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つくばみらい市

 茨城県つくばみらい市は、つくば市の南隣に位置する。筑波郡伊奈町と谷和原村が合併して2006(平成18)年3月27日に誕生した。 人口49,136人(2015年国勢調査)、面積79.14平方km。
 旧伊奈町は1954(昭和29)年7月1日、三島村、谷井田村、豊村、小張村が合併し伊奈村が誕生。 1955(昭和30)年2月10日、久賀村の一部、同年6月1日、板橋村を編入した。1985(昭和60)年に町制施行し伊奈町となった。 伊奈の名前は、江戸時代、関東郡代を務め、利根川や鬼怒川、小貝川などの改修を行って、流域の村々の農業基盤の改善に功があった伊奈半十郎忠治からとったもの。 同様の理由で、埼玉県にも伊奈町がある。合併前の人口は24,656人(2005年国勢調査)、面積45.54平方km。
 旧谷和原村は、1955(昭和30)年3月1日、谷原村、十和村、福岡村、小絹村が合併して成立した。 なお谷原村は、1938(昭和13)年に鹿島村と長崎村が合併して誕生した。合併前の人口は15,518人(2005年国勢調査)、面積33.60平方km。
 平成の大合併では、旧伊奈町、旧谷和原村に加え、旧水海道市の3市町村による合併が検討され、合併協議会で新市名も「常総市」とするなど決まっていた。 しかし旧水海道市が離脱し、破談となっている。その後、改めて旧伊奈町、旧谷和原村の2町村が合併協議を行った。
 ほぼ平坦な土地に、小貝川が流れ、その水の恵を生かしたのどかな田園風景が広がる。また、市内の中央をつくばエクスプレス、常磐自動車道が縦断している。
みらい平駅つくばエクスプレスへ。
小絹駅、小絹駅の桜関東鉄道常総線・駅へ。 関東鉄道常総線の車両について は関東鉄道常総線・車両へ。
小貝川の河川、支流、橋などについて は小貝川へ。
小貝川自転車道茨城のサイクリングロードへ。
不動院
 清安山不動院願成寺(せいあんざんふどういんがんじょうじ)。 「板橋不動尊」「板橋のお不動さん」として知られる。真言宗豊山派の寺。 朱塗の華麗な大本堂、楼門、塔があり、いずれも茨城県指定文化財。北関東三十六不動尊霊場36番札所、結願寺。
 808(大同3)年、弘法大師の開基と伝えられる。 本尊は空海自らが一刀三礼で彫った伝えられる「不動明王」で、両脇侍像とともに国重要文化財に指定されている。 二重屋根入母屋造りの大本堂は1737(元文2)年、入母屋造り二重垂木で重厚感ある楼門は1700(元禄元)年、 極彩色の彫刻が施された三重塔は1775(安永4)年の建立。
 本尊は、安産子育て不動尊とも呼ばれ、求子安産、子供の成長祈願に霊験あらたかとされる。
 北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。 茨城百八地蔵尊霊場第60番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印は御朱印・寺院も参照。
 不動院の詳細は板橋不動尊へ。
 つくばみらい市板橋2370。不動院の地図
不動院本堂 不動院御朱印
不動院本堂(左)、御朱印(右)
不動院楼門 不動院三重塔
不動院楼門(左)、三重塔と鐘楼(右)
板橋不動尊初不動
 毎年1月28日、不動院で行われる初不動の縁日。 当日は御本尊が御開帳となり、それを前に祈祷が行われることから終日多くの参拝者でにぎわう。また境内には多くの露店も立ち並ぶ。
板橋不動尊初不動
境内に露店も出る板橋不動尊の初不動縁日
板橋不動尊の桜
 境内の本堂と三重塔の間に大きな桜がある。
板橋不動尊三重塔桜
板橋不動尊三重塔と桜
板橋不動尊本堂桜
板橋不動尊本堂と桜
福岡堰
 小貝川にある農業用の堰。関東3大堰のひとつ(他に岡堰、豊田堰=いずれも小貝川にある堰) に数えられ、そのなかでも最も規模が大きい。1629(寛永6)年、関東郡代、伊奈忠治によって、前身の山田沼堰が現在地より北方に築かれる。 1722(享保7)年、現在地に移る。現在の堰に近いものが作られたのは1886(明治19)年、当時は木造だった。 その後1923(大正12)年にコンクリート堰になり、現在の堰が完成したのは1971(昭和46)年である。 最大貯水量は、275万立方m。春先にこの堰で小貝川をせきとめ、秋口に開放する。 つくばみらい市だけでなく、常総市、取手市など約3000haを灌漑している。
 堰周辺は桜の名所として知られ、花見の時期には多くの人でにぎわう(下記参照)。 また、堰によってつくられた大規模な水面では、マリンスポーツを楽しむ人も多い。
 このほか、堰の東側には福岡堰さくら公園がつくられている。桜が約150本とあやめ園がある。 また同じく堰の東側、福岡堰さくら公園北側には、伊奈神社がある。
 つくばみらい市福岡。福岡堰の地図
福岡堰
福岡堰(下流右岸側から)
福岡堰せきとめ湖 福岡堰湖から
福岡堰からみたせきとめ湖(左)、せきとめ湖から見た福岡堰(右)
福岡堰道路
左岸側から見た福岡堰、堤防上は道路になっており車も通行できる
福岡堰の桜
 茨城県内で有数の桜の名所。福岡堰から用水堀沿い約1.8kmにソメイヨシノなど約550本の桜が植えられている。 また用水堀の途中には桜並木中央広場もある。桜の時期には「福岡堰さくらまつり」が行われ、広場でさまざまなイベントも行われる。
 桜は1950(昭和25)年、堰を管理する福岡堰普通水利組合(現福岡堰土地改良区)が植えたもの。
福岡堰桜並木
福岡堰用水路堤の桜並木
福岡堰導水桜並木 福岡堰枝垂桜
福岡堰用水路側から見た桜並木(左)、広場に植えられている枝垂桜(右)
伊奈神社
 小貝川の左岸、福岡堰を見下ろす高台にある。祭神は伊奈半十郎忠治。1941(昭和16)年4月18日の建立。 関東郡代として、福岡堰をはじめとする治水事業に取り組み、谷原領開発に功績のあった伊奈忠治公を偲んで建立された。 例祭は4月18日。神社で忠治公の奉祀と灌漑用水及び排水の安泰を願い神事を行う。 なお4月18日は忠治公が初めて灌漑用水を流したと伝えられる日。
 つくばみらい市福岡。伊奈神社の地図
伊奈神社 伊奈神社鳥居
伊奈神社社殿(左)、伊奈神社の鳥居(右)
伊奈神社の桜
 伊奈神社の鎮守の森には多くの桜がある。
伊奈神社桜
伊奈神社参道入口の桜
きらくやまふれあいの丘
 すこやか福祉館と世代ふれあい館を中心とした総合福祉施設。すこやか福祉館の入浴施設が人気。100畳のカラオケ付大広間もある。 屋外には、戦前の日本製で中国大陸で活躍していた蒸気機関車や陸上自衛隊で使われていたヘリコプターなどの展示もある。
 すこやか福祉館は、鉄筋コンクリート造平屋建て、3950平方m、1994(平成6)年5月完成。サウナ付大浴場はじめ、湯上がり談話コーナー、 機能回復トレーニング室などがある。 世代ふれあい館は、鉄筋鉄骨造4階建て、2860平方m、1997(平成9)年9月完成。350席の世代ふれあいホールを中心に、楽屋やリハーサル室、会議場などが設けられている。 このほか、屋外にはアスレチック広場や自然散策の森、テニスコート、ゲートボール場、野外ステージなどがある。 春には桜の名所となる。
 蒸気機関車は、「PL2 248」型。1935(昭和10)年、日本車輌製造で造られた国産。 旧満州国に送られ、製鋼所で物資や人の輸送を行っていた。 戦後もそのまま製鋼所で使われ約60年間現役を続け1995(平成7)年に引退した。引退後、中国から買い取ったものという。
 休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)及び年末年始(12月28日〜1月4日)。
 つくばみらい市神生530。きらくやまふれあいの丘の地図
SL 自衛隊ヘリ
屋外に展示されている蒸気機関車(左)、陸上自衛隊のヘリコプター(右)
すこやか福祉館 世代ふれあい館
すこやか福祉館(左)、世代ふれあい館(右)
きらくやまふれあいの丘の桜
 きらくやまふれあいの丘は、施設に向かう道路が桜並木になっているほかメインの施設内道路は桜のトンネルとなる。 また、満開の桜の下でバーベキューを楽しむことができる。
きらくやま桜
メインの施設内道路の桜
きらくやま桜SL きらくやま桜駐車場
ふれあい広場SLと桜(左)、駐車場付近の桜(右)
きらくやまイルミネーション
 きらくやまふれあいの丘のふれあい広場を会場に12月から翌年1月にかけて実施されている。 15万球を使っており、屋外に展示されているSLなども飾られる。
 点灯時間は午後4時30分から午後9時まで。月曜日休館。
きらくやまふれあいの丘イルミネーションツリー きらくやまふれあいの丘イルミネーション球
きらくやまふれあいの丘のイルミネーション(左)、同じく広場のイルミネーション(右)
きらくやまふれあいの丘イルミネーション きらくやまふれあいの丘イルミネーションSL
きらくやまふれあいの丘の屋外ステージ前のイルミネーション(左)、同じくSLのイルミネーション(右)
福岡堰さくら公園
 福岡堰に隣接してある公園。水辺に親しむことなどを目的にした公園で、面積約2.7ha、2006(平成18)年3月オープン。
 桜の名所として知られる福岡堰とともに、桜の時期は多くの花見客でにぎわう。 約300平方mのアヤメ園や、堰から水を引く根通用水路に面して水のテラスなどがある。 また、大型遊具やジャブジャブ池、霧の噴水など、子供たちに人気の遊具が充実しており、季節を問わず、多くの親子連れが訪れている。
 無料駐車場60台、駐輪場80台。トイレ2カ所。
 つくばみらい市福岡2633−7。福岡堰さくら公園の地図
大型遊具
多目的広場の大型遊具
水のモニュメント 時計台
水のモニュメント(左)、時計台(右)
福岡堰さくら公園の桜
 福岡堰さくら公園には153本の桜が植えられている。公園が2006(平成18)年オープンのためまだ若木が多い。
福岡堰さくら公園桜
福岡堰さくら公園の桜
福岡堰さくら公園の紅葉
 福岡堰さくら公園には、外周を中心に紅葉する樹木が植えられている。
福岡堰さくら公園紅葉
福岡堰さくら公園の紅葉
絹の台桜公園
 絹の台地区にある公園。その名の通り春には桜の名所として知られる。 多目的広場はじめ、野外ステージ、テニスコートなどがある。
 無料駐車場有。トイレ有。
 つくばみらい市絹の台3−2。絹の台桜公園の地図
絹の台桜公園
絹の台桜公園
みらい平さくら公園
 つくばエクスプレスが見える公園。「まちの表玄関、にぎわいの中のやすらぎ感」がコンセプトの公園。 もともとの地形である「台地」「斜面」「低地」をうまく利用し、運動の広場、遊具の広場、大地の広場として整備、 複合遊具、幅広滑り台、四阿、トイレなども設けられている。 つくばエクスプレスの線路が公園のすぐ脇を通り、目線の高さでつくばエクスプレスの車両を見ることが出来るのが特徴。 2014(平成26)年5月23日開園。
 つくばみらい市陽光台3−45。みらい平さくら公園の地図
みらい平さくら公園
みらい平さくら公園、正面がつくばエクスプレスの高架
ワープステーション江戸
 江戸時代を現代に再現した歴史公園だったが2020(令和2)年3月31日で一般公開を終了、現在は撮影セットとして活用されている。 江戸城大手門、武家屋敷、長屋門などがお堀と一体となった武家の景観を楽しめる江戸城ゾーン、 日本橋を中心とした町屋、廻船問屋の賑わいを再現した江戸の町ゾーンなどがあった。
 つくばみらい市南太田1176。ワープステーション江戸の地図
ワープステーション江戸
ワープステーション江戸
ワープロード桜並木
 ワープロードは、きらくやまふれあいの丘とワープステーション江戸を結ぶ道路で、桜並木となっている。 特にワープステーション江戸周辺は並木も美しい。
ワープロード桜並木
ワープステーション江戸付近の桜並木
小目沼橋
 小貝川に架かる木製の沈下橋。つくばみらい市の平沼地区と下小目地区を結ぶ。歩行者や自転車など専用。自動車は通行できない。 欄干は無い。テレビドラマや時代劇などのロケーションで使われている。
 その他小貝川の橋は小貝川へ。
 つくばみらい市。小目沼橋の地図
小目沼橋左岸 小目沼橋右岸
小目沼橋、下小目沼方面から(左)、小目沼橋、平沼方面から(右)
みらいの森公園
 面積約4.2haで、「緑豊かな公園」がコンセプト。従来からの樹木をや地形を生かすなどした。 多目的広場、緑の広場、水辺の広場からなる。緑の広場には遊具もある。また散策路や休憩施設がある。2013(平成25)年4月1日開園。
 つくばみらい市富士見ヶ丘。みらいの森公園の地図
みらいの森公園
みらいの森公園
さるまい自然公園
 水生植物観察苑、四阿(あずまや)などがある。
 つくばみらい市足高1458。さるまい自然公園の地図
さるまい自然公園
さるまい自然公園
さるまい自然公園の桜
 公園内に多くの桜が植えられている。
さるまい自然公園桜
さるまい自然公園の桜
つくばみらい市立図書館
 1990(平成2)年2月11日、伊奈町立図書館として開館。2006(平成18)年3月、町村合併に伴いつくばみらい市立図書館となる。 2007(平成19)年7月小絹分館(小絹コミュニティセンター内)、2014(平成26)年11月みらい平分館(みらい平コミュニティセンター内)がそれぞれ開館。 蔵書数は約18万5000冊。
 本館は敷地面積約5460平方m、鉄筋コンクリート2階建て、延床面積は約1600平方m。 開館時間は午前9時から午後6時。月曜日休館(祝日の場合は翌日)。年末年始及び資料整理日休館。
 つくばみらい市福田623。つくばみらい市立図書館の地図
つくばみらい市立図書館
つくばみらい市立図書館
せせらぎの小路
 つくばみらい市の常総ニュータウン絹の台と守谷市の常総ニュータウン北守谷の境にある小川と遊歩道。 詳細は守谷市のページへ。
北山道祖神の大ケヤキ
 北山のケヤキ。推定樹齢は約500年。樹高約15m、幹周り約7.2m。根元に北山道祖神が祀られている。 旅行の神、足の神、夫婦和合の神として信仰を集めている。
 つくばみらい市北山。北山道祖神の大ケヤキの地図
北山道祖神大ケヤキ
紅葉した北山道祖神の大ケヤキ
北山道祖神大ケヤキ夏 北山道祖神大ケヤキ冬
夏の北山道祖神の大ケヤキ(左)、葉を落とした冬のケヤキ(右)
伊奈の綱火
 国指定重要無形民俗文化財「伊奈の綱火」(1976年指定)。小張地区の愛宕神社例祭で奉納される「小張松下流綱火」と、 高岡地区の愛宕神社例祭で奉納される「高岡流綱火」の2流派がある。両派とも江戸時代初期から400年にわたる歴史がある。 若干の違いはあるが、いずれも境内に10mほどの柱が数本建てられ、空中に多くの綱が張られる。 中央に設けられた櫓上から花火を組み込んだ人形や船を綱で操り、芝居を演じさせ、最後に大掛かりな仕掛け花火に点火する。 いずれも両神社境内で行われる。なお、例祭では最寄のつくばエクスプレス「みらい平駅」から無料のシャトルバスが出るほか、 臨時の無料駐車場も用意される。
小張松下流綱火
 小張松下流綱火は、この地方を治めた小張城主・松下石見守重綱が考案したことからこの名がある。 もともとは戦勝祝や戦(いくさ)での犠牲者の霊を慰めるため、陣中で行われていた。 江戸時代になって祭礼で奉納されるようになったもの。現在は、小張の愛宕神社の祭礼(8月24日)で五穀豊穣と火難除けを祈願して奉納される。 なお火薬の調合は、松下家家臣の大橋家に代々秘法として伝えられ、松下流を守ってきた。大橋家は小張松下流の家元を名乗る。 また綱火の伝統を守るため「小張松下流綱火保存会」が結成されている。
 演目は3部構成。午後7時、午後8時、午後9時にそれぞれの演目がスタートする。 「三番叟」「大利根川の舟遊び」はじめ、桃太郎など日本の御伽噺から上演される。 上演時間はおよそ10分から15分。演目の上演前には、行灯への点火や横綱火の披露なども行われる。 また、演目の間には奉納花火が打ち上げられる。
 つくばみらい市小張3235。愛宕神社・小張の地図
小張松下流綱火桃太郎 小張松下流綱火船
桃太郎と鬼ケ城(左)、舟遊びの舟(右)
小張松下流綱火横綱火 小張松下流綱火舟遊び
会場を走る横綱火(左)、大利根川の舟遊びの仕掛け花火(右)
愛宕神社・小張
小張の愛宕神社
高岡流綱火
 高岡流綱火は、「高岡流綱火更進団」がその伝統と技術を守っている。 かつては高岡地区に住む長男だけで組織されていたが、現在は次男、三男、あるいは婿も入ることが許されるようになった。 高岡の愛宕神社の祭礼(8月第4日曜日)で五穀豊穣、火難除け、家内安全など祈願し、奉納される。 もとは、愛宕神社の境内で村人が大きな蜘蛛の動作に暗示を受けて始まったと伝えられる。 最初は藁人形を操るだけだったが、徐々に工夫を凝らし、仕掛け花火による演出が行われるようになったという。 高岡流の特徴は操り人形が花火を持って仕掛け花火に着火、当たり一面を火花の海にすることから「操人形仕掛花火」の別名もある。
 午後7時30分、地元の氏子が花火を持って愛宕神社に参拝する「繰り込み」でスタートする。 氏子各々が手持ちの花火を神社の社殿に向けて発射、社殿は花火の火花と煙に包まれる。 その後、余興となる綱火が始まる。演目は3つで、「三番叟」「高岡丸の舟遊び」さらには浦島太郎や花咲爺さんなど日本の御伽噺のなかから 年によって選んで上演される。午後9時ごろ終了となる。また、演目の間には奉納花火が打ち上げられる。
 つくばみらい市高岡631。愛宕神社・高岡の地図
高岡流綱火浦島太郎 高岡流綱火高岡丸
浦島太郎と龍宮城(左)、舟遊びの高岡丸(右)
高岡流綱火高岡舟仕掛け 高岡流綱火浦島
高岡丸舟遊びの仕掛け花火(左)、浦島太郎のクライマックス(右)
愛宕神社・高岡
高岡の愛宕神社
間宮林蔵
 旧伊奈町出身の幕末の探検家。樺太が島であることを発見、樺太と大陸の間は、間宮海峡と命名されている。日本人の名前で唯一海峡に名を残している。
 1780(安永9)年、上平柳村(つくばみらい市=旧伊奈町=上平柳)に農家の子として生まれる。名は倫宗。林蔵は通称。子供のころから数理の才があったという。 江戸にでた林蔵は、1799(寛政11)年、蝦夷地に渡り、測量に従事。この間、蝦夷地に来ていた伊能忠敬に測量術を学び、のちに北蝦夷地、西蝦夷地の測量を実施。 伊能忠敬の地図作成にも協力した。 1808(文化5)年、松田伝十郎とともに第1回樺太探検。この時、潮の流れや地元民の聞き取りから、ほぼ島であると2人は確信した。 さらに翌年にかけて第2回樺太探検を単独で行い、樺太の北の端にあるナニオーの町まで行き、樺太が島であることを確認。さらに海をわたってシベリアの調査を行った。 1822(文政5)年に江戸に戻る。その後は勘定奉行配下で普請役。普請役は日本各地で土木事業などを行うともに、各地の事情も探る役目を負っていた。 俗にいう隠密の活動したと伝えられている。シールボルト事件が発覚する端緒も林蔵の働きによるものだったという。 1844(天保15)年2月26日、江戸本所外手町で没。1904(明治37)年、正五位を贈られる。
間宮林蔵生家
 1971(昭和46)年、小貝川堤防際にあった林蔵の子孫の家を、考証によって林蔵の生まれた頃の姿に戻し、現在地に移設、復元したもの。 1955(昭和30)年、茨城県指定文化財。
 つくばみらい市上平柳。間宮林蔵生家の地図
間宮林蔵生家
間宮林蔵生家
間宮林蔵記念館
 記念館は、この地で生まれ育ち、江戸に出て、北方で活躍した探険家で測量家の間宮林蔵の偉業を紹介することなどを目的に、旧伊奈町が行った顕彰事業のひとつとして建設された。 全国各地から収集した貴重な資料や、子孫の家に伝わる遺品などが展示されている。
 開館時間午前9時〜午後4時30分。毎週月曜日及び年末年始(12月28日〜1月4日)、入館料無料。無料駐車場有。
 つくばみらい市上平柳64。間宮林蔵記念館の地図
間宮林蔵記念館
生家の向かい側にある間宮林蔵記念館、正面に林蔵の像がある
専称寺
 金龍山光堂院専称寺。浄土宗。茨城県の文化財に指定されている間宮林蔵の墓がある。 1556(弘治2)年、行基菩薩の開基、専蓮社称譽無道上人の開山。
 つくばみらい市上平柳5。専称寺の地図
専称寺本堂 専称寺山門
専称寺本堂(左)、専称寺山門(右)
間宮林蔵の墓
 間宮林蔵の墓は、1804(文化4)年、樺太探検に行く前、自らが建立したもので、墓碑には「間宮林蔵墓」の5文字だけ刻まれている。 墓石は、高さ53cm、幅23cmで、法名も没年月日も記されていない。なお間宮林蔵の墓は、東京・深川の本立院にもある。 また境内には、間宮林蔵顕彰記念碑がある。1904(明治37)年、正五位の贈位を受けたあと、1908(明治41)年、 大隈重信、榎本武揚、尾崎行雄ら多数の賛助、募金によって建てられた。建立は1910(明治43)年。
 つくばみらい市上平柳5。間宮林蔵の墓の地図
間宮林蔵の墓 顕彰碑
専称寺にある間宮林蔵の墓(左)と顕彰碑(右)
結城三百石記念館
 鎌倉幕府の有力御家人で、室町時代には関東八屋形として勢力を振るった下総・結城氏の末裔が江戸時代初期の1634(寛永11)年に常陸・谷井田(旧伊奈町)に帰農した。 地元の有力名主として「結城300石」と称され、新田開発などで主導的な役割を果たした。
 現在結城家は、結城三百石記念館として公開されている。長屋門、母屋、一の蔵、二の蔵、薬医門などの建物と生活用具が展示され、当時の豪農の様子がうかがい知れる。 また、屋敷林を活用した自然観察路も敷地内に作られている。四季折々の草花や野鳥、昆虫などを観察できる。
 開館時間は午前9時〜午後4時30分。休館日は毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)と年末年始。入館料は無料。
 つくばみらい市谷井田1647。結城三百石記念館の地図
結城三百石記念館 長屋門
結城三百石記念館の母屋(左)と長屋門(右)
西丸山祈祷囃子
 悪病除けと五穀豊穣を祈願する。元和年間(1615〜24年)、西丸山地区は度重なる水害による凶作と疫病が流行。 このため村人たちは疫病退散のため大杉神社の「祈祷囃子」を行ったのが始まりとされる。茨城県指定無形民俗文化財。
 大八車の前側に米俵と天狗の面、後側に大小の太鼓をのせる。 地区の鎮守である鹿島神社=下記参照=でお囃子を奉納した後、西丸山地区の最北部の月読神社に移動、ここでもお囃子を奉納した後、災い除けの藁人形を取り付ける。 その後地区内をまわり、お囃子とともに大杉神社の御札を配る。そして地区の最南部の古川十字路脇に同じく災い除けの藁人形を取り付ける。 藁人形は、北部に取り付けるのが男人形、南部につけるのが女人形といい、地区内に疫病などの侵入を防ぐためという。 かつては1月の「初囃子」、5月の「御事囃子」の年2回行われていたが、現在は1月15日の前の日曜日に行われる「初囃子」のみとなっている。
西丸山祈祷ばやし鹿島神社奉納 西丸山祈祷ばやし列
鹿島神社で奉納する祈祷囃子(左)、地区内を進む祈祷囃子(右)
西丸山祈祷ばやし北 西丸山祈祷ばやし
北部、月読神社につけられた藁人形(左)、南部、古川交差点脇につけられた藁人形(右)
鹿島神社 西丸山
 祭神は武甕槌神。創建は1700(元禄13)年11月、鹿島神宮から勧請した。 1994(平成6)年社殿改築。それまで南を向いていた社殿、鳥居を、東向きに変更。参道から一直線にした。 同神社に伝わる「西丸山祈祷囃子」は茨城県指定無形民俗文化財=上記参照。
 つくばみらい市西丸山。鹿島神社・西丸山の地図
鹿島神社西丸山
鹿島神社社殿
聖徳寺
 聖徳太子建立という言い伝えが残る。本尊は太子作と伝えられる木造阿弥陀三尊像。親鸞聖人が100日滞在したというゆかりの寺。真宗大谷派。
 つくばみらい市鬼長776。聖徳寺の地図
聖徳寺
聖徳寺
禅福寺
 普門山禅福寺。931(承平元)年、平将門の創建と伝えられる古刹。夢窓国師によって1345(貞和元)年、再建された。
 つくばみらい市筒戸1094。善福寺の地図
禅福寺
禅福寺
善空寺
 無量山寿経院善空寺。浄土宗。「小張の中寺」として親しまれている。1471(文明3)年、誓蓮社本誉上人の開山。 1616(天和2)年、現在地に移った。 1922(大正11)年、大火で諸堂を焼失した。現在の本堂は、1984(昭和59)年の再建。 一刀三礼の秘仏という本尊の阿弥陀如来立像は火災の難を逃れている。南北朝時代の作とされ、「貞和二年」(1346年)、浄恵作の銘が残る。 像高約80cm。胎内に「元和六年」(1620年)と「慶応四年」(1868年)の修理札がある。茨城県指定文化財。茨城百八地蔵尊霊場第59番札所。 霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 つくばみらい市小張2623。善空寺の地図
善空寺
善空寺本堂
田んぼアート
 つくばみらい市周辺は古来より小貝川の水に恵まれ「谷原3万石」と呼ばれる「米どころ」として知られる。 この米どころをアピールしようと2005(平成17)年からつくばエクスプレスの高架近くの水田を使った「田んぼアート」が行われている。 これは田んぼに紫稲、黄稲、白稲、赤稲などの古代米を使ってさまざまな模様を描いたもの。 市民団体NPO法人古瀬の自然と文化を守る会が中心となって行っており、田植えや稲刈りイベントを実施している。
 つくばみらい市下小目。田んぼアートの地図
田んぼアート 田んぼアート市松模様
田んぼアート(左)、同じく市松模様の田んぼアート(右)
あわんとり
 正月飾りなどを焼き、1年の無病息災を願う小正月の行事。 場所によってはどんど焼きや左義長などと呼ばれている。 毎年1月の成人の日前の日曜日につくばみらい市寺畑地区の小貝川河川敷を会場に実施される。 市民団体NPO法人古瀬の自然と文化を守る会が中心となって行っている。 竹と藁を使って高く櫓を組み、最上部には弓矢がつけられている。午後3時に火入れ。 かつては小正月の風物詩として多くの地区で実施されていたが、現在では行っている所は少なくなっている。
 つくばみらい市寺畑。小貝川河川敷の地図
あわんとり
あわんとりで火が入った櫓
ゼロポイント
 つくばみらいゼロポイント。東経140度00分、00秒、北緯36度00分、00秒。ゼロポイントとは、東経と北緯の00分00秒の交点。 つくばみらい市の水田のなかにある。目印となる標柱などは無い。
 つくばみらい市宮戸。ゼロポイントの地図
ゼロポイント
畦道手前、画面のほぼ中央がゼロポイント
豊体交差点の枝垂桜
 茨城県道46号野田牛久線と茨城県道130号常総取手線が交わるつくばみらい市の豊体交差点にある枝垂桜。 交差点の北側にある。名称は当サイトが便宜上つけたもの。
 つくばみらい市豊体。豊体交差点の地図
豊体交差点枝垂桜
豊体交差点の枝垂桜
鉄火塚
 常陸国と下総国の境界争いを神裁きによって裁定した場所。1598(慶長3)年2月に行われた検地の際、 下総国川崎郷と常陸国楢戸郷の間で境界争いが起こり、神裁きによって決することになった。 神裁きとは、熱した鉄の棒を握れるかどうかによって裁定するというもの。同年11月15日行われ、楢戸郷側が勝った。 その場所に塚が築かれ松を植えたという。松は枯れると植え替えられている。塚にある石碑は、1918(大正7)年、近隣有志によって建てられた。 現在も神裁きに使われたという鉄火棒(長さ18.1cm、幅3.7cm、厚さ1.6cm)が残っている。
 つくばみらい市宮戸684、685。鉄火塚の地図
鉄火塚
鉄火塚
八坂神社 板橋
 祭神は素戔嗚尊。創建は1201(正治3)年という。産土神として信仰されており、疫病退散などに御利益があるとされる。
 つくばみらい市板橋2131。八坂神社・板橋の地図
八坂神社・板橋
八坂神社社殿
板橋八坂神社の桜
 参道、拝殿前、本殿裏に桜がある。
板橋八坂神社桜
板橋八坂神社の桜
八坂神社 小絹
 小絹八坂神社。1502(文亀2)年の創建。旧村社。祭神は素戔嗚尊。 境内社として三峰、愛宕、天神、稲荷、大杉、疱瘡、不動明王が祀られている。 境内にはかつて、樹齢300〜400年、樹高30〜36mという松の御神木6本があった。 しかし、松くい虫の被害により1976(昭和51)年に伐採されている。
 つくばみらい市小絹906。八坂神社・小絹の地図
八坂神社・小絹
八坂神社社殿
八幡神社 城中
 城中八幡神社。創建は1510(永正7)年。祭神は誉田別命。祐覚という僧侶が鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請したものという。
 つくばみらい市城中。八幡神社・城中の地図
八幡神社城中 八幡神社城中
城中八幡神社社殿(左)、木製で趣のある城中八幡神社鳥居(右)
足高稲荷神社
 祭神は宇賀御魂命。創建は1792(寛政4)年9月。旧村社。
 つくばみらい市足高。足高稲荷神社の地図
足高稲荷神社
足高稲荷神社
千手院
 1590(天正18)年、牛久城主としてこの地を治めることになった由良国繁が、 多賀谷氏に滅ぼされた同族の岡見氏の供養として1592(天正20)年に7観音8薬師を建立した。 千手院は、そのひとつ。本尊は木造千手千眼自在観世音菩薩で、像高約206cm、台座に1694(元禄7)年のの墨書がある。 また胎内仏として鋳銅製の十一面観音像が納められている。像高約23cm、由良家ゆかりの稔持仏とも考えられている。 本尊と胎内仏はつくばみらい市指定文化財。
 つくばみらい市足高。千手院の地図
千手院
千手院
千手院の桜
 堂の脇や入口などに桜がある。
千手院桜
千手院の桜
浄円寺
 豊体山無量院浄円寺。浄土宗の寺。安産に御利益があるという伊奈観音堂があり近隣の信仰を集めている。
 1642(寛永19)年の創建。伊奈半十郎忠治公が、この地方を開発した際、工事の犠牲者の冥福を祈るため、仮役所跡地を寺地として建立した。
 境内にある伊奈観音堂は、忠治公の没後100年目にあたる1752(宝暦2)年に、伊奈氏の業績を称えようと、 勝願寺(埼玉県鴻巣市)から勧請し伊奈氏の持念仏を納めて西国三十三観音を模して建立された。 忠治公の位牌と、本尊として慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来立像、その両脇に33観音が祀られている。 伊奈は胞衣(えな=胎盤)に通じることから、安産の観音様として信仰されている。 赤と白の布地が奉納されており、これを借りて腹帯として安産を祈願した。女の子がほしい場合は赤の布を、男の子がほしい場合は白の布を奉納するという。 本尊の阿弥陀如来立像は像高約129cm、カヤの一木造り。鎌倉時代前期のものと推定されている。つくばみらい市指定文化財。
 つくばみらい市豊体913。浄円寺の地図
浄円寺本堂 浄円寺観音堂
浄円寺本堂(左)、観音堂(右)
瑞源寺
 足高山瑞源寺。曹洞宗の寺。創建は1597(慶長2)年。牛久城主・由良国繁が建立。太田山金龍寺(現在の龍ヶ崎市若柴町)の愚岫梵殊大和尚を招き開山とした。 山門は1751(寛延4)年の建立、本堂は1862(文久2)年の再建という。
 つくばみらい市城中7。瑞源寺の地図
瑞源寺
瑞源寺山門
大楽寺
 蓮華台上山大楽寺。天台宗。本尊は阿弥陀如来。創建は不明だが、同寺の住職で1644(寛文4)年の墓があることから、 少なくとも江戸時代の初期には寺があったと見られる。当時は西光寺と称していたが、昭和に入って中興され大楽寺に改称した。
 本尊の阿弥陀如来は、阿弥陀三尊像で脇侍1躯を欠いている。阿弥陀像は坐像で像高87.6cm、檜材の一木造。 脇侍は立像で像高104cm、檜材による寄木造。平安時代末期から鎌倉時代初期の作と見られる。茨城県指定文化財。 このほか、鎌倉時代後期の作とみられる木造薬師如来坐像は、像高53.3cmの寄木造。室町時代前期の作とみられる木造十一面観音立像は、 像高80.2cm、「文久二年」(1861年)の修理銘が残っている。両像ともつくばみらい市指定文化財。
 大楽寺のある福岡地区には、福岡太鼓と盆踊りが伝わっている。1981(昭和56)年には福岡盆踊り保存会が結成され 伝統を継承している。毎年8月15日には保存会が中心となって同寺境内を会場に「福岡盆踊り」が行われる。
 つくばみらい市福岡12。大楽寺の地図
大楽寺
大楽寺
永寿院
 東光山永寿院。曹洞宗の寺。本尊は釈迦牟尼仏。1589(天正17)年、この地方を支配していた板橋城主、月岡播磨守(玄蕃允=げんばのじょう) が開基となって、現在の下妻市にある多寶院から勧請。開山は不山等智(ふさんとうち)大和尚。
 本堂奥には、歴代住職の墓と並んで月岡播磨守の墓が残る。明治から大正時代にかけては現在のつくばみらい市立板橋小学校の前身である 板橋尋常小学校が境内にあった。本堂は1974(昭和49)年の再建、山門は開山400年記念事業として1986(昭和61)年の建立。
 つくばみらい市板橋1908−イ。永寿院の地図
永寿院本堂 永寿院山門
永寿院本堂(左)、同じく山門(右)
永寿院の桜
 寺入口付近に3本桜がある。樹齢約50年。
永寿院桜
永寿院の桜
高雲寺の枝垂桜
 高雲寺は曹洞宗の寺。参道に枝垂桜がある。
 つくばみらい市小張1684。高雲寺の地図
高雲寺枝垂桜
高雲寺の枝垂桜
小張愛宕神社の桜
 毎年8月に小張流綱火=上記参照=が奉納される小張愛宕神社の境内に多くの桜がある。
 つくばみらい市小張3235。小張愛宕神社の地図
小張愛宕神社桜
小張愛宕神社の桜
高岡愛宕神社の桜
 毎年8月に高岡流綱火=上記参照=が奉納される高岡愛宕神社の桜。境内に多くの桜の古木がある。
 つくばみらい市高岡631。高岡愛宕神社の地図
高岡愛宕神社桜
高岡愛宕神社の桜
総合運動公園の桜
 体育館、野球場、テニスコートなどを備える。敷地内には多くの桜がある。
 つくばみらい市小張1770。総合運動公園の地図
総合運動公園桜
総合運動公園の桜
みらい平イルミネーション
 みらい平駅で行われているイルミネーション。
 つくばみらい市陽光台1丁目。みらい平駅の地図
みらい平イルミネーション
みらい平駅のイルミネーション
川岸の馬頭観音
 小貝川の川岸にある馬頭観音。「馬頭観世音」と刻まれた文字碑。
 つくばみらい市下小目。川岸の馬頭観音の地図
川岸の馬頭観音
川岸に建つの馬頭観音
立浪部屋
 立浪部屋は、つくばみらい市陽光台にあった相撲部屋。 2006(平成18)年、東京都墨田区両国からつくばみらい市に、2021(令和3)年7月、東京都台東区橋場に移った。
 立浪部屋は、横綱双葉山や羽黒山を輩出した名門。 現在の7代立浪親方は、俳優の松平健に似ていることから角界の暴れん坊将軍の異名をとった元小結の旭豊。 茨城県内では、式秀部屋(龍ケ崎市)に次いで2カ所目の相撲部屋だった。
 つくばみらい市陽光台4−3−4。
光明院
 廣厳山光明院。天台宗の寺。本尊は薬師如来。 創建は不詳。現在地より北に約200mの場所にあった阿弥陀寺が前身。 江戸時代初期の1636(寛永13)年、天海僧正の弟子行尊が中興した。この時、現在の寺号に改めた。 天海僧正が出した「寛永寺末」である旨の寺格証が寺に残る。
 東国花の寺百ヶ寺茨城11番。主な花はツツジで、見頃は4月下旬から5月上旬。 レンゲツツジの変種で黄色い花をつけるキレンゲツツジで知られる。
 御朱印有。寺院の御朱印は御朱印・寺院も参照。
 つくばみらい市西楢戸767。光明院の地図
光明院本堂 光明院山門
光明院本堂(左)、山門(右)
安国院殿 やわら観音
安国院殿(左)、境内にあるやわら観音(右)
光明院御朱印 光明院東国花の寺御朱印
光明院御朱印(左)、東国花の寺百ヶ寺茨城11番御朱印(右)
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