領、頼綱の弟、朝業の子で、初代笠間氏を名乗った笠間時朝(1203〜1265)が築城した。 城域は、鎌倉時代所初期に正福寺と徳蔵寺の争いに介入して占めたものという。笠間氏は、その後390年余続いたが、1590(天正18)年、18代綱家が、本家筋の宇都宮国綱に攻められ滅亡した。 笠間城はその後も歴代の笠間領主の居城として使われた。明治に入って廃城となって解体された。現在、外堀の跡や石垣が残されている。 山頂の天守跡には、佐志能神社がある。また、市内には明治に廃城となった際、移築された門や櫓が残る。 映画「武士の一分」のロケ地となった。 笠間市笠間3616。笠間城跡の地図 笠間城の石垣 笠間城大手門跡(左)、天守(主)跡(右) 笠間城櫓 笠間城にあった八幡台櫓を明治初期、現在地に移築したもの。江戸時代の建築様式を伝えている。 総檜造り、2層2階建て。屋根は入母屋造り、瓦葺き。 笠間城の廃城にともない1880(明治13)年、現在地に移された。真浄寺の七面堂として現在も使われている。 茨城県指定文化財。 笠間市笠間323。旧笠間城櫓の地図 笠間城櫓 笠間城門 笠間城にあった門を明治時代初期、現在地に移築したもの。薬医門形式の四脚門。切妻屋根、瓦葺き。間口3.95m、奥行1.8m、高さ4.5m、軒張1.2m。 現在も民家の門として使われている。笠間市指定文化財。人が住んでいる民家のため、見学などの際は敷地などに無断で入らないように注意が必要。 笠間市笠間824。笠間城門の地図 笠間城門 笠間城門 笠間城にあった門を明治時代初期、現在地に移築したもの。規模、形式は上記の笠間城門と同じ。現在も民家の門として使われている。笠間市指定文化財。 人が住んでいる民家のため、見学などの際は敷地などに無断で入らないように注意が必要。 笠間市笠間818。笠間城門の地図 笠間城門 旧宍戸城表門 宍戸藩陣屋表門。茨城県指定文化財。水戸藩の支藩(御連枝)である松平家1万石の陣屋にあった門。 桁行七間半、梁間二間半、入母屋造りの長屋門形式。向かって左に居室2部屋、右に物置。門は1858(安政5)年の再建。明治維新後、現在地に移された。 笠間市土師622。旧宍戸城表門の地図 旧宍戸城表門 大石邸址 忠臣蔵で知られる赤穂藩、浅野家の家老、大石内蔵助良雄(よしたか)の曽祖父良勝(よしかつ)と祖父の良欽(よしたか)が住んでいた屋敷跡。 浅野家は、1622(元和8)年、笠間藩53500石の藩主となった。 浅野家は城下町の整備に尽力したとされ、当時、笠間城のあった佐白山山頂付近で行っていた政務を佐白山麓公園付近に下屋敷を建てて移し、 より城下町に近いここで政務を行うことで城下町の発展を促した。浅野家は、1645(正保2)年、赤穂へと国替えとなった。 屋敷跡は、その後も笠間を治めた藩の家老屋敷として使われた。 笠間市笠間。大石邸址の地図 大石邸址にある大石内蔵助良雄像 大石邸址全景(左)、同じく大石邸址碑(右) 赤穂義士パレード 忠臣蔵で知られる赤穂藩、浅野家が赤穂に移る前に笠間藩主だった縁から、 赤穂義士ゆかりの地として、毎年、討ち入りの日である12月14日に討ち入りの際の装束に扮し、 陣太鼓を鳴らしながら笠間稲荷神社周辺を練り歩いている。 赤穂義士パレードは、地元の有志らでつくる笠間義士会が主催している。50年以上続くイベント。 市内には大石内蔵助良雄像が建つ大石邸址などもある=上記参照。 笠間稲荷神社を出る赤穂義士パレード 唯信寺 外森山西岸院唯信寺。真宗大谷派。親鸞二十四輩22番。1224(元仁元)年、親鸞の弟子となった八田知家の3男、宍戸義治(唯信)の開基。 奥郡外森(戸森とも、現在地不明。現在の那珂市戸、常陸大宮市などの説がある)で創建という。 その後現在地の宍戸に移り、浄安寺と号し、1667(寛文7)年7月、唯信寺と改めたとされるが、記録により一部異なるところがある。 山門前に大きな枝垂桜がある。 笠間市大田436。唯信寺の地図 唯信寺 唯信寺の枝垂桜 山門前にある。現在は枝が取り払われている。光明寺、完全寺とともに「宍戸桜三ヶ寺」と呼ばれる。 唯信寺の枝垂桜 光明寺の枝垂桜 本堂前、本堂脇、山門脇に大きな枝垂桜がある。唯信寺、完全寺とともに「宍戸桜三ヶ寺」と呼ばれる。 安心山光明寺は浄土真宗の寺で1218(建保6)年の草創という。 笠間市大田661。光明寺の地図 光明寺、本堂前の枝垂桜 光明寺、本堂脇の枝垂桜(左)、同じく山門脇(右) 完全寺の枝垂桜 本堂前に大きな枝垂桜がある。唯信寺、光明寺とともに「宍戸桜三ヶ寺」と呼ばれる。 花見時期の境内は立入禁止。 桜花山完全寺は曹洞宗の寺で1570(元亀元)年の創建という。 笠間市大田658。完全寺の地図 完全寺の枝垂桜 光照寺 笠間山城西院光照寺。真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。親鸞聖人ご旧跡。 開基は親鸞聖人の直弟、教名房実念。親鸞聖人が笠間に移りこの地にとどまることを決めた場所といい、 「関東お草履ぬぎの聖跡」とされる。同寺の木造阿弥陀如来立像は茨城県指定文化財。檜の寄木造で、像高は74.7cm。 1963(昭和38)年の解体修理で、胎内に鎌倉時代の1255(建長7)年に完成した旨の墨書銘が確認されている。 このほか絹本著色聖徳太子略絵伝は、室町時代のもので笠間市指定文化財。 現在の本堂は2021(令和3)年10月10日落慶。前本堂は1797(寛政9)年の建立で、築200年以上が経過、老朽化著しく、 特に2011(平成23)年の東日本大震災以降は本堂が傾き始めていたという。 笠間市笠間2591。光照寺の地図 光照寺本堂 岩谷寺 医王山護国院岩谷寺。真言宗智山派。三峰山の北側中腹にある。平城天皇の勅願で建立された。開山は秀悦上人。山門は1771(明和6)年の建立。 本尊の木造薬師如来坐像は高さ約84.8cmで平安時代後期の作、寺宝の木造薬師如来立像は高さ約185cmで1253(建長5)年の銘がある。 両像とも国指定の重要文化財。両像の周囲を12神像が守っている。 笠間市来栖2696。岩谷寺の地図 岩谷寺山門 岩谷寺本堂(左)、堂(右) 東性寺 松境山弥勒院。807(大同2)年、筑波山を開いた徳一大師の創建と伝えられる。杉の木立に囲まれている。 本尊の木造十一面観世音像は、高さ約105cm、茨城県指定文化財。 茨城百八地蔵尊霊場第29番札所(六地蔵)。 笠間市手越195。東性寺の地図 弥勒堂 国指定文化財の木造弥勒仏立像がある。像高175.2cm、檜材の寄木造りで、漆箔が施され、 玉眼が嵌入されている。頭部の肉髻(にくけい)が低く螺髪(らほつ)は大きくその一つ一つに施毛が刻まれている。 右手は施無畏印(せむいいん)、左手は与願印(よがんいん)を結ぶ。身にまとう衲衣(のうえ)は、両肩を覆う通肩(つうけん)式で 衣文(えもん)は複雑。光背は二重円光で、頭光心八葉(ずこうしんはちよう)、台座は蓮肉(れんにく)一材、 蓮弁(れんべん)打付、敷茄子(しきなす)二材矧。光背、台座ともオリジナルと見られる。 鎌倉彫刻の様式が確立された13世紀後半の典型を示す作品。また、慶派の影響を強く受けているとされる。 この地には鎌倉時代の初めに創建された功徳山馬頭院石城寺という寺があり、 その本尊だったと伝わる。往時の弥勒堂は、五間四方の方形造という立派なもので、飛騨の職人が一夜で建立したという伝説も残る。 明治初期に廃寺となり、弥勒仏は行者の家に約20年預けられた後、不動堂に併祀されていた。 その後、金剛寺の住職が中心となって弥勒教会を設立、石城寺跡に堂を建てて管理していたという。 1920(大正9)年、当時の文部省から旧国宝の指定を受けた。それに伴い1927(昭和2)年に解体修理が行われ、 胎内の墨書に「宝治元年未丁四月廿四日敬白 弥勒如来」とあり、像が弥勒如来であること1247(宝治元)年の造立であることがわかった。 また「大施主藤原時朝」とあり、笠間城主笠間時朝が現世安穏と極楽往生を願う旨が残されている。 笠間時朝が寄進した六体仏の一つで、この地方の一部では身内が亡くなると六体仏を巡る慣わしがあるという。 戦後の1950(昭和25)年、改めて国の重要文化財に指定された。1973(昭和48)年、文化庁の指導により 収蔵庫を兼ねた鉄筋コンクリートの現在の弥勒堂が完成している。現在も弥勒教会が管理している。 通常仏像公開されていないが、4月8日の花まつりと秋に文化財の一般公開で見ることができる。弥勒仏は撮影禁止。 笠間市石寺464。弥勒堂の地図 弥勒堂 廣慶寺 住吉山小原院廣慶寺。曹洞宗の寺。1502(文亀2)年の創建。 笠間市小原。廣慶寺の地図 廣慶寺の本堂 廣慶寺最初の山門(左)、同じく本堂前の山門(右) 不動院 三学山岩崎寺不動院。真言宗豊山派。本尊は不動明王で、紀州根来山(現和歌山県の根来寺)から 1398(応永5)年、玄宥上人が携えてきたという由来を持つ。これは錐鑽(きりもみ)不動という秘仏で、 1417(応永24)年、宥戒上人がこれを本尊として開山した。現在の本堂は1995(平成7)年の完成。 御朱印有。オリジナルのはんこを使った版画風のデザインが特徴。 御朱印については御朱印・寺院も参照。 笠間市下郷3264。不動院の地図 不動院本堂 不動院御朱印(左)、同じく別バージョン(右) 飛龍神社 1043(長久4)年の創建とされる。祭神は補佐臣命(ほさおみのみこと)とされる。 1872(明治6)年、宍戸神社に合祀される。1881(明治15)年、同社を離脱、飛龍神社として復活する。 笠間市大田。飛龍神社の地図 飛龍神社拝殿 飛龍神社長寿の泉(左)、鳥居(右) 平神社 1124(元治元)年の創建。祭神は素戔嗚尊。もと牛頭天王社。1196(建久7)年、疫病が流行り、同社に祈願したところ、 間もなく治まったことから、領主の八田知家は感謝し拝殿や玉垣を奉納したと伝えられる。 1870(明治4)年、平神社と改める。1872(明治6)年、宍戸神社に合祀される。1882(明治16)年、分離し改めて祀られる。 笠間市平町。平神社の地図 平神社 小原神社 小原上郷地区の鎮守。旧香取神社。1155(久寿2)年、香取神宮の分霊を迎え創建。1872(明治6)年、小原神社と改める。 笠間市小原。小原神社の地図 小原神社 小原神社 小原新宿地区の鎮守。旧高淤加美神社。1381(永徳元)年、鹿島神宮から分霊を迎え創建。1872(明治6)年、小原神社と改める。 境内にある欅3本と杉1本が笠間市の天然記念物に指定されている。 笠間市小原。小原神社の地図 小原神社 大池公園 涸沼川沿いにある公園。その名の通り公園内に大きな池がある。春は桜の名所となっている。 笠間市赤坂。大池公園の地図 大池公園 大池公園の桜 大池公園の周囲に多くの桜がある。特に東側は隣接して流れる涸沼川沿いに桜並木となっている。 ライトアップも行われている。 大池公園の桜 ライトアップされた大池公園の桜 市民センターいわまの枝垂桜 市民センターいわまは、岩間町時代に町役場が置かれていた。その玄関左手にある枝垂桜。 笠間市下郷5140。市民センターいわまの地図 市民センターいわまの枝垂桜 住吉の桜 笠間市住吉の道路沿いにある桜。名称は当サイトが便宜上つけたもの。 笠間街道沿いにある桜 旭町の桜 笠間市旭町の住宅街にある1本の桜。名称は当サイトが便宜上つけたもの。 住宅街にポツンとある桜 笠間市立友部公民館の桜 公民館前の市役所側駐車場に桜がある。 笠間市中央3−3−6。笠間市立友部公民館の地図 笠間市立友部公民館の桜 笠間市立友部図書館の桜 友部図書館の周囲は桜が植えられている。 笠間市平町2084。笠間市立友部図書館の地図 笠間市立友部図書館の桜 涸沼川の桜並木 笠間市内の涸沼川の複数個所が桜並木となっている。 笠間市福田。涸沼川の桜並木の地図 笠間市福田地区の涸沼川桜並木 笠間クラインガルテン 本格的な滞在型市民農園。笠間焼で知られる笠間市の特徴を生かし「農芸と陶芸のハーモニー」をコンセプトにした新たなライフスタイルの提案という。 2001(平成13)年4月オープン。 施設は宿泊施設付き市民農園が50区画ある。1区画約300平方mの土地に約37平方mのラウベ(簡易宿泊施設)と約100平方mの畑がある。 ラウベにはキッチン、風呂、トイレ、ロフトがある。契約は1年、最長5年まで契約更新できる。 このほか1区画30平方mの日帰り市民農園が50区画ある。蕎麦打ち体験やジャム作りができる調理室を備えたクラブハウスもある。 笠間市本戸。笠間クラインガルテンの地図 笠間クラインガルテン 石井児童公園 かつて水戸線を走っていた蒸気機関車C58が展示されている公園として知られる。 水戸線は1967(昭和42)年3月15日、電化が完成しそれまで走っていた蒸気機関車は他の路線に移された。 笠間市では当時走っていたC58の保存を目指したが他での保存や廃車になったことから、他線で運行していた同型のC58機関車を迎えたもの。 展示されているC58は、1941(昭和16)年3月20日製造。主に岩手県と秋田県の北上線や奥羽本線などで使われ、 鹿児島県志布志線での運行を最後に1975(昭和50)年3月31日に廃車となった。 笠間市石井2068。石井児童公園の地図 公園に展示されているSL、C58275号 押辺八龍神社の銀杏 八龍神社の入口にある2本の銀杏。 笠間市押辺。押辺八龍神社の地図 押辺八龍神社の銀杏 仁古田のコスモス 仁古田の休耕田を利用したコスモス畑。 笠間市仁古田。仁古田のコスモスの地図 仁古田のコスモス畑 上市原のひまわり 地域資源の質的向上図る活動として地元の団体が耕作している。国道50号線沿いにある。 笠間市上市原。上市原ひまわり畑の地図 笠間市上市原、国道50号沿いのひまわり畑 上市原のポピー 地域資源の質的向上図る活動として上市原のひまわりの耕作=上記参照=を行っている地元の団体が同じ場所で実施。 笠間市上市原。上市原ポピーの地図 笠間市上市原、国道50号沿いのポピー 愛宕神社 常磐線の岩間駅を降りると正面にあるのが愛宕山(標高306m)。山頂には日本3大火防神社の愛宕神社が祭られている。創建は806(大同元)年。 祭神は火難除けの神様である火之迦具土命。旧郷社。 御朱印有。授与は神社守札授与所。御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市泉101。愛宕神社の地図 愛宕神社拝殿(左)、御朱印(右) 愛宕神社本殿(左)、愛宕神社に奉納された天狗面(右) 愛宕神社の展望スペースからの眺望 飯綱神社 いいづなじんじゃ 愛宕神社の奥、一段高いところにある。創建は806(大同元)年、筑波山を開いた徳一大師の開基とされる。 祭神は手力男命。式内社である夷針神社の論社のひとつ。 境内には龍神社、松尾神社などが祀られている。 御朱印有。授与は愛宕神社守札授与所。御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市泉。飯綱神社の地図 飯綱神社社殿(左)、御朱印(右) 六角殿 飯綱神社社殿裏にある。飯綱神社奥宮あるいは奉殿、本殿とされる。 青銅製の六角形神輿形式。六角殿の屋根には鳳凰がある。社殿の基礎は自然の亀甲型の石。 1824(文政7)年、瓦谷村(石岡市=旧八郷町)雲照寺山主明浄の勧進により建立されたもの。 笠間市泉。六角殿の地図 六角殿 十三天狗の祠 愛宕山には昔、天狗たちが住んだという伝説があり、天狗にまつわる場所も多くある。 飯綱神社の裏、愛宕山の最も奥宮には「十三天狗の祠」という石の祠がある。これは、愛宕山に住んでいた十三天狗を祀ったものとれている。 伝説によると、愛宕山が岩間山と呼ばれていた頃、13人の大天狗、小天狗が住んでおり、 厳しい修行で身につけた術で重い病人を救ったり、作物の豊凶を占うなどして、人々から信頼を集めていたという。 笠間市泉。十三天狗の祠の地図 十三天狗の祠 悪態まつり 岩間悪態まつり。悪退祭。無病息災を祈る祭り。日本三大奇祭として知られ、巡拝者に「ばかやろう」「しっかり歩け」などと罵声を浴びせる。また供え物を奪い合う。 12月の第3日曜日に行われる。 神官と白装束に烏帽子姿の13天狗が、16か所の祠を巡拝し、氏子や参加者の無病息災を祈願する。 祠は、山麓から愛宕山頂上にある愛宕神社、飯綱神社まで約4kmの山道に点在している。 祠では、ぬさ、5円玉をのせた小皿、餅、藁、板の供え物が捧げられ神官によって無言の行が行われる。無言の行が終わると、参加者らは供え物を奪い合う。 毎年この供え物をめぐって数々の13天狗は、行が終わるまで供え物が奪われないよう周囲をガードする。 天狗と参加者の攻防も見どころだ。また巡拝中には「ばかやろう」などの、いわゆる悪態をつくことからこの祭りの名がある。午後1時30分、飯綱神社で祈祷を行い祭りがスタート。 午後1時50分神社を出発。麓から山頂に向けて天狗らの一行は進み午後3時すぎには終了。午後3時30分からは、最後を飾る餅まきが行われ多くの人で賑わう。 かつては旧暦の11月16日深夜、男のみの参加で行われていた。 由来は定かではないが、言い伝えでは、江戸時代中期、村人の不満を探る為に、当地を治めていた藩の役人が悪口を自由に言い合う無礼講の祭りを始めたとされる。 戦後間もなく中断し、神事のみが続けられていたが、2002(平成14)年、昼間に行われる形で復活した。 開催日も2006(平成18)年から旧暦の11月16日を12月の第3日曜日にした。 悪態まつりの最後を飾る餅まき 祠で供え物を前に無言の行、周囲には行の後、縁起物の供え物を奪おうとする人たちとそれを行が終わるまでガードする13天狗(左)、祠と祠の間を進む神官と13天狗(右) 愛宕神社節分追儺式 2月3日、愛宕神社で行われる節分追儺式。節分祭。 正午の花火を合図に節分祭開始。およそ10回の神事と豆撒きが行われる。 また正午前には、近くの幼稚園児を招き豆撒きの体験がある。 拝殿からの豆まき(左)、豆撒き前に弓を放つ(右) あたご天狗の森 愛宕神社、飯綱神社を含めた愛宕山一帯は「あたご天狗の森」として整備されている。 宿泊施設のスカイロッジはじめ、ハイキングコース、池や遊具施設などリクレーション施設がある。 笠間市上郷2775−7。あたご天狗の森の地図 あたご天狗の森、池と滝 愛宕山の桜 愛宕神社のある愛宕山には、道路沿いを中心にソメイヨシノやヤマザクラなど、 さまざまな桜およそ4000本が植えられており、長い期間桜を楽しめる。 笠間市泉。愛宕山の地図 愛宕山、愛宕神社鳥居前の桜(左)、中腹にある河津桜(右) 山根池の桜 愛宕山の入口にある池の桜。 笠間市泉。山根池の地図 山根池の桜 六所神社例大祭 岩間六所神社の祭礼で、岩間地区最大の祭り。 11月の第1土、日曜日に行われ、岩間地区から山車と幌獅子10台ほどが出る。夕方から夜にかけて駅前通りは歩行者天国となり多くの人出で賑わう。 祭りには、岩間地区の上町、中町、榮町、日吉町、旭町東、旭町西、南春日町、吉岡の8町内から山車や獅子が出る。 初日、神社から神輿が出御、各町内を回り御仮屋に鎮座する。2日目は御仮屋から各町内を回って神社に戻り宮入りする。 駅前通りでの山車や獅子の競演は各日とも神輿の渡御が終了してからとなる。 祭りの獅子頭は重さが約20kgほどある大きなもので、横に動かすのではなく縦に動かす。より高く持ち上げるほどいいとされる。 また山車で奏でられる「岩間囃子」は笠間市指定民俗無形文化財。 詳細及び各町内の山車、幌獅子については六所神社祭礼へ。 神社を出る神輿 賑わう駅前通り(左)、六所神社前で山車(右) 六所神社 創建は康平年間(1058〜65年)、八幡太郎義家が奥州征伐の途中、源氏の守護神である八幡神を祀ったものとされる。 以後八幡様として地域の信仰を集めた。 1872(明治5)年、村内の鹿島神社、稲荷神社、星宮、熊野神社、雷神社の5社を合祀し、六所神社となる。 同神社の例大祭は、11月の第1土、日曜日に行われ、氏子地域から山車や獅子が出る(上記参照)。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 笠間市下郷4384。六所神社の地図 六所神社拝殿 六所神社本殿(左)、御朱印(右) 合気神社 合気道開祖植芝盛平翁が1943(昭和18)年に旧岩間町の吉岡の現在地に合気神社と茨城支部道場を創建。翁は、妻はつと共にこの地に移住し、合気道を完成させた。 世界で唯一の合気道の神社であり、合気道の聖地といわれている。 合気神社には、開祖植芝盛平翁の守護神である猿田彦大神はじめ43柱の大神が祭られている。例大祭は4月29日。日本全国はもとより、海外からも多くの合気道修行者が訪れる。 笠間市吉岡27−1。合気神社の地図 合気神社の境内 鳳台院 国見山鳳台院。曹洞宗の寺。世界最大級の達磨大師像があることで知られる。このほか境内には、笠間市指定文化財の山門や本堂、客殿、五重塔、観音堂などがある。 また、広大な庭園を持ち、5月上旬が見頃という約2万本の石楠花(シャクナゲ)が見られる。拝観料、駐車場無料。 笠間市箱田2458。鳳台院の地図 達磨大師像 鳳台院本堂(左)、山門(右) 鳳台院五重塔(左)、観音堂(右)
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