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筑波山神社

 古代より山岳信仰の対象とされてきた筑波山を境内(標高270m以上約370ha)とし、 男体山頂に筑波男大神=つくばおのおおかみ(伊弉諾尊=イザナギノミコト)を、 女体山頂に筑波女大神=つくばめのおおかみ(伊弉冉尊=イザナミノミコト)を祀る本殿が建てられ、 筑波山南面の中腹に拝殿がある。 筑波山がいつごろ創建されたかは不明だが「天地開闢(てんちかいびゃく)」以来、自然とあがめられるようになったとする。 いわゆる、境内地自体(筑波山自体)を御神体とする筑波山信仰に端を発し、信仰の山を祀ったものとされる。 もともと筑波男大神、筑波女大神として祀られていたが、その後大和朝廷の力が及ぶに至り、日本神話と融合し祭神が伝えられたと考えられる。
 782(延暦元)年に法相宗の学僧・徳一(とくいつ)が、筑波山知足院中禅寺を開く。筑波山の御威光を借りて仏教を広めようと考えたと見られる。 それ以降、明治の廃仏毀釈まで、筑波山神社のなかに仏教寺院がある神仏習合の形で、神と仏をともに祀った時代が長く続いた。
 筑波山神社の現在の拝殿の場所には、中禅寺の本堂(大御堂)が、その脇には三重塔、現在の随神門は仁王門と呼ばれ、その近くには鐘楼もあった。 このほか、薬師堂、経堂、聖徳太子堂などを持つ、大伽藍だった。多くは江戸時代、徳川家の庇護の下、建立されたもの。
 筑波山神社が現在の形になったのは明治以降。本堂が取り壊され、その跡に拝殿が建てられたほか、三重塔はじめ多くの仏教施設が壊され、仏教色が一掃された。 なお、鐘楼はつくば市内の慶龍寺に移され今でも見ることが出来る。同じく仁王像もつくば市内の東福寺に移されている。 このほか、多くの仏具もゆかりの寺院に移され難を逃れた。
 御利益は、祭神の二神が結婚して神々を産み、国を造っていったという神話から、縁結び、夫婦和合、家内安全、子授け、子育てなどにご神徳がある。 また、国を造ったという事から、社運隆昌、職場安全、工事安全、五穀豊作、商売繁盛などにもご神徳があるという。 このほか、導きの神としても信仰されている。これは、筑波山が平野のなかにあり遠くから望むことが出来るため、古来より、道しるべとなってきた。 さらに、鹿島灘で操業する漁師さんたちも筑波山を目印にしていたという。このため、交通安全、旅行安全などに御利益があるとされる。
 平安時代にまとめられた、延喜式神名帳に記載のある式内社で、筑波男大神は名神大社、筑波女大神は小社に列せられている。 明治時代の近代社格制度では県社。現在は、神社本庁の別表神社。
 毎年の初詣には3が日で20万人以上の参拝者が訪れる茨城県内でも人気の神社。
 つくば市筑波1。筑波山神社拝殿の地図
筑波山神社拝殿
筑波山神社拝殿
男体山本殿 男体山守札授与所
筑波山神社男体山本殿(左)、男体山本殿脇の守札授与所(右)
女体山本殿 女体山守札授与所
筑波山神社女体山本殿(左)、女体山本殿脇の守札授与所(右)
三角点と女体山本殿
筑波山山頂三角点と女体山本殿
御朱印
 筑波山神社の御朱印は5種類ある。御朱印の墨書は「筑波山神社」「男体山御本殿」「女体山御本殿」だが、 御本殿の御朱印は、山頂の守札授与所でいただく場合は「登拝」の朱印が、中腹の拝殿でいただく場合は「遥拝」の朱印が押される。 また、末社の「朝日稲荷神社」「日枝神社春日神社」「厳島神社」の御朱印、加えて常陸七福神の恵比寿神の御朱印がある。
 オリジナル御朱印帳は、表紙は紫色で、そこに白色で筑波山をデザイン、その下に金色で筑波山神社、左上には同じく金色で御朱印帳と入っている。 また裏表紙も紫色だが、葵が散りばめられたデザイン。その中央に金色で三つ葉葵の神紋が記されている。 大きさは縦18cm、横12cm(実際に使用する面、表紙はこれより少し大きい)。表、裏とも23ページ。 新しいオリジナル御朱印帳は、ダイヤモンド筑波の写真を加工したデザイン。表紙に「御朱印帳」「筑波山神社」の文字。 裏表紙には白色の三葉葵の神紋。使用面の大きさは縦18cm、横12cm(実際に使用する面、表紙はこれより少し大きい)。表、裏とも23ページ。
 つくば市や周辺市町の神社の御朱印については御朱印・神社へ。 常陸七福神については常陸七福神へ。
筑波山神社御朱印 男体山本殿御朱印 男体山本殿御朱印 男体山本殿御朱印
筑波山神社の御朱印(左)、筑波山神社男体山御本殿の御朱印=登拝墨書版(中左)、 同じく男体山御本殿の御朱印=登拝スタンプ版(中右)、同じく男体山御本殿の御朱印=遥拝スタンプ版(右)
女体山本殿御朱印 女体山本殿御朱印 女体山本殿御朱印 常陸七福神恵比寿御朱印
筑波山神社女体山御本殿の御朱印=登拝墨書版(左)、同じく女体山御本殿の御朱印=登拝スタンプ版(中左)、 同じく女体山御本殿の御朱印=遥拝スタンプ版(中右)、同じく常陸七福神、恵比寿神の御朱印(右)
筑波山御朱印 筑波山御朱印 筑波山御朱印 筑波山御朱印
筑波山神社摂社、安座常神社の筑波山の日限定御朱印=登拝版(左)、同じく安座常神社の筑波山の日限定御朱印=遥拝版(中左)、 筑波山神社摂社、小原木神社の筑波山の日限定御朱印=登拝版(中右)、同じく小原木神社の筑波山の日限定御朱印=遥拝版(右)
筑波山御朱印 筑波山御朱印 筑波山御朱印 筑波山御朱印
筑波山神社摂社、渡神社の筑波山の日限定御朱印=登拝版(左)、同じく渡神社の筑波山の日限定御朱印=遥拝版(中左)、 筑波山神社摂社、稲村神社の筑波山の日限定御朱印=登拝版(中右)、同じく稲村神社の筑波山の日限定御朱印=遥拝版(右)
筑波山朝日稲荷神社御朱印 筑波山朝日稲荷神社御朱印 筑波山日枝神社春日神社御朱印 筑波山日枝神社春日神社御朱印
筑波山神社末社、朝日稲荷神社の御朱印=墨書版(左)、同じく朝日稲荷神社の御朱印=スタンプ版(中左)、 筑波山神社末社、日枝神社春日神社の御朱印=墨書版(中右)、同じく日枝神社春日神社の御朱印=スタンプ版(右)
筑波山厳島神社御朱印 筑波山厳島神社御朱印 男体山本殿御朱印 女体山本殿御朱印
筑波山神社末社、厳島神社の御朱印=墨書版(左)、同じく厳島神社の御朱印=スタンプ版(中左)、 男体山本殿御朱印=墨書版(中右)、女体山本殿御朱印=墨書版(右)
男体山本殿御朱印 女体山本殿御朱印 秋御座替祭限定御朱印
男体山本殿御朱印=スタンプ版(左)、女体山本殿御朱印=スタンプ版(中)、秋季御座替祭限定御朱印(右)
御朱印帳表紙 御朱印帳裏表紙 新御朱印帳表紙 新御朱印帳裏表紙
筑波山神社オリジナル御朱印帳の表紙(左)、裏表紙(中左)、 新しいデザインの筑波山神社オリジナル御朱印帳の表紙(中右)、裏表紙(右)
江戸城鎮護の霊山
 徳川家康は、江戸城に入城の際、東北にそびえる筑波山を江戸城鎮護の霊山とし、知足院中禅寺を再興して将軍家の御祈願所とした。 現在の筑波山神社拝殿の場所に本殿があった。当時は神仏混合で祀られることが多く、筑波山も筑波山神社と中禅寺は、明確に区分されていなかったようである。
 なお、これは他の場所でも同じで、栃木県・日光の2社1寺も、江戸時代以前は神社、霊廟等含めて日光山と呼ばれ、現在のように分離されたのは明治時代になってからである。
 徳川家康が筑波山神領500石を寄進したほか、2代将軍・秀忠、そして3代将軍・家光が、春日神社、日枝神社などを造営寄進。 徳川家の威信を示すような大規模な伽藍となった。 5代将軍・綱吉は知足院を護持院に、そして1000石を加増した。また、江戸時代の筑波山神領は、伊勢、日光の両神領とともに、国役金免除されるなど、筑波山がいかに大切にされていたかが分かる。
 しかし明治時代に入ると、廃仏毀釈によって、筑波山では護持院が廃止された。 護持院はその後再興され、筑波山神社拝殿の隣、筑波山大御堂となっている。
天浮橋あめのうきはし
 天浮橋は、日本神話によると、天上界と地上をつなぐ橋で、イザナギ、イザナミの両神が降臨したところとされる。 筑波山の天浮橋は、女体山山頂、筑波山神社女体山本殿裏にある。幅1m、長さ3m余りの木製の橋で、女体山頂上風景の象徴となっている。
 2009(平成21)年4月20日、新しく橋が架け替えられ、28年ぶりに通行可能となった。これまで、1956(昭和31)年に架けられた橋があったが、老朽化のため、1981(昭和56)年から通行止めとなっていた。  筑波山にいつごろからあるかは不明だが、筑波山神社に1702(元禄15)年の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)が残されており、少なくとも300年前に存在していたらしい。
 山頂からこの橋を渡って降りると、登山道の白雲橋コース下山口と女体山神社登り口前に戻る分岐がある。
天浮橋 女体山本殿と天浮橋
天浮橋(左)、筑波山神社女体山本殿と天浮橋(右)
狛犬
 筑波山神社には、狛犬が2対と1体ある。拝殿前に1対、御神橋近くの参道に1対、男体山本殿前に1体ある。
 拝殿前の狛犬は獅子タイプの躍動感ある狛犬。右側が阿形像、左側が吽形像、阿形像は玉を持っている。 拝殿前左側にある狛犬がかなり目立つ位置にあり、反対に拝殿前右側にある狛犬が建物の陰にあるため、左側単独に見える。
 参道にある狛犬は、御神橋近くにある。左側が阿形像、右側が吽形像。一般的な並びである拝殿前とは逆になっている。 また阿形像には玉に加え、子獅子がいる。
 男体山の本殿前には1体、右側のみの狛犬がいる。
狛犬 男体山本殿狛犬
拝殿前にある狛犬全景。溶岩の築山の上にいる(左)、男体山本殿前の狛犬(右)
拝殿前狛犬左 拝殿前狛犬右
拝殿前向かって左側の狛犬(左)、同じく拝殿前向かって右側の狛犬(右)
参道狛犬左 参道狛犬右
参道左側の狛犬(左)、同じく参道右側の狛犬(右)
大鈴
 筑波山神社拝殿のシンボルとなっている大鈴。拝殿前の階段を上っていくと一番最初に見えてくる。 ちょうど賽銭箱の上にある。鈴緒はついておらず鳴らすことはできない。 また大鈴の切れ込みのところ両側がハートマークなっており、縁結びに御利益がありそうと話題になっている。
大鈴 大鈴ハート
筑波山神社大鈴(左)、大鈴の切れ込みにあるハートマーク(右)
随神門
 つくば市指定文化財。間口5間2尺、奥行3間の八脚楼門。1633(寛永10)年家光公によって寄進されたが、その後2度に渡って焼失、現在の門は1811(文化8)年の建立。 左側に倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像が、参拝者ににらみをきかせる。
 もともと仁王門だったが、神社となったことで名称を変えた。また、門にあった仁王像は、つくば市内の東福寺に移されている。
※豊木入日子命 筑波山に縁の深い古代武人の一人で第10代崇神天皇の皇子。皇子は長くこの地を治めたと伝えられている。
※倭健命 筑波山に縁の深い古代武人の一人で第12代景行天皇の皇子。3種の神器の一つ「あめのむらくもの剣」を持って東征に赴き筑波山に登拝した。 また、東征の帰路、倭健命が甲斐国酒折で「新治筑波(にいばりつくば)を過ぎて幾夜か寝つる」との問いかけに、火守翁が「日々(かが)なべて夜には九夜日には十日を」と答えたのが連歌の始まりとされる。 この故事により、連歌道を筑波の道といい、連歌集に「莵玖波集」(つくばしゅう)などの名がつけられた。
随神門
つくば市指定文化財「随神門」
倭健命 豊木入日子命
倭健命(左)、豊木入日子命(右)
御神橋
 茨城県指定文化財。切妻造柿葺屋根付。間口1間、奥行4間。通常は渡れない。春と秋の御座替祭(4月1日、11月1日)、年越祭(2月10・11日)のときのみ参拝者は渡ることが出来る。 江戸時代、1633(寛永10)年11月、3代将軍徳川家光公の寄進で造られ、1702(元禄15)年6月には、5代将軍徳川綱吉公によって改修されている。 安土桃山時代の様式をなす荘厳な造り。なお、御神橋の手前右側に、旧筑波町(つくば市に合併して消滅した筑波町ではなく、その筑波町になる以前に存在した筑波町)の道路元標がある。
御神橋 筑波町道路元標
茨城県指定文化財「筑波山神社御神橋」(左)、筑波町道路元標(右)
春日神社
 筑波山神社拝殿の向かって右側にある。手前に春日神社、日枝神社共有の拝殿、その奥に春日神社本殿と日枝神社本殿が並んである。 向かって左にあるのが春日神社。 本殿は三間社流造、1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進で造られた。茨城県指定文化財。 祭神は、武甕槌神(たけいかずちのかみ)、経津主神(ふつぬしかみ)、天兒屋根神(あめのこやねのかみ)。
春日神社本殿
春日神社本殿
日枝神社
 日枝神社本殿は春日神社本殿と同じ構造の三間社流造。春日神社本殿と同じく1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進で造られた。 茨城県指定文化財。本殿の蛙股に三猿が彫られている(下記参照)。 祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。 知足院中禅寺を開基した僧・徳一は、藤原仲麻呂=恵美押勝=の子と伝えられ、その鎮守社として藤原氏に縁の深い春日、日枝の両神社を勧請したという。 なお、両社は社殿が朱色に塗られていることから赤宮とも呼ばれる。
日枝神社本殿
日枝神社本殿
日枝神社春日神社拝殿
 日枝神社、春日神社両本殿の前にあるのが両社共有の拝殿。入母屋造で両本殿と同じく1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進による。 茨城県指定文化財。拝殿内には常陸七福神の恵比寿神が祀られている。
日枝神社・春日神社拝殿 日枝神社本殿
日枝神社・春日神社両社の拝殿(左)、拝殿内に祀られている恵比寿神(右)
三猿さんえん・さんざる
 3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している像で、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の三つの秘密を示しているとされる。 日光東照宮が有名だが、筑波山神社境内にも三猿の彫刻にある。拝殿の脇にある日枝神社本殿の中央部にある蛙股で、建立時期は江戸時代初期、東照宮のものより数年古いという。
三猿
筑波山神社境内の日枝神社本殿にある三猿
厳島神社
 江戸時代初期、1633(寛永10)年、3代将軍徳川家光公の寄進で造られた。琵琶湖の竹生島神社の御分霊を祀る。 祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。琵琶湖と同じイメージにするため、周囲を池で囲まれている。 社殿は「厳島神社本殿」として茨城県指定文化財。春日造り。
厳島神社本殿
厳島神社
扁額
 筑波山神社では、通常見える場所では2カ所に扁額が掲げられている。随神門と拝殿のなか正面。 随神門にあるのは、「筑波山神社」と縦に書かれたもの。拝殿にあるのは「筑波神社」と右から書かれており、 「明治二九年六月 彰仁親王書」とある。陸軍元帥などを務めた皇族の小松宮彰仁親王の揮毫(きごう)によるもの。
扁額筑波山神社 扁額筑波神社
随神門の扁額(左)、拝殿内の扁額(右)
所蔵文化財
■国指定重要文化財「太刀 銘吉宗・附糸巻太刀拵」(たち めいよしむね・つけたりいとまきたちこしらえ)
1633(寛永10)年に筑波山中禅寺の堂塔再建時、将軍徳川家光から寄進されたもの。鎌倉時代。
■「三十六歌仙図」
1633(寛永10)年に奉納された、狩野探幽の筆による。縦47cm、横34cmの大きさ。小野小町、柿本人麻呂などの歌人が歌とともに描かれている。
■神鏡「花卉双蝶八花鏡」
奈良・平安時代の鏡。白銅製。8枚の花びらをかたどり、中央に蝶と花の文様があり、周囲は8つの花弁をかたどっている。
祭事
祭事は、つくばの祭り・イベントに詳細。
1月
元旦祭(1月1日)
 年頭に皇室や国家などの繁栄を祈る。
2月
年越祭(2月10日・11日)
 福男が福豆を蒔き、1年の一陽来復、家内安全、身体安全などを祈る。
3月
祈年祭(3月4日)
 穀物の豊作と国家の安泰を祈る祭り。
4月
御座替祭(4月1日)
 筑波山神社の例大祭。年2回行われる。(下記参照)
6月
大祓(6月30日)
 大祓は6月と12月、年2回行われる。6月の晦日の大祓を「夏越の大祓」(なごしのおおはらい)という。 世の中の罪穢れを祓い清める神事。罪穢れを祓い清めることで疫病などの世の中の災いを防げるという。 また拝殿前には茅の輪が設置される。茅の輪をくぐることにより、身についた穢れを祓い、疫病などを防ぐとされている。(下記参照)
11月
御座替祭(11月1日)
 筑波山神社の例大祭。年2回行われる。(下記参照)
12月
新嘗祭(12月5日)
 新穀をお供えし、収穫を神に感謝する祭り。
天長祭(12月23日)
 天皇の誕生日を祝う祭り。
大祓(12月31日)
 大祓は6月と12月、年2回行われる。12月の大晦日の大祓を「年越の大祓」(としこしのおおはらい)という。 世の中の罪穢れを祓い清める神事。罪穢れを祓い清めることで疫病などの世の中の災いを防げるという。
元旦祭
元旦、新年を迎えた拝殿前
御座替祭おざがわりさい
 筑波山神社の例大祭で、神事でも最も重要なもののひとつ。毎年4月1日と11月1日の2回行われる。 御座替祭は、神衣祭(かんみそさい)、奉幣祭(ほうべいさい)、神幸祭(じんこうさい)の3つの祭りの総称。 神衣祭は、男体山と女体山の本殿にある神衣を新しいものと取り替える神様の衣替え。 奉幣祭は、拝殿において、春には「かがいの舞」、秋には「浦安の舞」を幣帛(へいはく)する。 神幸祭は、神衣祭で下ろされた神衣を神輿に納め、猿田彦を先頭に、つくば道の一の鳥居から拝殿まで渡御する。
 御座替祭は、御座替祭のページに詳細。 つくばの祭り・イベントにも掲載。
神衣祭男体山
男体山本殿での神衣祭
女体山山頂神輿 登山道神輿
男体山山頂から下る神輿(左)、同じく御幸が原を進む神輿(右)
神衣祭女体山
女体山本殿での神衣祭
女体山山頂神輿 登山道神輿
女体山山頂近く白雲橋コースを下る神輿(左)、同じく白雲橋コースの岩場を下る神輿(右)
夏越の大祓
 なごしのおおはらい。6月30日に執り行われる神事。半年間の罪穢れを祓い清め、疫病などの災いを防ぐ神事。 一般の人も参加できる。
 午後4時、拝殿前に設けれれた茅の輪脇で神事が執り行われる。その後、神職を先頭に参加者が茅の輪を左回り、右回り、左回りの 順に回る。最後に拝殿に参拝する。
夏越の大祓 夏越の大祓
夏越の大祓茅の輪くぐり(左)、同じく神事(右)
御神水
 筑波山神社の参拝者へのお清めの水は、御神水として、境内から湧き出る水が使われている。水源は、十一面観音を安置する神窟で、小さな鳥居もある。
御神水
参集殿裏にある御神水
摂社
 摂社は、安座常神社、小原木神社、渡神社、稲村神社の4柱をいう。 これに男体山の筑波男大神、女体山の筑波女大神の2柱を加え、6柱を祀ったのが六所神社とされる。
安座常神社
 祭神は素盞鳴尊、屏風岩に接してある。
安座常神社
安座常神社
小原木神社
 祭神は月読尊、北斗岩のたもとにある。
小原木神社
小原木神社
渡神社
 祭神は蛭児命、裏面大黒岩の近くにある。
渡神社
渡神社
稲村神社
 高天ヶ原に鎮座し、天照大神を祀る。
稲村神社
高天ヶ原に鎮座する稲村神社
朝日稲荷神社
 別名出世稲荷。祭神は太田命(おおたのみこと)。嵯峨天皇の皇子、常陸国太守忠良親王の創建。 筑波山七稲荷のひとつ。なお七稲荷は、朝日稲荷のほか、鶺鴒稲荷、西山稲荷、清水稲荷、平石稲荷、行人塚稲荷、石稲荷。
出世稲荷
筑波山神社の裏手にある出世稲荷
聖天神社
 聖天宮(しょうてんぐう)。元は弁慶七戻りの下方にあった。弁慶七戻り廃寺。その歴史は室町時代にまでさかのぼるという。 筑波山中善寺の奥之院の役割もあったとされる。
 現在は、白雲橋コースとおたつ石コースが合流する弁慶茶屋跡に小さな祠が祀られている。 聖天は歓喜天ともいい、縁結び、男女和合に御利益があるとして信仰を集めている。
聖天神社
聖天神社
大洗神社
 迎場コースの途中にある。
大洗神社
大洗神社
稲荷神社
 白雲橋コースの途中にある。迎場分岐と弁慶茶屋跡の間。
稲荷神社
巨岩の上に鎮座する稲荷神社
常陸帯神社ひたちおびじんじゃ
 男体山山頂近くにある。神功皇后三韓征伐の時、敵国降伏のための勅願があり、同時に応神天皇御懐妊の安産を祈った。 凱旋後、神田とともに御腹帯が筑波山神社に納められたことから、常陸帯宮が創祀されたという。
常陸帯神社
常陸帯神社
愛宕山神社
 筑波山神社拝殿の東、登山道、白雲橋近くにある。火防の神様。
愛宕山神社
愛宕山神社
八幡神社
 筑波山神社拝殿の東、登山道、白雲橋近く愛宕神社脇にある。
八幡神社
八幡神社
参集殿
 1982(昭和57)年4月に完成した新しい建物。拝殿脇にあり、お守りの販売や祈祷の受付窓口がある。「人民集賀」と御神徳を称えた常陸風土記から名づけられた。
参集殿
拝殿脇にある参集殿
手水舎
 筑波山神社拝殿前と御神橋の脇の2カ所にある。
拝殿前手水舎 拝殿前清めの水
筑波山神社拝殿前の手水舎(左)、手水(右)
御神橋脇手水舎 手水
御神橋脇の手水舎(左)、手水(右)
定書
 御神橋の脇にある。「定 一、車馬ヲ乗入ル事 一、魚鳥ヲ捕ル事 一、竹木ヲ伐ル事 右境内ニ於テ禁止ス」とある。
定書
定書
階段
 参道の階段。山の斜面に造られているため、階段は多い。御神橋と拝殿の間の参道は、ほぼ石の階段になっている。 しかもかなり急勾配となっているので登るとき、あるいは下るとき注意が必要。 御座替祭では、この階段を神輿を担いで駆け上がる。祭り最後の見せ場となる。
階段御神橋随身門 階段随身門拝殿
御神橋のすぐ先にある階段。上に見えるのが随身門(左)、随身門をくぐったすぐ先にある階段。同じく上に見えるのが拝殿(右)
石垣
 知足院の石垣。
石垣
石垣
 筑波山神社の鳥居は、境内に3カ所、道路上に架かる鳥居は麓に3カ所、道路脇に1カ所ある。 鳥居の形状は、鳥居の2つの流れである明神鳥居と神明鳥居、両方が奉納されている。
石鳥居
 境内にある鳥居。つくば道終点の先、御神橋の手前にある。 1946(昭和21)年11月、奉納により建立されたもの。 明神鳥居で、島木の下に台輪があることから台輪鳥居と呼ばれる。
石鳥居
石鳥居
一の鳥居
 つくば道にある鳥居。南表大神門。筑波6丁目大鳥居。もともとはここから上が神域とされた。 現在の鳥居は、1759(宝暦9)年の再建。 1761(宝暦11)年正月、「天地開闢 筑波神社」の勅額を幕府に要請。 当時の後桜町天皇が幼少のため、嵯峨大覚寺門跡寛深法親王の筆による扁額が、 1763(宝暦13)年11月、掲げられた。 同じく鳥居脇には「筑波の一王」と呼ばれる金剛蜜迹の銅像があったという。 御座替祭では、この鳥居のところに御神輿の御仮屋が建てられ、神幸祭がスタートする。 笠木と島木にそりがない八幡鳥居と呼ばれる。 筑波山神社の鳥居で現存する最も古い鳥居とみられる。
一の鳥居
一の鳥居
石の大鳥居
 筑波山口から、筑波山方面に向かう自動車道にまたいで造られている鳥居。 加波山から産出された花崗岩製。 笠36尺(約10.9m)、柱24尺(約7.27m)の大きさ。 筑波鉄道が開通し、筑波駅から自動車道が出来た後の1925(大正14)年3月建立。 典型的な神明鳥居。
石の大鳥居
石の大鳥居
大鳥居
 参道にある朱塗りの大鳥居。1979(昭和54)年8月1日建立。筑波山(神社)のシンボルともなっており、麓からも見える巨大さが特徴。 柱間15m、全高17m、笠木25m、柱径1.5m。 神明鳥居で貫が四角になっていることから靖国鳥居と呼ばれるもの。
大鳥居
大鳥居
男体山参道石鳥居
 男体山本殿参道入り口(登山道御幸ケ原コース入り口)にある石鳥居。ケーブルカー宮脇駅の少し手前にある。 鳥居の形は一の鳥居とほぼ同じ八幡鳥居。
男体山参道石鳥居
男体山参道入り口にある石鳥居
女体山参道石鳥居
 女体山本殿参道入り口(登山道白雲橋コース入り口)にある石鳥居。筑波山神社から一般道路から登山道入り口の境界にある。 鳥居の形は典型的な明神鳥居。
女体山参道石鳥居
女体山参道入り口にある石鳥居
風返峠鳥居
 風返峠の五叉路内に石の鳥居がある。建立は1848(嘉永元)年8月吉日の銘がある。1996(平成8)年3月修復。 笠木と島木にそりがない八幡鳥居と呼ばれる。
風返峠鳥居
筑波山頂を望む風返峠にある鳥居
筑波山神社駐車場
 筑波山神社専用駐車場。ロータリー手前の急カーブを入る。1日500円。
駐車場入口 駐車場出口
駐車場入口(左)、出口(右)
藤田小四郎銅像
 筑波山は天狗党挙兵の地。藤田小四郎は、水戸学の大家、藤田東湖の四男。挙兵した天狗党の中心的役割を果たした。銅像は、神社入口の西側にある。
藤田小四郎銅像
境内にある藤田小四郎銅像
大杉
 周囲9.8m、樹高32m、樹齢はおよそ800年とされる。随神門の東側にある。
大杉
境内にある大杉
夫婦杉
 随神門の手前、西側にある。寄り添った2本の杉がまっすぐに伸びている。
夫婦杉
境内にある夫婦杉
マルバクス
 クスの木の変種で、普通のクスの木の葉に比べ、丸型でやや大きい。標準木(タイプツリー)が拝殿脇の境内にある。
 詳しくは筑波山の自然へ。
宇宙の卵
 1985(昭和60)年、現在のつくば市(当時谷田部町)御幸が丘で開催された国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)で、展示されていた宇宙の卵が境内に置かれている。
 詳しくは科学万博つくば'85へ。
科学博記念館
 1985(昭和60)年、現在のつくば市(当時谷田部町)御幸が丘で開催された国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)の各パビリオンなどで使われていたものが残されている。通常は非公開。
 詳しくは科学万博つくば'85へ。
日本の道100選つくば道碑
 御神橋脇にある。筑波石と御影石の2つの記念碑が並んで建てられている。筑波石の記念碑には、「日本の道100選 つくば道」を大きく刻まれている。 また御影石の碑には、日本の道100選つくば道の指定を記念したプレートとその下につくば道の由来が記されている。
つくば道碑
つくば道碑
さざれ石
 さざれ石と君が代の歌碑、国旗掲揚台から成る。「天皇陛下御在位二十年奉祝記念」として奉納、建立された。 さざれ石は君が代で唄われ知られているが、古今和歌集の仮名序では「さざれ石にたとへ筑波山にかけて君を願ひ」などとあり、筑波山にも縁がある。 2008(平成20)年10月建立。筑波山神社拝殿前にある。
さざれ石
さざれ石
倭健命碑
 常陸国風土記編纂1300年を記念し奉納、建立された。石碑には倭健命の姿とともに「爰迎筑波山」と刻まれている。 風土記は713年、元明天皇が詔を出し、地方の地理や伝説、特産品などを記した報告書の提出を求めた。 2014(平成26)年4月26日建立。筑波山神社拝殿前にある。
倭健命碑
倭健命碑
光誉上人五輪塔
 光誉上人は、1611(慶長16)年、大和・長谷寺梅心院より、筑波山に入山したという。 上人は、大阪冬の陣、大阪夏の陣で徳川家康の陣中祈祷やけが人の手当てを軟膏でしたとされる。 この軟膏が「陣中膏がまの油」で、それ以降、筑波山の名物となった。 なお上人は、その後家康公に認められ、江戸常府を命ぜられた。軍配を賜り、芝・白金に護摩堂を建て、江戸城奥の祈祷を行ったという。
光誉上人五輪塔
光誉上人五輪塔
楠木正勝の墓
 筑波山神社拝殿の東、登山道、白雲橋近くにある「六角石造宝幢」は楠木正勝の墓とされる。 正勝は、楠木正成の孫で、南朝の忠臣。虚無僧の祖ともいわれる。 正勝は、白雲橋近くにあった古通寺(普化宗)に来ていたといわれる。古通寺は、1938(昭和13)年の千手沢の山津波で流されてしまった。
楠木正勝の墓
楠木正勝の墓
白蛇弁天
 登山道、白雲橋コースの途中にある。この付近で白蛇を見ると財運に恵まれるという。
白蛇弁天
白蛇弁天
ボケ除け地蔵
 御幸ケ原の東側のすみ、女体山に向かう登山道の入口にひっそりとある。
ボケ除け地蔵
ボケ除け地蔵
紫峰牛碑
 筑波山周辺で飼育されている国産黒毛和牛「紫峰牛」の碑。2014(平成26)年12月建立。 紫峰と呼ばれる筑波山の名前をブランド名としていることから、紫峰牛生産組合が奉納した。境内参道入口鳥居近くにある。 なで牛の役割も持つという。
紫峰牛碑
紫峰牛碑
万葉歌碑
 常陸国から防人として九州の筑紫に赴任した助丁(すけひろ)占部広方の「橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも」(万葉集巻二十)の詩が刻まれている。 助丁は地方役人。橘とは、橘の郷で現在の行方市付近。
万葉歌碑
万葉歌碑
万葉歌碑・筑波の岳に登りて
 丹比真人国人が詠んだ「筑波の岳に登りて」とその反歌の碑。
筑波の岳に登りて 筑波の岳に登りて反歌
万葉歌碑、筑波の岳に登りて(左)、反歌(右)
万葉歌碑・登筑波山歌
 登筑波山歌の歌碑。原文の碑と現代文の碑がある。原文の碑は、万葉集研究の第1人者、犬養孝氏の揮毫による。
登筑波山歌原文 登筑波山歌現代文
万葉歌碑、登筑波山歌原文(左)、現代文(右)
万葉公園
 筑波山神社萬葉公園。筑波山神社の裏手にある。登山道の御幸ケ原コース脇にある。自然林の中に散策路と主に筑波山を詠んだ万葉歌碑がある。
万葉公園 万葉公園標
万葉公園(左)、御幸ケ原コース入口にある公園標(右)
万葉歌碑 万葉歌碑
「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも」の歌碑(左)、 「筑波嶺の雪かも降らるいなおかも愛しき子ろが布乾さるかも」の歌碑(右)
万葉歌碑 万葉歌碑
「筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね」の歌碑(左)、 「筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣き渡りなむ逢ふとは無しに」の歌碑(右)
万葉歌碑 万葉歌碑
「さ衣の小筑波嶺ろの山の崎忘ら来ばこそ汝を懸けなはめ」の歌碑(左)、 「妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬ程に袖は振りてな」の歌碑(右)
万葉歌碑 万葉歌碑
「我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね」の歌碑(左)、 「小筑波の嶺ろに月立し間夜は多なりのをまた寝てむかも」の歌碑(右)
万葉歌碑
「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」の歌碑
筑波山縁起の句碑
 水原秋桜子の連作俳句「筑波山縁起」が刻まれている。水原秋桜子は、俳人で医学博士。「ホトトギス」「馬酔木」などで活躍した。 秋桜子は、1927(昭和2)年11月、筑波山登山。筑波山縁起は、1928(昭和3)年1月の「ホトトギス」で発表した。
筑波山縁起の句碑
筑波山縁起の句碑
中村正爾歌碑
 「筑波嶺は女男の神山並び立ち空をかぎりて乳房型の山」と刻まれている。 作者の中村正爾は、北原白秋の高弟で、歌誌「中央線」を創刊、主宰した。中央短歌会を創設し、歌人の育成にも努めた。
中村正爾歌碑
中村正爾歌碑
筑波山神社参道
筑波山神社参道。鳥居の上、正面に女体山の山頂が見える
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