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結城市

 結城市は、茨城県の西部に位置する。鎌倉時代から続く歴史のある城下町。旧下総国の最北部に位置する。結城紬などで知られる。 JR水戸線と国道50号が市内を東西に横切っている。 つくば市からは、筑西市を挟んで西側にある。人口は52,494人(2010年国勢調査)、面積は65.84平方km。
 結城の歴史は古く、奈良時代の頃から、コウゾの繊維(木綿)である「ゆう」の産地として、ゆうきと呼ばれていた。 鎌倉時代初期に、有力御家人の結城氏が築城以来、北関東屈指の城下町として栄えた。
 室町時代になると結城氏は、関東八屋形(かんとうはちやかた、関東八家)と呼ばれる有力大名となり、結城100万石などと呼ばれる繁栄をもたらした。 また、幕府と結城氏など関東の豪族の戦いである結城合戦(1440年)などが起きている。 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は、この結城合戦から物語が始まっている。
 結城氏は戦国時代の終りに、徳川家康の二男、秀康を養子に迎え家督を継がせた。秀康は、1600(慶長5)年、越前に移封となり、結城氏の時代は終った。 江戸時代には、一時幕府領となったものの、その後の徳川氏の外戚でもある譜代大名の水野氏(水野宗家、結城水野家)が入り、1万8000石の城下町となった。 なお、一時期結城市内に領地を持っており、天保の改革で知られる水野忠邦を排出した水野氏(山川水野家)とは別。
 1947(昭和22)年、1年限りではあるが国民野球連盟所属のプロ野球球団「結城ブレーブス」があった。監督は大阪タイガース第2代監督の石本秀一。のちに広島の初代監督になった。 1947(昭和22)年夏季リーグで優勝、秋季リーグでも2位になった。
 1954(昭和29)年3月14日、結城郡結城町と山川村が合併して結城町、翌日の3月15日、結城町と絹川村、江川村、上山川村が合併して市制施行し結城市となった。
本場結城紬
 結城市中心とするこの地方は、古くから養蚕が盛んで、農家の農閑期の副業として絹織物が古くから織られていた。 それを示すように、鬼怒川は昔、絹川と呼ばれ、小貝川は蚕飼川ともいわれるなど、養蚕や絹に関する地名も多い。 すでに奈良時代には、朝廷に納めていたという。鎌倉時代から戦国時代にかけ、この地を治めていた結城氏が、養蚕を奨励し、保護育成に努めたことから結城紬として、全国に広まったという。 江戸時代から近代にかけ、常に新しい技術を導入して改良を行い、常に最高級の紬の生産を行っている。
 1956(昭和31)年に国の「重要無形文化財」に、1977(昭和52)年に国の「伝統的工芸品」に指定された。 重要無形文化財の指定商品になるには、糸つむぎで真綿から手つむぎした無撚糸、絣くくりは綿糸で手くくり、 機織は腰の力で張り具合を調整する織機(地機)で織った平織とすることが必要。 また、幅、長さ、打ち込み数や模様ずれなど15項目の厳しい検査に合格しなければならない。
 なお、結城紬には、重要無形文化財の指定商品のほかにも、地機以外で織ったものなど、さまざまなグレードのものがある。
 生産地は、茨城県では結城市、筑西市、下妻市など、栃木県は結城市に隣接する小山市など。現在、生産量の半数は栃木県側が占める。
 1974(昭和49)年のNHK、朝のテレビ小説「鳩子の海」で、結城紬の問屋が舞台の一部になった。
 2010(平成22)年11月16日、ユネスコ無形文化遺産に登録された。
結城夏祭り
 毎年7月第3日曜日から第4日曜日にかけて行われる結城市最大の祭り。市内の健田須賀神社の祭礼で正式には 「健田須賀神社夏季大祭」。祭りは、須賀神社が同地に鎮座した1242(仁治3)年以来続く伝統を持つ。
 第3日曜日、神社で大発式を行い御神体を神輿に遷し、氏子地区26町を渡御する。 第4日曜日再び町内を神輿が渡御し神社に戻る。また中日夜(水曜日夜)に旧大神輿渡御、万燈神輿渡御、 子供神輿パレードなどが行われる。勇壮な神輿担ぎは「結城のあばれ神輿」として知られる。 上記3日間は夕方から夜にかけて駅前通りが歩行者天国となる。
 結城市結城195。健田須賀神社の地図
結城神輿
結城市内を渡御する大神輿  
築地塀
 日高川通り、玉岡通り、御幸通りの3カ所に整備されている。白壁の築地塀に加え石橋や掘割が城下町の雰囲気を色濃く出している。 多くの場所で桜が植えられ、春には桜の名所として知られる。
日高川通り
 結城市役所南側の通り。市役所の塀を築地塀とした。日高川のせせらぎもあわせて復元、周辺に蔵造り風のトイレを整備した。
日高川通り
日高川通り
玉岡通り
 結城小学校南側の通り。同校の塀を築地塀とした。同じく日高川のせせらぎもあわせて復元、石橋なども整備した。
玉岡通り
玉岡通り
御幸通り
 結城市健康増進センター、茨城県結城看護専門学校の東側の通り。同校の塀を築地塀とした。
御幸通り
御幸通り
結城城堀割公園
 水辺公園。旧結城城の堀割跡に造られている公園。
 結城市結城。結城城堀割公園の地図
結城城堀割公園
結城城堀割公園
文化の広場
 玉岡通りの最西端にある小さな公園。明治天皇結城大本営跡の碑がある。
 結城市結城。文化の広場の地図
文化の広場
文化の広場
紬のふる里歴史の道
 日高通り、玉岡通り、御幸通りに加え、結城城堀割公園、文化の広場を加えた総称。総延長は1365m。
桐箪笥
 約400年前の室町時代、領主・結城家の調度品としてけやきで箪笥をつくったのが始まりという歴史を持つ。 その後、領内で桐が栽培されていたため桐箪笥に移った。江戸時代になると、桐の箪笥が衣類の保存にいいため需要が高まり、広く造られるようになったという。 現在でも、主に婚礼用の調度品として全国に出荷されている。1988(昭和63)年、茨城県の郷土工芸品に指定されている。
桐下駄
 静岡、香川と並ぶ桐下駄の日本3大産地。南北朝時代のころより、生産されていたようだが、専門の職人によって作られ、幅広く販売されるようになったのは江戸時代から。 現在では、桐下駄のほか、桐サンダルや置物として、ミニ桐下駄なども作られている。 
結城市伝統工芸館
 本場結城紬のはた織りの実演及び体験ができる。桐下駄、桐たんす、その他特産品の展示販売も行われている。
 開館時間は午前9時〜午後5時。水曜日定休。入場無料。駐車場有(無料)。
 結城市結城3018−1。結城市伝統工芸館の地図
結城市伝統工芸館
結城市伝統工芸館
つむぎの館
 結城紬の卸問屋、奥順が結城紬を後世に伝えるため、一般の人にも紬を紹介し、親しんでもらえるミュージアム的施設として設置した。 約4000平方mの敷地に、結城紬の伝統を伝える資料館「手織里」、染め体験や織り体験が出来る「染織体験工房」、 築150年の古民家を移築した結城紬の展示場「陳列館」、明治初期の蔵を改築したギャラリー喫茶「壱の蔵」、 同じくギャラリー昼食スペース「弐の蔵」などがある。
 つむぎの館は入館無料。手織里のみ、入館料大人200円、学生100円。染め体験2000円〜、織り体験1200円〜。 休館日は毎週火曜日(壱の蔵は不定休)。開館時間は午前9時30分〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。
 結城市結城12−2。つむぎの館の地図
つむぎの館
つむぎの館
手織里 染織体験工房
つむぎの館手織里(左)、染織体験工房(右)
本場結城紬郷土館
 結城紬の老舗企業、小倉商店が運営する結城紬の資料展示館。1階が結城紬資料室で、結城紬の歴史や製作過程を紹介する展示。 2階は織り場とギャラリーになっており、実際に紬を織る様子を見学できる。 また織物体験(予約必要、2時間3150円〜)も出来る。入館料無料。
 結城市結城(浦町)116。本場結城紬郷土館の地図
本場結城紬郷土館
本場結城紬郷土館
結城市民情報センター
 JR結城駅北口前にある結城市の新たな情報発信の拠点。2004(平成16)年5月15日オープン。 物産センター、ゆうき図書館、多目的ホール、結城市子育て支援センター、天体ドームなどがある。天体ドームには国内公開天文台で最大級の望遠鏡がある。 地上4階地下1階。地下は駐車場。月曜日(祝日の場合はその翌日)及び年末年始休館(図書館は加えて、毎月最終水曜日及び図書整理日)。 開館時間は、平日が午前9時(図書館は午前10時)から午後8時、土日祝日は午前9時から午後7時。
 結城市国府町1−1−1。結城市民情報センターの地図
結城市民情報センター
結城市民情報センター
結城蔵美館
 明治時代に建てられた見世蔵を改造、結城市の文化、芸術、歴史の新たな情報発信拠点。建物は本蔵と袖蔵からなる。 本蔵が芸術文化の情報発信、袖蔵が歴史などの資料を収蔵、公開している。室町時代、結城晴朝公が作らせたという天下三名槍(てんかさんめいそう)のひとつ 「御手杵の槍」のレプリカがある。
 開館時間は午前9時30分〜午後6時(4月〜10月)、午前9時〜午後5時(11月〜3月)。入館無料。木曜日休館。
 結城市結城1330。結城蔵美館の地図
結城蔵美館
結城蔵美館
ふじの蔵
 結城市内に残る木造2階建ての見世蔵を無人休憩所にした。観光パンフレットなど結城市の観光情報を提供するほか、男女別のトイレなどがある。 また、隣接して無料の市営駐車場がある。
 開館時間は午前9時〜午後4時。木曜日休館。
 結城市結城71。ふじの蔵の地図
ふじの蔵
ふじの蔵
結城駅
 JR水戸線の駅。結城市の玄関口。1889(明治22)年1月16日開業。1994(平成6)年12月9日、橋上駅が完成した。 南口と北口があり、いずれも駅前ロータリーがある。
 結城市結城7490−2。結城駅の地図
結城駅南口
結城駅南口
日本花の会 結城農場 桜見本園
 「花を楽しむ喜びをともにして、いくらかでも人々の心をやわらげたい」という理念のもと、桜の名所つくりや花のまちづくりなどを目的に、1962(昭和37)年に創立された公益財団法人。 結城農場は、面積約8ha、1969(昭和44)年開設された。桜見本園は1978(昭和53)年に開園、国内外で収集した350種の桜の見本がある。
 桜の花見時期には、施設内が一般公開されるほか、この時期に、桜の苗の無償配布も行われる。また、桜の苗木の販売が行われている。
 結城市田間2217。日本花の会結城農場の地図
日本花の会桜見本園
日本花の会結城農場桜見本園
JA北つくばきらいち結城店
 2004(平成16)年5月21日オープン、2009(平成21)年10月29日リニューアルオープン。 売場面積約360平方m、駐車場は約150台。
 営業時間は午前9時〜午後6時30分(4月〜10月)、午前9時30分〜午後6時(11月〜3月)、毎月第3水曜日定休。
 結城市新福寺4−13−5。きらいち結城店の地図
きらいち結城店
きらいち結城店
見世蔵
 結城市内には、明治時代初期から大正時代に造られた蔵が多く残っており、うち19棟、1基が国有形登録文化財に指定されている。 現在でも紬問屋や老舗の商店などは蔵で店を開いており、今でも現役で使われていることが多い。 国登録文化財に指定されているのは、結城酒造安政蔵、結城酒造新蔵、結城酒造煉瓦煙突、奥順見世蔵、奥順店舗、奥順離れ、奥順土蔵、結真紬見世蔵、結真紬主屋、小西見世蔵、赤荻本店見世蔵、 秋葉糀味噌醸造見世蔵、鈴木紡績見世蔵、鈴木紡績主屋、中澤商店見世蔵及び主屋、旧黒川米穀店店舗、キヌヤ薬舗、奥順壱の蔵、小倉商店店舗兼主屋、奥庄店舗兼主屋。
奥順店舗
奥順店舗
藤貫邸別館 簗嶋邸
藤貫邸別館(左)、簗嶋邸(右)
健田須賀神社たけだすがじんじゃ
 1870(明治3)年に健田神社と須賀神社を合祀した。結城の総鎮守として信仰を集めている。祭神は、結城の国造・竹田臣の祖神・武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)。 神社の名前から「健やかにすがすがしく」と、健康祈願はじめ、厄除け、方位除けにご利益があるとされる。 結城紬特製健康お守りが人気。また、わらじなど履物を奉納すると足腰が強くなるといわれており、そこから旅行前に参拝する人も多い。
 健田神社の創建は不詳だが、すでに「延喜式」(927年)の定められた時代には、下総国11社に選ばれ国司による奉幣があった。 合祀以前は、約2kmほど南に鎮座していた。この場所は、筑波山を拝する場所で、古代祭祀をとりおこない、日の出から暦を作った場所という。 そこから神社が祀られるようになったとされる。なお、現在の健田須賀神社も、東の筑波山の方を向いて鎮座している。
 須賀神社は、古くは牛頭天王といい、1242(仁治3)年、結城家初代の朝光公が尾張国津島神社より神霊を勧請しこの地に創建。 以降結城家第一の氏神として、崇敬された。1343(康永2)年には、結城氏7代、直朝公が結城七社を定め結城108郷の総社としてさらに信仰を集めることになった。 毎年、7月の第3日曜日から第4日曜日にかけて行われる同神社の夏季大祭(結城夏祭り)は結城市最大の祭りとして知られる(上記参照)。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。
 結城市結城195。健田須賀神社の地図
健田須賀神社拝殿
結城市内の中心部に鎮座する健田須賀神社拝殿
健田須賀神社本殿 健田須賀神社神楽殿
健田須賀神社本殿(左)、神楽殿(右)
健田須賀神社御朱印 健田須賀神社御朱印 健田須賀神社御朱印帳表紙 健田須賀神社御朱印帳裏表紙
御朱印(左)、同じく御朱印(中左)、御手杵の槍がデザインされたオリジナル御朱印帳表紙(中右)、 山岡鉄舟筆による扁額をデザインした裏表紙(右)
大栄寺
 明王山不動院大栄寺。真言宗豊山派の寺。山川不動尊として知られる。 本尊の不動明王像は、平安時代、平将門が京都の東寺から持ち帰った守本尊とされ、弘法大師作と伝えられる。茨城県指定文化財。 この本尊は、天慶の乱の際、この地にあった山川沼に身を投げた将門の家臣とともに失われてしまったが、その後漁師の網にかかり、現在地の北にある上山川の不動宿に置かれていたが、 1601(慶長6)年、当時の山川城主によって現在地に移された。桜の名所としても知られる。毎月28日には縁日が開かれている。
 結城市山川新宿311−1。山川不動尊の地図
山川不動尊仁王門
朱塗りの山川不動院仁王門
山川不動尊本堂 山川不動尊山門
山川不動尊本堂(左)、同じく山門(右)
弘経寺
 寿亀山松寿院弘経寺。浄土宗の名刹。1594(文禄4)年、結城家18代・結城秀康(徳川家康の子)が、娘の松姫供養のため、飯沼(常総市)の弘経寺(のちに千姫=2代将軍秀忠の娘、豊臣秀頼正室=の墓があることで知られる) の住職・壇誉上人を招いて建立。江戸時代には、壇林(学問所、僧侶の養成機関)が置かれ、関東十八壇林として広く知られた。 また、江戸時代の俳人・与謝蕪村が滞在中に描いた襖絵などが残っている。なお、境内には蕪村の句碑「肌寒し己が毛を噛む木葉経」がある。
 結城市結城(西町)1591。弘経寺の地図
弘経寺本堂 弘経寺山門
結城市の市街地の西にたたずむ弘経寺の本堂(左)、山門(右)
大輪寺
 如意山観音院大輪寺。本尊は如意輪観世音菩薩。真言宗豊山派の寺。 もとは常陸国河内郡にあり大輪坊と称したが、1227(安貞元)年、結城氏初代の朝光公が僧・元観を招き現在地に建立した。 朝光公の帰依により結城家代々の祈願所になった。 江戸時代の元禄年間(1688〜1703年)には僧・俊寿が中興し藩主水野家の祈願所として末寺二十二ヵ寺を擁する有力寺院だった。 関東八十八ヵ所霊場第37番霊場。本堂は1992(平成4)年の再建。 結城市結城にある人手観音堂は、同寺の境外仏堂。桜の名所として知られる。 安置されている聖観音立像は、安産、開運にご利益があるとして近隣の信仰を集めている。
 結城七福神の大黒天が祀られている。また、人手観音堂には布袋尊が祀られている。
 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。
 結城市結城1139。大輪寺の地図
大輪寺本堂 大輪寺御朱印
大輪寺本堂(左)、関東八十八ヵ所霊場第37番霊場御朱印(右)
大輪寺山門 大輪寺位牌堂
大輪寺山門(左)、位牌堂(右)
乗国寺
 見龍山覚心院乗国寺。曹洞宗の寺。1449(宝徳元)年、結城家13代成朝公が、結城合戦で戦死した12代持朝公の菩提をと弔うため建立。 松庵宗栄が開山。創建当時は、鬼怒川と田川に挟まれ、下総国、常陸国、下野国の国境にあり、三国山と号した。 1479(文明11)年、鬼怒川の洪水の被害に遭い、寺地が流出したため現在地に移転したという。 本堂は、1860(文久元)年、大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)から杉や松の巨木を運んで最乗寺の本堂と同様に建立したと伝えられる。 1713(正徳3)年建立の山門(赤門、楼門)と1679(延宝7)年建立の四脚門(総門)は結城市指定文化財。 山門は1902(明治35)年の暴風雨で崩壊、1924(大正13)年、上部はそのままに、下部はコンクリート造りに改築した。
 結城七福神の福禄寿が祀られている。
 結城市結城3073。乗国寺の地図
乗国寺 
乗国寺本堂
乗国寺山門 乗国寺四脚門
乗国寺山門(左)、四脚門(右)
金光寺
 慶壽山金光寺。真言宗豊山派。結城家埋蔵金(結城家初代朝光公埋蔵金もしくは結城家17代結城晴朝公埋蔵金)伝説が残る寺。 結城家との係りは深く、建立は、1200(正治2)年3月、結城家初代朝光公が観音堂を建立し、持仏の聖観世音菩薩を祀ったことに始まるとされる。 山門の梁に謎めいた和歌などが残されており、この謎を解けば埋蔵が見つかるという(下記参照)。
 結城七福神の寿老人が祀られている。
 結城市小田林2045。金光寺の地図
金光寺 寿老人
金光寺本堂(左)、観音堂(右)
金光寺山門 寿老人
金光寺山門(左)、寿老人(右)
結城家埋蔵金
 日本3大埋蔵金伝説(他は徳川埋蔵金、豊臣埋蔵金)の一つ。 結城家ゆかりの金光寺の山門に謎めいた和歌が彫られており、意味不明のことから、埋蔵金の場所を記したものではないかとされている。
 埋蔵金伝説は、結城朝光公が、鎌倉幕府初代将軍、源頼朝公の命で、奥州藤原氏を討伐した際、大きな手柄をたてたため、 黄金文化で知られる奥州藤原氏の黄金、そのほとんどを褒美に貰ったとされる。 その黄金の量は、金の延べ棒5万本、砂金100樽、重量にして380tにもなるという説もある。 代々結城家に伝わっていたが、17代晴朝公の時、徳川家康が結城家の黄金を狙ったため領内に隠したとされる。 これまでに徳川家康や大岡越前守忠相らが、埋蔵金発掘を行っていることもその信憑性を高めているという。
金光寺山門和歌
金光寺山門の梁に彫られている和歌
結城七福神
 毎年新春に開運を願う観光イベントとして「ゆうき七福神めぐり」として行われている。約10km、6時間。
■恵比寿 蛭子神社 
 結城市結城(戸野町)1174。蛭子神社の地図
蛭子神社
蛭子神社
■大黒天 大輪寺
 上記参照。
 結城市結城1139。大輪寺の地図
■毘沙門天 毘沙門堂
 結城市結城(木町)1632−2。毘沙門堂の地図
毘沙門堂
毘沙門堂
■弁財天 市杵島神社 
 結城市結城483−1。市杵島神社の地図
市杵島神社 
市杵島神社
■福禄寿 乗国寺
 上記参照。 
 結城市結城(小塙)3073。乗国寺の地図
■寿老人 金光寺 
 上記参照。
 結城市小田林2045。金光寺の地図
■布袋尊 人手観音堂 
 結城市結城。人手観音堂の地図
観音堂 布袋尊
観音堂(左)と布袋尊(右)
結城酒造
 「富久福」(ふくふく)「つむぎ娘」の銘柄はじめ、400年以上前の製法をよみがえらせた「古拙」などがある。 初代は、徳川家康の2男、秀康が結城家に養子入る際、京都伏見から随行し、この地で創業したという。 安政蔵、新蔵、そして結城酒造のシンボルともなっている煉瓦煙突が国有形登録文化財の指定を受けている。 酒蔵見学も可能(予約)。
 結城市結城1589。結城酒造の地図
結城酒造
結城酒造
武勇
 社名と同じ「武勇」の銘柄で知られる。慶応年間(1865〜68年)、現在の新潟県上越市出身の創業者がこの地で酒造りを始めた。 今でも江戸末期に作られたという趣のある蔵造りの店舗が出迎えてくれる。 酒蔵見学も可能(予約)。
 結城市結城144。武勇の地図
武勇
武勇
称名寺しょうみょうじ
 新居山称名寺。結城氏初代朝光公は親鸞の教えに帰依し、芳賀郡新居村(栃木県)の念仏堂を結城の西の宮に移築、親鸞の高弟冥仏を招いて開基とした。 結城氏初代の朝光から4代時広までの墓がある。
 結城市結城(浦町)152。称名寺の地図
称名寺
称名寺本堂
御霊屋門 二条門
称名寺御霊屋門(左)、二条門(右)
安穏寺あんのんじ
 結城山大寂院安穏寺。曹洞宗の寺。天平宝字年間(757〜65年)、鑑真和上の高弟、祚蓮律師の創建とされ、はじめは律宗だった。 1369(応安2)年、結城氏8代直光が那須の寺から源翁和尚を招き曹洞宗に改めた。 本堂は1841(天保12)年、山門は1385(至徳2)年の建立。茨城百八地蔵尊霊場第37番札所(勝軍地蔵尊)。
 結城市結城(鍛治町)1725。安穏寺の地図
安穏寺本堂 安穏寺山門
安穏寺山門(左)、本堂(右)
孝顕寺こうけんじ
 天女山永正禅林泰陽院孝顕寺。曹洞宗の寺。1515(永正12)年、結城氏15代政朝の開基、独放雲聚禅師の開山とされる。 もと玉岡(結城城西側)にあり玉岡山永正寺といった。その後17代晴朝が現在地を寄進、1599(慶長4)年、18代秀康によって建立され、現在の寺号に改め菩提寺とした。 また、結城氏の後に藩主となった水野氏も菩提寺とした。本堂、三門などがある。三門は結城市指定文化財。 なお18代秀康は、その後福井に移封となったが、福井に孝顕寺を建立し、菩提寺としている。
 結城市結城(立町)461。孝顕寺の地図
孝顕寺三門 孝顕寺本堂
孝顕寺三門(左)、本堂(右)
常光寺
 金明山天照院常光寺。時宗の寺。1297(永仁5)年、時宗の開祖、一遍上人の弟子、他阿によって建立されたと伝えられる。 門前にある阿弥陀如来坐像は、古くから「金仏サマ」として親しまれている。天命(現在の栃木県佐野市)の鋳物師による傑作とされ、1566(永禄9)年に修復した記録が残る。
 結城市結城(白銀町)400。常光寺の地図
常光寺
常光寺
妙国寺
 法頂山妙国寺。日蓮宗の寺。1345(貞和元)年、日宣上人の開山。江戸時代、結城を代表する俳人の一人で、与謝蕪村らと交流のあった早見晋我(北寿)の墓がある。 蕪村は、晋我の死後、俳詩「北寿老仙を悼む」を詠んでいる。境内に詩碑がある。
 結城市結城1570。妙国寺の地図
妙国寺本堂 妙国寺山門
妙国寺本堂(左)、山門(右)
光福寺
 日高山円蔵院光福寺。真言宗豊山派の寺。本尊は阿弥陀如来。境内の大師堂は2011(平成23)年の再建。 茨城百八不動尊霊場第38番札所(北向地蔵尊)。
 結城市結城(西ノ宮)1394。光福寺の地図
光福寺本堂 光福寺大師堂
光福寺本堂(左)、再建された大師堂(右)
金福寺
 時宗の寺。本尊は阿弥陀如来。1289(正応2)年、呑海上人の開山。境内に二十三夜尊、日限地蔵尊、菅谷不動尊を祀った堂がある。
 結城市結城(西ノ宮)1348。金福寺の地図
金福寺 金福寺
金福寺本堂(左)、二十三夜尊、日限地蔵尊、菅谷不動尊を祀った堂(右)
辻薬師如来
 光福寺の境外仏堂。結城三大薬師のひとつ。結城朝光の時代、鬼怒川の川面に光を放って漂う仏像があり、それを屋内の碁盤の上に祀ったものという。 「さがりの薬師さん」として親しまれている。
 結城市結城。辻薬師如来の地図
辻薬師如来
辻薬師如来
釈迦堂
 慶福山結城院満福寺釈迦堂。新義真言宗の寺。10世紀ごろの創建という。永享年間(1429〜41年)、久保田村(現在の結城市久保田)に再興され、間もなく結城城内に移され、 さらに慶長年間(1596〜1615年)、現在地に移った。同寺に伝わる銅造虚空蔵菩薩像は、結城家16代、結城正勝の念持仏とされる。 境内入口にある増田遷晁が建立した文人碑には「八九間 空で雨ふる 柳かな」の松尾芭蕉の句が刻まれている。虚空蔵菩薩像、文人碑は結城市指定文化財。
 結城市結城。釈迦堂の地図
釈迦堂
釈迦堂
釈迦堂山門 釈迦堂文人碑
釈迦堂山門(左)、文人碑(右)
結城家御廟
 結城家の墓で、初代朝光から16代政勝までの16基と、政勝の嫡子・明朝、それに妙仙の2人と名前が判らない2基を合わせて、全部で20基の五輪塔が並んでいる。
 御廟のある場所は、もとは福聚山慈眼院というお寺の境内で、16代政勝の建立。 廟が造られた経緯は不明だが、政勝が隠居後にばらばらのお寺にあった先祖の墓を移し廟とした。18代秀康が越前に移るにあたり、 各寺院にあった墓を廟に移した。などの説がある。
 結城市結城。結城家御廟の地図
結城家御廟
結城家御廟
住吉神社
 祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命。創建は建武年間(1334〜1336年)とされるが不明。 現在の社殿は1822(文政5)年、焼失したことにともない、1830(天保元)年再建されたもの。 結城七社のひとつ。
 結城市結城1411。住吉神社の地図
住吉神社 住吉神社鳥居
住吉神社社殿(左)、鳥居(右)
大桑神社
 祭神は稚産霊神。和銅年間(708〜715年)の創建という。阿波斎部(あわのいんべ)という人が、この地方に養蚕や織物を伝え、稚産霊を祀って大桑郷と名づけたことに始まるとされる。 1479(文明11)年と1723(享保8)年の大洪水で社殿流失。1745(延享2)年現在地に再建された。結城七社のひとつ。
 結城市小森1。大桑神社の地図
大桑神社
大桑神社社殿
諏訪神社上山川
 結城諏訪神社。上山川諏訪神社。祭神は建御名方神。創建は940(天慶3)年、承平天慶の乱の際、藤原秀郷が戦勝祈願のため、信濃諏訪大社を勧請した。 勝負事、諸難突破の神として信仰を集めており、家内安全や商売繁盛、厄除け、方位除け、交通安全などに御利益があるとされる。 毎年4月3日の神武祭で奉納される「太々神楽」(だいだいかぐら)は茨城県無形民俗文化財に指定されている。 また、1月27日には、藤原秀郷が戦勝祈願のため行ったという「弓引き神事」が行われる。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。
 結城市上山川。諏訪神社・上山川の地図
諏訪神社拝殿 諏訪神社御朱印
諏訪神社拝殿(左)、御朱印(右)
諏訪神社本殿 諏訪神社参道
本諏訪神本殿(左)、参道(右)
上山川諏訪神社太々神楽 かみやまかわすわじんじゃだいだいかぐら
 上山川諏訪神社で毎年4月3日に行われる祭礼「神武祭」で奉納される神楽。 茨城県の無形民俗文化財に指定されている。
 太々神楽がいつごろ始まったかは不明だが、神楽面の裏に「安永九年播州求之」の墨書があり、江戸時代中期には行われていた。 12座からなり第1座「五行の舞」、第2座「猿田彦の舞」、第3座「翁の舞」、第4座「蟇目の舞」、第5座「稲荷(男神)の舞」、 第6座「稲荷(女神)の舞」、第7座「恵比寿の舞」、第8座「諾尊(なぎ)の舞」、第9座「冉尊(なみ)の舞」、 第10座「鈿女(うずめ)の舞」、第11座「手刀男の舞」、第12座「大山祗の舞」で、 最後の大山祗の舞では、奉納された「福餅」「福菓子」「福銭」などがまかれるのが特徴。
 神楽師は全員が舞を踊ることができ、笛、太鼓の演奏もできる免許皆伝者からなる。 囃子方は笛2人、太鼓1人、大拍子1人で構成される。
諏訪神社太々神楽稲荷舞
稲荷の舞
諏訪神社太々神楽猿田彦舞 諏訪神社太々神楽翁舞
猿田彦の舞(左)、翁の舞(右)
結城七社ゆうきしちしゃ
 南北朝時代、結城家7代、結城直朝公は、南朝方の拠点であった関城を攻略するにあたって北斗七星に必勝を祈願、見事勝利した。 これに感謝した直朝公は、1343(康永2)年5月10日、結城七社を定めたとされる。 七社は牛頭天王(須賀神社=現健田須賀神社、上記参照)、住吉大明神(現住吉神社、上記参照)、大桑大明神(現大桑神社、上記参照)、以上3社が結城市内にある。 高椅大明神、八幡宮、大神宮、鷲宮大明神の4社は当時、結城家の領内だった栃木県小山市にある。
東持寺とうじじ
 諏訪山光國院東持寺。曹洞宗の寺。地元では「うめでら」として知られる。本尊は十一面観世音菩薩。
 1502(文亀3)年、領主の山川朝貞によって上山川・原に建立された。江戸時代の1626(寛永3)年、領主水野忠元によって現在地に移転した。
 約3haの境内には、約300本の梅林がある。摂受院(書院)はじめ、薬師堂、うめでら天神宮、覆堂三宝殿(正和大板碑)の諸堂、 本堂前には七福羅漢像がある。
 境内は、山川氏の居館だった中世武家屋敷跡で、結城市の文化財に指定されている。周囲は土塁や堀が残されている。
 結城市上山川3226。東持寺の地図
東持寺本堂 東持寺本堂
東持寺本堂(左)、薬師堂(右)
梅林 中世武家屋敷跡
東持寺梅林(左)、中世武家屋敷の遺構(右)
鹿窪運動公園かなくぼうんどうこうえん
 全面人工芝の野球場や多目的運動場、体育館、テニスコートなどを備えた総合運動公園。 野球場は、センター120m、両翼95m。観客席は内外野合わせて約2400人。 多目的運動場は、400mのトラックがあり、トラック内はサッカー場として利用できる。 かなくぼ総合体育館は、観覧席は2階固定席520席、1階移動席560席。可動式ステージがある。
 結城市鹿窪1。鹿窪運動公園の地図
鹿窪運動公園体育館
かなくぼ総合体育館
結城城跡公園
 結城城は、1183(永寿2)年、結城朝光が築城。室町時代の結城合戦では、幕府側を相手に篭城し、1年間も持ちこたえた堅牢な城だった。 台地の上に広がる平山城で、天守閣はない。現在城跡は、市街地の東北部にあり、公園になっている。土塁の一部などが残るものの遺構は少ない。 桜の名所として知られる。
 結城市結城2486−1。結城城跡公園の地図
結城城跡公園
結城城跡公園 
結城城跡公園の桜
 結城城跡公園にはソメイヨシノ約170本があり、桜の名所として知られる。また「結城さくら祭り」の会場で、夜には桜のライトアップも行われる。
 結城市結城2486−1。結城城跡公園の地図
結城城跡公園の桜
結城城跡公園の桜
聡敏神社そうびんじんじゃ
 結城聡敏神社。旧結城藩水野家の初代、水野勝成公を祀る。結城城跡公園内にある。
 水野勝成公は、勇将として知られ、関が原の戦いや大坂冬の陣、 大坂夏の陣、島原の乱などで戦功をたてた。その功で大和郡山6万石、その後備後福山(現広島県福山市)10万石に封ぜられた。 また、当時としては稀に見る長寿で88歳まで生きた。このため生前の業績から聡敏大明神として祀られた。
 結城聡敏神社は、1816(文化13)年、福山聡敏神社から分霊、勧請した。
 結城市結城2486−1。聡敏神社の地図
聡敏神社
聡敏神社
水野忠邦の墓
 江戸時代の3大改革「天保の改革」を主導したことで知られる江戸幕府の老中を務めた水野忠邦の墓。茨城県指定文化財。
 水野家は戦国時代、三河の刈谷城主で、徳川家康の母。於大の方(伝通院)の実家として知られる。於大の方は、刈谷城主・水野忠政の娘で、岡崎城主・松平広忠に嫁いだ。 長男が竹千代で、のちの徳川家康となる。忠政の孫の水野忠元が大坂夏の陣の功により下総山川、結城本郷、下野鹿沼に各1万石と山川城を与えられ3万石の大名(山川結城家)となった。 1620(元和6)年、忠元が亡くなると2代・忠善が現在の墓のある場所に護龍山万松寺を建立、菩提寺として父を葬った。忠善は1635(寛永12)年、駿河田中へ国替、以降山川に戻ることは無かったが、許されて11代忠邦までがこの寺に葬られている。 万松寺は、1855(安政2)年に焼失、再建されることなく1872(明治5)年、廃寺となっている。
 水野忠邦は、山川水野家11代当主。肥前唐津藩主、遠江浜松藩主。西の丸老中、本丸老中を歴任。 老中首座となると天保の改革を主導し、物流を独占していた株仲間の解散や贅沢品を禁止する倹約令などの政策を進め、幕府の財政難解消を図った。しかし、急激な改革は反発を呼びわずか2年余りで失敗、忠邦は失脚した。
 なお、水野忠邦は1815(文化12)年と1842(天保13)年に万松寺を訪れているという。
 結城市山川新宿。水野忠邦の墓の地図
水野忠邦の墓
水野忠邦の墓。周囲には山川水野家歴代当主の墓がある
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