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水戸市

 水戸市は、茨城県のほぼ中心部に位置する茨城県の県庁所在地。人口は268,750人(2010年国勢調査)、面積は217.43平方km。 市の木は「梅」、市の花は「萩」、市の鳥は「ハクセキレイ」。また、市のマークは、公募によって1933(昭和8)年12月23日に制定された。
 1889(明治22)年4月1日、市制施行した。日本で最初に市制施行した31市のひとつ。茨城県内では唯一の市だった。 当時の面積は6.17平方km、人口は25591人。 その後1933(昭和8)年3月15日、常磐村、1949(昭和24)年11月3日、吉田村の一部、1952(昭和27)年4月1日、緑岡村、上大野村の一部、 1955(昭和30)年4月1日、上大野村、柳河村、渡里村、吉田村、酒門村、河和田村の一部、1957(昭和32)年飯富村、国田村、 1958(昭和33)年4月1日、赤塚村と、周辺の村々を合併した。さらに平成に入ってからも1992(平成4)年3月3日、東隣の東茨城郡常澄村、2005(平成17)年、西隣の東茨城郡内原町を合併した。 平成に入って合併した常澄村は、1955(昭和30)年3月31日、大場村、稲荷村、下大野村が合併。 同じく内原町は、1955(昭和30)年3月31日、鯉渕村、下中妻村、中妻村が合併し内原村となり、1965(昭和40)年1月1日、町制施行し内原町となった。
 江戸時代は徳川御三家の一つ、水戸徳川家の城下町。水府35万石。 水戸黄門で有名なほか、水戸納豆、偕楽園の梅などが知られている。また、家電販売のケーズデンキの本社がある。 旧市街地のうち、台地の部分を上市地区、低地の部分を下市地区という。 つくば市からは、車で高速道路を使うと約30分。
水戸黄門
 テレビの影響で、最近では水戸といえば水戸黄門をイメージする人が多いだろう。黄門さまは水戸藩2代藩主・徳川光圀公(1628〜1700年)。 名君として知られ、藩政改革や寺社改革、水戸城下の整備、大日本史を始めとする文化事業などを行った。水戸藩では殉死の禁止、葬儀の簡略化、水道事業などが行われている。 1628(寛永5)年6月10日、水戸徳川家初代藩主、徳川頼房の3男として水戸城下の家臣の屋敷で生まれた。幼少期は、家臣の子として育てられている。 1661(寛文元)年、水戸藩28万石の第2代藩主となる(のち35万石)。1690(元禄3)年、隠居。1691(元禄4)年、西山荘(常陸太田市)に隠棲する。 1700(元禄13)年12月6日、食道がんのため死去。享年73歳(満71歳)。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。墓所は瑞龍山(水戸藩主歴代墓所、常陸太田市瑞竜町)。
 日本の体系的な歴史書「大日本史」の編纂を開始(大日本史の命名は光圀公の死後、完成は明治時代になってから)したことで知られている。 編纂は江戸駒込の屋敷で多くの学者を集め始められ、その後、小石川の屋敷に移った。その場所は「彰往考来(しょうおうこうらい)-歴史を明らかにして未来を開く-」から「彰考館(しょうこうかん)」と名づけられている。 その後、水戸城内に「水戸彰考館」が作られている。大日本史の編纂は、のちの水戸学にも大きな影響を与えている。また、水戸黄門漫遊記の助さん(佐々木助三郎)のモデルとされる佐々宗淳(さっさむねきよ)、 同じく格さん(渥美格之進)のモデルとされる安積澹泊(あさかたんぱく)は、いずれも彰考館の総裁を務めた学者でもある。
 綱吉公時代には、徳川一族の長老として、幕政にも発言力があったとされる。また、日本で最初にラーメンを食べたり、メリヤス製の靴下を履いたとされる。
 なお、水戸黄門は中納言・権中納言に任命された水戸中納言の唐名(中国風呼び名)で、通常は光圀公をさすが、実際には初代の頼房公、9代の斉昭公など7人が黄門さまといえる。
徳川光圀公像 水戸黄門像
千波湖畔に建つ徳川光圀公像(左)、水戸駅北口前にある助さん格さんを従えた水戸黄門像(右)
偕楽園
 金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本3名園とされる。1842(天保13)年、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公によって造られた。 弘道館で修行する藩士の休養の場、そして領民と偕(とも)に楽しむ場として「偕楽園」と名づけたという。 面積は約13ha。園内に100種3000本の梅の木がある。毎年春には「梅まつり」を開催、たくさんの人でにぎわう。 多くある梅のなかでも、花の形、香り、色などが特に優れている烈公梅、白難波、月影、江南所無、柳川枝垂、虎の尾の6品種が「水戸の六名木」に指定されいる。 偕楽園は梅が有名だが、桜やつつじ、萩などもあり、四季折々に楽しむことが出来る。表門、御成門、東門、南門がある。また園内には、好文亭、吐玉泉、左近の桜、正岡子規の碑などがある。
 好文亭は、木造2層3階建ての本館と木造平屋建ての奥の院からなる。本館3階の楽寿楼から園内や千波湖を一望できる。 吐玉泉は、眼病に効能があるという湧き水。
 左近の桜は、1831(天保2)年、斉昭公の正室、登美宮が降嫁の際、仁考天皇から賜ったとされる桜。最初、江戸小石川の後楽園徳川邸に植えられていたが、 1841(天保12)年、弘道館の完成に伴い、正庁前に移植された。当時の桜は枯死してしまい、現在あるのは3代目。 1963(昭和38)年に、弘道館の改修を記念し、京都御所の左近桜の系統を根分けしていただき、弘道館と偕楽園に植えられたもの。 偕楽園の左近の桜は、幹回り約3.8m、高さ約16m。
 東門近くの南崖の洞窟(なんがいのどうくつ)は、江戸時代に「神崎岩」(かみさきいわ)と呼ばれる石を採掘した跡。洞窟は約150mの長さがある(入り口は閉鎖されている)。 神崎岩は、好文亭の井戸や吐玉泉の集水暗渠、笠原水道の石樋などに使われている。
 1922(大正11)年に常盤公園として史跡、名勝に指定。1999(平成11)年には隣接する千波公園などと合わせて整備を開始、その面積は約300haで、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークについで、世界で2番目の広さ。
 偕楽園の南側には田鶴鳴(たずなき)梅林、猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林などがあり、こちらにも約1000本の梅の木がある。
 偕楽園への入園は無料。開園時間は午前6時〜午後7時(2月20日〜9月30日)、午前7時〜午後6時(10月1日〜2月19日)。 梅まつり中に行われるライトアップ期間中は午後9時まで開園時間が延長される。 好文亭のみ観覧料が必要。大人200円、小人100円。好文亭の観覧時間は午前9時〜午後5時(2月20日〜9月30日)、午前9時〜午後4時30分(10月1日〜2月19日)。 同じくライトアップ期間中は土曜日が午後8時まで、それ以外の日は午後6時まで延長になる。 周辺には普通車約1800台の駐車場がある。通常は無料駐車場が多いが、梅まつり期間中は有料となる場所が多い。
 水戸市常磐町1−3。偕楽園の地図
好文亭 偕楽園吐玉泉
好文亭(左)、吐玉泉(右)
偕楽園見晴広場 偕楽園表門
見晴広場(左)、表門(右)
偕楽園梅林
偕楽園の梅林
偕楽園月池 南崖の洞窟
月池(左)、南崖の洞窟(右)
水戸の梅まつり
 梅まつりは、毎年2月20日から3月31日まで、偕楽園を会場に開催される。 第1回の「観梅デー」が開催されたのは1896(明治29)年で、100年以上の歴史を持つ伝統の祭り。
 野点茶会をはじめとするさまざまなイベントが行われる。1963(昭和38)年からは、会場を案内役などを務める「水戸の梅むすめ」が選ばれている。 2001(平成13)年からは、男性も応募できるようになり、名称も「水戸の梅大使」になっている。
 祭り期間中、隣接する常磐神社を含め、夜の梅を楽しもうと、一夜限りの「夜梅祭」(よるうめまつり)が開催される。 ろうそくによるライトアップや能楽堂のステージ、さらに花火が打ち上げられる。
 なお、梅まつりの時期だけJR常磐線の臨時駅「偕楽園駅」が運営される(下記参照)。 これは観光客の利便性の向上のため水戸駅と赤塚駅の間に設けられている。駅を降りるとすぐ偕楽園だが、下り線しかホームがない。
梅まつり
梅の開花時期の梅林。紅梅白梅が並ぶ
左近の桜
 偕楽園と弘道館にある桜。徳川斉昭公の夫人、登美宮吉子女王が降嫁の際、仁考天皇から賜ったという京都御所紫宸殿の左近の桜のひこばえといわれている。 偕楽園と弘道館に植えられていたが、両方とも枯死してしまった。 現在の桜はいずれも2代目で、1963(昭和38)年、同じく京都御所の左近の桜から根分けされたもの。
左近の桜偕楽園
偕楽園にある左近の桜
茨城県庁
 県庁舎棟、県議会棟、県警本部棟からなる。県庁舎棟は、地上25階、地下2階、高さ116mで、茨城県内で最も高いビル。 最上階の25階は、展望フロアがある。展望フロアの利用時間は、平日は、午前9時30分から午後8時まで(毎週水曜日及び第2・第4金曜日は午後6時45分まで)、 土曜日・日曜日・祝祭日は、午前10時から午後8時まで。 無料。隠れた人気スポットとなっている。また、平日であれば庁舎内の食堂も利用できる。
 水戸市笠原町978−6。茨城県庁の地図
県庁舎棟
県庁舎棟
茨城県庁三の丸庁舎
 1930(昭和5)年に建設された旧茨城県庁。現在は茨城県庁三の丸庁舎として、茨城県パスポートセンターや水戸観光協会などが入る。 また、映画やテレビドラマのロケーションで使われている。 1999(平成11)年、水戸市笠原町の新県庁に移転するまで、戦前戦後を通じて茨城県の行政の中心だった。
 近世ゴシック建築。鉄筋コンクリート地下1階、地上4階建て、中央部に塔がある。もともと建築当時は3階建てで、4階部分は1959(昭和29)年に増築された。 レンガ張りの重厚な外観と、正面から見るとシンメトリーが印象的な建物。周辺は、春は梅と桜、秋は銀杏の名所として知られ、ライトアップなどが行われている。
 水戸市三の丸1−5−38。茨城県庁三の丸庁舎の地図
三の丸庁舎
三の丸庁舎
納豆
 もともと付近の農家では、自家製造していたが、明治期、鉄道の開通に伴い、土産品として売リ出したのがきっかけで、水戸といえば納豆といわれるほど有名になった。 「天狗納豆」「水戸納豆」「水戸天狗納豆」「だるま納豆」などのブランドがある。高齢者には懐かしい藁で包まれた納豆がお土産として人気。
 3月10日の「水戸の日」前後には、納豆早食い世界大会が行われている。さらに7月10日の「納豆の日」には、市内で納豆に関するイベントが行われている。
納豆碑
水戸駅南口前にある水戸の納豆記念碑
水戸藩ラーメン
 光圀公が、大日本史編纂のため、中国から招いた儒学者・朱舜水から中国麺の製法を教わり、小麦粉とレンコンの粉を混ぜて麺を作って食べた。 この麺が、日本初のラーメンという。当時のレシピを出来るだけ再現し、なおかつ現在でも食しやすいように作ったのが水戸藩ラーメン。 黄門様の食べたいにしえのラーメンが味わえると好評。
 市内のラーメン店7店で食べられるほか、通信販売やお土産としても人気がある。 
弘道館
 水戸藩の藩校。9代藩主斉昭公によって作られた。1838(天保9)年に斉昭公の藩校設立構想が「弘道館記」で明らかにされたが、仮開館されたのはそれから3年後の1841(天保12)年。 正式に開館したのはそれから17年を経た1857(安政4)年。当時の建物は、正庁、文館、武館、医学館に分かれていた。 尊王(皇)論で知られる水戸学(後期)の拠点として、あるいは数学、医学、天文など、自然科学などについての研究も行われた。 入門を許されたのは士分の師弟のみ。10歳で素読を、15歳になると午前中は学問、午後は武術を学んだという。 現在、白壁に囲まれた敷地内には正庁、至善堂がある。正門を加えた3つの建物は国の重要文化財に指定されている。周辺一帯は国の史跡に指定されている。 正庁は、間口22m、奥行18m、西面が寄せ棟造り、南と北面それに玄関が入母屋造り、平屋建て、瓦葺。1841(天保12)年の建築。 玄関正面には斉昭公自筆による「弘道館」の額が残っている。 至善堂は、正庁の右奥にあり、入母屋造り、平屋建て、瓦葺。正庁と同じく1841(天保12)年の建築。主に歴代藩主の休憩所として使用されていた。 15代将軍慶喜公が大政奉還後、この堂の一室に謹慎していた。当時の資料も多く残っている。 正門は、水戸城跡大手橋のすぐ前にある。切妻造、瓦葺、四脚門。 現在弘道館周辺は、弘道館公園として整備されている。
 水戸市三の丸1−6。弘道館の地図
弘道館
弘道館正門
水戸城址
 水戸城は、江戸時代、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家35万石の居城。その歴史的価値から日本100名城にも選ばれている。 JR水戸駅北口前周辺に土塁や空堀、薬医門が残されている。本丸は現在の茨城県立水戸第一高等学校、 二の丸が同じく茨城県立水戸第三高等学校と茨城大学附属小学校及び幼稚園、三の丸が水戸藩校弘道館、茨城県庁三の丸庁舎、茨城県立図書館のある場所。
 鎌倉時代の建久年間(1190〜1199年)、常陸大掾の馬場資幹(ばばすけとも)によって築かれた。以降、馬場氏が9代約240年間に渡って治めた。 1416(応永23)年、江戸通房(えどみちふさ)が馬場氏を攻め、水戸城を奪い、その後7代約165年に渡って江戸氏が治める。 その江戸氏も、1590(天正18)年、佐竹義宣に攻められ落城、佐竹氏は常陸一国54万石の戦国大名として、太田から水戸城に本拠を移すが、わずか13年で出羽(秋田県)に改易となる。
 その後、1602(慶長7)年、徳川家康の5男、武田信吉が入るが早世、翌1603(慶長8)年、家康の10男、のちの紀州藩主、頼宣が20万石で入る。 さらに1609(慶長14)年、家康の11男、頼房が25万石で入った。徳川氏は江戸時代、約260年に渡って治めることになる。
 江戸時代の水戸城は、本丸に兵器蔵があり、二の丸に三階櫓があり、実質的に本丸の役割を果たしていた。三の丸には、斉昭公の時代に弘道館が建てられた。 薬医門は、佐竹氏の時代に建築されたと考えられており、安土桃山時代の建築様式を伝えている。茨城県指定文化財。本丸の橋詰門と推定されている。なお、三階櫓は、1945(昭和20)年の水戸空襲で焼けた。
 水戸市三の丸。水戸城空堀の地図
水戸城空堀
三の丸の空堀
水戸芸術館
 市制施行100周年を記念し、芸術による中心市街地の活性化を目的に、当時の佐川一信市長が発案し、芸術活動に市予算の1%を使うという日本初の制度を盛り込み、移転した市立小学校の跡地に建設した。
 建物は地上4階、地下2階。コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーから成る。また、会議場、レストランヴェールブランジェ、コーヒーラウンジ、ミュージアムショップコントルポアンが併設されている。 屋外には芝生広場とチタンで作られた高さ100mのタワーがそびえる。設計はつくばセンタービルなどを設計した建築家の磯崎新。初代館長は音楽評論家、翻訳家として知られる吉田秀和。1990(平成2)年開館。
 美術・音楽・演劇の各部門には開館前から「芸術監督」が任命され、芸術監督のアドバイスを受けながらハードを作る手法がとられた。 また、開館と同時に水戸芸術館専属楽団、水戸室内管弦楽団が発足。世界的に著名な指揮者、小沢征爾を音楽顧問に迎え、メンバーにはソリストやオーケストラの首席奏者など世界的な音楽家を揃えた。 年に4回、定期演奏会を行っている。
 開館時間は午前9時30分〜午後6時。月曜日休館。展望塔の86.4mの高さにある展望塔は、入場料200円が必要。営業時間は午前9時30分〜午後6時(土日祝日は午後7時)まで。 ミュージアムショップは午前10時30分〜午後6時30分まで。レストランは午前11時30分〜午後3時、午後5時から午後10時まで。コーヒーラウンジは午前10時〜午後6時まで。
 水戸市五軒町1−6−8。水戸芸術館の地図
芸術館
水戸芸術館
水戸八幡宮
 祭神は、誉田別尊、息長足日売尊、姫大神の三柱。 常陸国水府総鎮守として崇敬されている。戌亥歳生まれの守護神として知られる。 康平年間(1058〜65年)、京都・石清水八幡宮の分霊を勧請した。現在の常陸太田市にあって、大田郷の鎮守とされていたが、佐竹氏の水戸進出とともに現在の水戸市内に遷座した。 江戸時代、水戸藩主3代、徳川綱條公が現在地に移したという。 本殿は国の重要文化財に指定されている。安土桃山時代、佐竹義宣公の建立。樹齢700年とされる御神木の御葉付銀杏(おはつきいちょう)は国の天然記念物に指定されている。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市八幡町8−54。水戸八幡宮の地図
水戸八幡宮本殿 水戸八幡宮鳥居
水戸八幡宮本殿(左)、鳥居(右)
水戸八幡宮拝殿 御葉付銀杏 東照宮御朱印
水戸八幡宮拝殿(左)、御葉付銀杏(中)、御朱印(右)
水戸東照宮
 正式名称は東照宮。水戸藩の藩祖である頼房公が1621(元和7)年、父の家康公を祀るために景勝地の霊松山に創建。2代藩主光圀公によって常磐山(ときわやま)に改められた。 水戸徳川家の崇敬社として栄えた。現在の祭神は、徳川家康と徳川頼房。1945(昭和20)年の戦災で焼けた旧社殿は、旧国宝に指定されていた。 現在の社殿は、1962(昭和37)年の再建。境内には地元出身の横綱、常陸山の碑がある。旧県社。学業成就などに御利益がある。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市宮町2−5−13。東照宮の地図
東照宮 東照宮御朱印
水戸東照宮(左)、御朱印(右)
常磐神社(ときわじんじゃ)
 徳川光圀公(高譲味道根命=たかゆずるうましみちねのみこと)、徳川斉昭公(押健男國御楯命=おしたけおくにのみたてのみこと)を祀る。 1873(明治6)年、明治天皇の勅旨により「常盤神社」の神号を賜り。翌1874(明治7)年現在地に建立された。 光圀公が大日本史の編纂を始め、斉昭公は藩校の弘道館を開くなど、祭神の両公が学問を好んだことから、学業成就、合格祈願に霊験ありとされる。 また、テレビの光圀公の諸国漫遊の影響から、交通安全、旅行安全などでも信仰を集める。さらに初宮参り、七五三、厄除けの参拝者も多い。 水戸黄門にあやかって作られた三つ葉葵の「印籠お守り」が人気。1883(明治16)年、別格官弊社。現在の社殿は1958(昭和33)年の再建。
 境内には摂社の東湖神社、末社の三木神社、光圀公と斉昭公のゆかりの品などを展示した義烈館などがある。
 東湖神社は、斉昭公に使えた藤田東湖を祀った神社。東湖は、斉昭公を助け、藩政改革や兵器軍艦製造などに当たったという。 また水戸学の大家として知られ、薩摩の西郷隆盛らからも尊敬されていたといい、幕末の尊王の志士たちに大きな影響を与えたとされる。 神社は1943(昭和18)年、水戸市の皇紀2600年記念事業で創建された。合格祈願、学業成就、事業繁栄に御利益がある。
 三木神社は、幼少時の光圀公の育ての親である水戸藩家老の三木之次とその妻、武佐を祀った神社。安産、子授け、子育て、家庭円満に御利益があるという。 なお、三木之次の子孫で、元水戸藩士の三木啓次郎は、桜田門外の変で自刃した水戸浪士の霊を慰めるため、大阪の四天王寺を訪れた。 この時、経済的に困窮していた松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助を知り、水戸の田畑を抵当に援助したという。 のちに成功した松下は、その恩義に応え松下電器がテレビ番組の「水戸黄門」のスポンサーとなったほか、三木神社建立に際しても多くの寄進をしたという。
 常磐神社及び摂社の東湖神社の御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市常磐町1−3−1。常盤神社の地図
常磐神社
社殿
常磐神社本殿 常磐神社鳥居
本殿(左)、偕楽園臨時駅前から神社参道(右)
常磐神社東湖神社 常磐神社三木神社
摂社東湖神社(左)、末社三木神社(右)
常磐神社御朱印 東湖神社御朱印 常磐神社御朱印帳表紙 常磐神社御朱印帳裏表紙
常磐神社御朱印(左)、摂社東湖神社御朱印(中左)、オリジナル御朱印帳表紙(中右)、同御朱印帳裏表紙(右)
茨城県護国神社
 祭神は、幕末から明治維新以来、日清、日露戦争、太平洋戦争に至る事変戦役などにおいて、戦死された茨城県出身の63,494柱の英霊を祀っている。 常盤神社内にあった招魂社を開基とし、1878(明治11)年社殿が造営された。1939(昭和14)年護国神社となり、1941(昭和16)年現在の場所に遷座した。 先祖供養や学問成就、子育てなどに御利益があるという。桜の名所として知られる。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市見川1−2−1。茨城県護国神社の地図
護国神社 茨城県護国神社御朱印
護国神社社殿(左)、御朱印(右)
桜の宮 護国神社鳥居
境内にある「ねがい桜」を祀る桜の宮=祭神は木花開耶姫(左)、護国神社鳥居(右)
吉田神社
 常陸国三之宮。祭神は日本武尊。日本武尊が、東征の時に、この地で兵を休ませたことにちなんで創建されたという。 5世紀末の創建と伝えられ、日本武尊を祀る神社としては日本最古の歴史がある。延喜式では名神大社。 江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、光圀公が社殿を修築したほか、斉昭公のとき、領内総鎮守となった。旧県社。 家内安全、商売繁盛、学業成就、交通安全などに御利益がある。
 また、境内にある天満宮には合格祈願で訪れる人が多い。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市宮内町3193−2。吉田神社の地図
吉田神社 吉田神社御朱印
吉田神社社殿(左)、御朱印(右)
吉田神社随神門 吉田神社天満宮
神社の随神門(左)、境内に祀られている天満宮(右)
薬王院
 吉田山神宮寺薬王院。天台宗の寺。延暦年間(782〜806年)、桓武天皇の勅願で、伝教大師最澄の創建とされる。 明治維新までは、吉田神社の別当寺だった。 本堂は、1527(大永7)年火災で焼失、1529(享禄2)年の再建。桁行7間、梁間5間の大規模なもの。 室町時代の建築様式を伝えるものとして、国の重要文化財に指定されている。 堂内には、本尊で茨城県の文化財に指定されいる木造薬師如来坐像と、木造十二神将像が安置されている。 また仁王門は、貞享年間(1684〜88年)の建立、茅葺の八脚門。桁行6.8m、梁行6.4m。茨城県の文化財に指定されている。 境内には歓喜堂があり、歓喜天が安置され、夫婦和合の仏様として信仰されている。 天台宗水戸10か寺のひとつ。
 茨城百八地蔵尊霊場第2番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市元吉田町682。薬王院の地図
薬王院本堂 薬王院御朱印
本堂(左)、御朱印(右)
薬王院仁王門 薬王院
仁王門(左)、八角形の堂(右)
薬王院門 薬王院回向堂
四脚門(左)、回向堂(右)
六地蔵寺
 倶胝密(ぐてみつ)山聖宝院六地蔵寺。真言宗豊山派。807(大同2)年ないし、891(寛平3)年の創建とされるが詳細は不明。 室町時代、宥覚上人が中興。古くは六蔵寺と呼ばれた。 本尊は寺の名のとおり、行基作とされる6体の地蔵菩薩。安産、子育て、心願成就に御利益がある。 徳川光圀公ゆかりの枝垂桜が有名で、桜の名所となっている。樹齢1100年余の大杉、樹齢800年の銀杏などが境内にある。
 地蔵堂は1991(平成3)年に改修及びそれに伴い調査が行われ、3度目の建立で、1700(元禄13)年11月6日の上棟であることがわかった。 法宝蔵は、光圀公の建立で古文書や密教の法具などが収められている。四脚門は茨城県指定文化財。
 墓地には、彰孝館総裁の立原翠軒や大日本史の編纂に尽力した栗田寛の墓がある。
 関東百八地蔵尊霊場第57番札所。茨城百八地蔵尊霊場第108番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市六反田町767。六地蔵寺の地図
六地蔵寺本堂 六地蔵寺御朱印
六地蔵寺本堂(左)、御朱印(右)
六地蔵寺地蔵堂 六地蔵時法宝蔵
六地蔵寺地蔵堂(左)、法宝蔵(右)
六地蔵時四脚門
四脚門
六地蔵寺の枝垂桜
 六地蔵寺の本堂前にある枝垂桜。徳川光圀公が鑑賞したという枝垂桜の子孫。
 水戸市六反田町767。六地蔵寺の枝垂桜の地図
六地蔵寺の枝垂桜
六地蔵寺の枝垂桜
安国寺
 萬年山安国寺。曹洞宗の寺。本尊は釈迦牟尼仏。創建は1663(寛文3)年とされるが、1590(天正18)年とも。 山門は1993(平成5)年の再建で洞林門(どうりんもん)と呼ばれる。本堂前に大きな枝垂桜がある。
 水戸市大足町1184−1。安国寺の地図
安国寺本堂 安国寺山門
安国寺本堂(左)、山門(右)
安国寺の枝垂桜
 萬年山安国寺の本堂前にある枝垂桜。夜はライトアップも行われる。
 水戸市大足町1184−1。安国寺の枝垂桜の地図
安国寺の枝垂桜
安国寺の枝垂桜
長福寺
 塩崎山密厳院長福寺。天台宗の寺。創建は貞観元(859)年とされる。開基は慈覚大師円仁。 本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作という。中興開山は栄尊和尚。天台宗水戸10か寺のひとつ。
 本堂は1344(康永3)年栄尊和尚によって再建されたが、1839(天保10)年に焼失した。 現在の本堂は、1841(天保12)年の再建。天狗党の乱では、幕府追討軍の本営が置かれた。 2015(平成27)年12月、鐘楼完成。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市塩崎町1135。長福寺の地図
長福寺本堂 長福寺御朱印
本堂(左)、御朱印(右)
長福寺鐘楼 長福寺山門
鐘楼(左)、山門(右)
善重寺
 遍照山光明院善重寺。親鸞聖人二十四輩第12番。真宗大谷派。1232(貞永元)年、親鸞聖人の高弟、善念坊の開基。 もと現在の笠間市にあったが、その後、現在の水戸市内に再建され、さらに江戸時代、徳川光圀の命で現在地に移ったという。 境内にある聖徳太子堂には、徳川光圀が寄進したという、木造聖徳太子立像がある。鎌倉時代末期のものと見られ、伝湛慶作。 像は毎年、太子の命日とされる2月22日の午前11時〜正午まで一般公開される。
 水戸市酒門町2096−2。善重寺の地図
祇園寺
 壽昌山(じゅしょうざん)。曹洞宗。1692(元禄5)年、徳川光圀の開基で、明の帰化僧・心越禅師(しんえつぜんじ)=東皐心越(とうこう しんえつ)=の開山。禅宗壽昌派の本山。 心越禅師は、1677(延宝元)年来日、1681(天和元)年、徳川光圀公の招請で水戸の岱宗山(たいそうざん)天徳寺に住した。 1692(元禄5)年、天徳寺を明代寺院様式に改築し、壽昌派の本山として開堂した。1695(元禄8)年には、幕府の許しを得て、総本山祇園寺と公称。京都の南禅寺と同格と心得るべき台旨を受ける。 1712(正徳2)年、4世大寂界仙(だいじゃくかいせん)の時、もとの天徳寺を河和田村に移し、そのあとを祇園寺として、心越禅師をもって開山とした。 大寺院として隆盛を誇ったが、1859(安政5)年、火災で堂宇を焼失した。 境内には、水戸市生まれの洋画家・中村彝の墓がある。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市八幡町11−69。祇園寺の地図
祇園寺本堂 祇園寺御朱印
祇園寺本堂(左)、御朱印(右)
祇園寺山門 祇園寺宝仙殿
山門(左)、宝仙殿(右)
桂岸寺
 大悲山保和院桂岸寺。水戸谷中の二十三夜尊、二十三夜様として親しまれている。 1682(天和2)年、水戸藩家老中山信正の供養のため、子の松岡館主中山備前守信治が建立した。 壇海(だんかい)和尚の開山と伝えられる。本尊の勢至菩薩は、佐竹貞義の護持仏で、行基作と伝わっており、開運の神様として広く信仰を集めている。 当初は香華院と称したが、1694(元禄7)年、徳川光圀公の命により、保和院と改める。寺の南側には、徳川光圀公が愛した日本庭園、保和苑がある。 1878(明治11)年、火災により伽藍を焼失した。その後、本堂、仁王門、愛染堂を再建した。
 茨城百八地蔵尊霊場第1番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 水戸市松本町13−19。桂岸寺の地図
桂岸寺本堂
桂岸寺本堂
桂岸寺仁王門門 桂岸寺水戸黄門像
仁王門(左)、境内にある水戸黄門像(右)
報仏寺ほうぶつじ
 法喜山。真宗大谷派。1218(建保6)年、親鸞の直弟子、唯円が開いた寺。その後衰えたが1689(元禄2)年、徳川光圀が再興した。 境内には、水戸市の保存樹にも指定されているしだれ桜がある。 寺宝の金銅大黒天像は室町時代作とされ、像高3.3p、茨城県指定重要文化財。境内は河和田城のあった場所。
 なお唯円は、親鸞の教えをまとめた仏教書『歎異抄』の編者とされる。
 水戸市河和田町887。報仏寺の地図
妙徳寺
 隠井山高在院妙徳寺。日蓮宗。1293(永仁元)年、加倉井領主、波木井実氏が母、妙徳尼の菩提を弔うため建立。開山は、日蓮の高弟、日高上人。 昭和初期の大横綱・双葉山が日蓮宗に帰依した祈願所として知られる。現在の寺は加倉井館跡にある。
 水戸市加倉井町909。妙徳寺の地図
妙徳寺
妙徳寺
佛性寺
 涌石山大日院佛性寺。天台宗の寺。天長年間(824〜834年)、慈覚大師円仁(えんにん)の創建。本尊は大日如来。 本堂は全国的にも珍しい八角形で、1585(天正13)年の建立と推定される。室町時代の建築様式を伝え、国の重要文化財に指定されている。 東日本大震災の影響で2011(平成23)年から2014(平成26)年まで解体保存修復工事が行われた。 1693(元禄6)年、本堂の正面が東側に変更されたことが判明、工事では創建当時と同じ南向きにされた。天台宗水戸10か寺のひとつ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 茨城百八地蔵尊霊場第107番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 水戸市栗崎町1985。佛性寺の地図
佛性寺本堂 佛性寺御朱印
佛性寺本堂(左)、御朱印(右)
佛性寺山門 佛性寺堂
佛性寺山門、門の前には石像の仁王像がある(左)、堂(右)
水戸駅
 水戸市の玄関口となるJR常磐線の駅。JR水郡線、JR水戸線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が乗り入れている。 乗降者数は1日平均約6万人で、茨城県内ではJR常磐線取手駅に次いで2番目。
 1889(明治22)年1月16日、水戸線の開通時に終着駅として開業。その後駅舎は1914(大正3)年5月20日、火災で焼失、さらに1945(昭和20)年8月2日には、水戸大空襲で焼失している。 現在の橋上駅舎は1984(昭和59)年に完成した。また、1974(昭和49)年の茨城国体にあわせ、同年南口を開設。
 水戸市宮町1−1−1。水戸駅の地図
水戸駅南口
水戸駅南口
偕楽園駅
 梅まつりの時期だけ、水戸駅と赤塚駅の間に設けられるJR常磐線の臨時駅。 1925(大正14)年2月2日、「公園下」の名称で開業。当時は仮降車場扱いで、降りることしか出来なかった。 1967年(昭和42年)、「偕楽園」に名称変更。1969年(昭和44年)、仮乗降場となり、乗車も可能になった。 1987(昭和62)年、臨時駅になった。
 駅は、偕楽園の東門下にあり、下り線の線路にホームがあるだけの簡単なもの。上り線のホームはない。 梅祭り期間中の土日祝日に限り、午前9時10分〜午後3時30分まで営業する。年間でおよそ10日前後しか利用できない幻の駅でもある。
 下りのホームしかないため、降車の場合、東京方面及び茨城県南部、小山(栃木)方面からの利用者はそのまま下車できるが、水戸、日立方面からの場合、次の赤塚駅で折り返す必要がある。 反対に、乗車の場合、水戸、日立方面へ行く場合はそのまま下り電車に乗車できるが、東京方面をはじめとする上り電車を利用する場合は、次の水戸駅で折り返す必要がある。 なお、ホームの長さが短いため、一部の特急電車は、ドアが開かない車輌がある。
 1993(平成5)年、水戸市で開催された「全国都市緑化フェア」期間中は、上りホームも設置された。
 水戸市常磐町6090。偕楽園駅の地図
偕楽園駅ホーム
偕楽園駅ホーム
京成百貨店
 水戸駅前通りにある百貨店。現在の店舗は2006(平成18)年3月17日オープン。地下2階地上10階建ての店舗で、売り場は、地上地下1階から地上9階まである。 延べ床面積約57000平方m、売り場面積は33500平方m。店舗併設の立体駐車場がある、620台収容。 アートギャラリーや催事場が充実。1階は、著名なブランドショップのほか、地元の店が集まった「パサージュ」がある。8階は専門店街、また9階はレストラン街「スカイガーデン」となっている。
 同店は、1908(明治41)年5月、現在の常陸太田市中城町で志満津呉服店として創業。1946(昭和21)年10月、水戸店を開業。 1949(昭和24)年7月、志満津百貨店となる。1971(昭和46)年5月、京成電鉄と提携し、京成志満津百貨店、本店を水戸市に移した。 さらに1975(昭和50)年、水戸京成百貨店と改称した。 1982(昭和57)年3月には、新会社、水戸京成百貨店に移行している。 2006(平成18)年の新店舗オープンにあわせ、店舗名をそれまでの「水戸京成百貨店」から「京成百貨店」に改称した。
 水戸市泉町1−6−1。京成百貨店の地図
エクセル
 水戸駅ビル。北口にある6階建ての商業施設。1985(昭和60)年3月24日オープン。1階から5階まで専門店、6階に飲食店が入る。
 水戸市宮町1−1−1。エクセルの地図
エクセルみなみ
 水戸駅ビル。南口ロータリー東側にある6階建ての商業施設。2011(平成23)年5月25日オープン、6月23日グランドオープン。 1、2階が駐車場(130台収容)、3階から5階が商業施設、6階が飲食店。4、5階に茨城県内で唯一のビッグカメラの店舗が入る。 エクセル南口立体駐車場併設(300台収容)。
 水戸市宮町1−7−31。エクセルみなみの地図
エクセルみなみ
エクセルみなみ
水戸サウスタワー
 水戸駅南口ロータリー西側にある12階建ての商業複合施設。1、2階が駐車場(135台収容)、3階から9階がヤマダ電機LABI水戸店(店舗は3階から7階)、10階と11階が飲食店、12階にはエステなどが入る。 売り場面積は8295平方m。2008(平成20)年11月28日オープン。ヤマダ電機LABI水戸店は、2015(平成27)年5月31日閉店。
 水戸市宮町1−7−33。水戸サウスタワーの地図
水戸サウスタワー
水戸サウスタワー
ケーズデンキ
 日本全国に約400店舗ある家電量販店・ケーズデンキは水戸市が創業地。現在も本社所在地(水戸市桜川1−1−1)である。
 ケーズデンキは、1947(昭和22)年3月、加藤電機商会として水戸市元台町で創業。1955(昭和30)年10月に法人化、1971(昭和46)年5月、商号をカトーデンキとした。 1973(昭和48)年9月に株式会社となっている。1997(平成9)年11月、ケーズデンキに商号変更、2007(平成19)年には持株会社化し、ケーズホールディングスとなっている。 この間、1988(昭和63)年4月、株式店頭公開、2001(平成13)年2月、東京証券取引所2部上場、2002(平成14)年3月には東京証券取引所1部に指定替えとなっている。
 水戸市元吉田町、国道6号と国道50号の酒門交差点かどに、水戸本店がある。
 水戸市元吉田町1944−12。ケーズデンキ水戸本店の地図
イオンモール水戸内原
 旧イオン水戸内原ショッピングセンター。敷地面積約149000平方m、建物の延べ床面積は焼く151000平方m、売り場面積は約71000平方m。 2005(平成17)年11月11日オープン、イオン水戸内原店のほか、TOHOシネマズはじめ約180の専門店が入居する。 駐車場は約4000台。
 水戸市中原町135。イオンモール水戸内原の地図
水戸黄門神社
 徳川光圀公生誕の地に建てられた神社。水戸駅の北側にある。水戸藩家老・三木仁兵衛之次の屋敷があった場所で、光圀公は1628(寛永5)年、 初代藩主、頼房の第3子として誕生した。そして4歳まで三木家の子としてここで育てられた。 その後、水戸家の継嗣と決まってからは江戸の藩邸に移ったとされる。
 水戸市三の丸2。水戸黄門神社の地図
黄門神社
水戸黄門神社
彰考館徳川博物館
 水戸徳川家に伝わる歴史的資料を保存整理するとともに、広く社会に還元し文化の向上に貢献することなどを目的に、水戸徳川家13代当主徳川圀順公が、それら大名道具や大日本史編纂資料などの歴史的資料を寄贈して設立された財団法人水府明徳会が運営する。 1977(昭和52)年開館。所蔵品は、徳川家康公の遺品はじめ、光圀公ら歴代藩主ゆかりの品、約3万点と、 大日本史の編纂所「彰考館」の流れをくむ彰考館文庫が敷地内にあり、そこには大日本史の草稿本や、その編纂のために全国から集められた古文書類約3万点がある。 また、三つ葉葵の紋が入った印籠や印籠携帯ストラップなどのオリジナルグッズが売店で販売されている。
 水戸市見川1−1215−1。彰考館徳川博物館の地図
茨城県立歴史館
 茨城県の歴史に関する資料の収集と保存、展示を行っている。1974(昭和49)年9月開館。
 常設展は、県内の歴史を「原始・古代」「中世」「近世」「近現代」のコーナーで展示。加えて常陸風土記の世界、平将門の乱、大日本史の編纂、天狗党事件などの歴史にスポットを当てている。 また、徳川慶喜公ゆかりの品を展示した一橋徳川家記念室があるほか、閲覧室、講堂、茶室などを備える。
 敷地内には、旧水海道小学校本館(茨城県指定文化財)や旧水戸農業高等学校本館が復元されている。
 開館時間は午前9時30分〜午後5時。月曜日休館。入館料は大人150円、大学生80円、高校生以下無料。 特別展開催期間は大人580円、大学生300円、高校生以下無料。庭園のみの利用は無料。駐車場有。
 水戸市緑町2−1−15。 茨城県立歴史館の地図
茨城県近代美術館
 1988(昭和63)年に完成した。茨城県出身の芸術家をはじめ、近現代の国内外の美術品1700点以上を有している。 1階では所蔵品を展示する常設展示、2階は企画展示が行われる。また、敷地内には、水戸市出身の洋画家・中村彝のアトリエを新築復元し、彝の遺品や資料を公開展示している。
 開館時間は午前9時30分〜午後5時まで。月曜日休館(梅まつり期間中などは開館)。年末年始及び展示替えで臨時休館有。 入館料は一般300円、高校生大学生230円、小中学生170円。企画展期間中は別料金。駐車場有。
 水戸市千波町666−1。 茨城県近代美術館の地図
水戸市植物公園
 面積約8万平方mの規模を誇る植物公園。1987(昭和62)年4月開園。 隣接する清掃工場の熱を使った鑑賞大温室が特徴。熱帯果樹温室、植物館、芝生園、ロックガーデン、湿生花園などから成る。 樹木2万8千本、草花14万6千本余りがある。温室には1万5千本の植物がある。
 開園時間は午前9時〜午後5時(入園は午後4時まで)。月曜日、年末年始休園。入園料は一般300円、小中学生150円。駐車場有、無料。
 水戸市小吹町504。水戸市植物公園の地図
千波湖
 水戸の中心市街地の南側、偕楽園の隣接地にひろがるひょうたん型の湖。面積は約332000平方m。周囲は約3.1km。 千波湖公園として整備されている。なお、江戸時代は水戸城の外堀の役割をしていた。
 水戸市千波町。千波湖の地図
千波湖
千波湖
千波湖畔の桜
 千波湖の約3kmある周囲にほぼ途切れることなくある桜並木。桜の時期には、南岸でライトアップも行われる。
千波湖桜
千波湖の桜
桜川堤の桜
 桜川の美都里橋と駅南小橋の間の両岸、及び駅南小橋と柳堤橋間の左岸の一部に植えられている桜並木。 堤防上が遊歩道になっており散策が楽しめる。
桜川堤桜
桜川堤の桜(美都里橋近く左岸)
大塚池
 国道50号と国道50号バイパスの合流点近くにある池。周囲約2.5km。冬には白鳥が飛来する池として知られる。 池の周囲は公園として整備されており、遊歩道などもある。
 水戸市大塚町。大塚池の地図
水戸市森林公園
 1968(昭和43)年、明治100年を記念して整備が開始された自然公園。 実物大という恐竜の模型が特徴。ティラノザウルス、トリケラトプス、ステゴザウルスなど14体ある。 1981(昭和56)年自然環境活用センター完成、1982(昭和57)年恐竜の森、1991(平成3)年森のシェーブル館、 1997(平成9)年森の交流センターが完成した。 面積は約143ha。
 開園時間は午前6時〜午後7時(4月1日〜9月30日)、午前8時30分〜午後5時15分(10月1日〜3月31日)。 駐車場有、無料。入園料無料(一部施設を除く)。
 水戸市木葉下町。水戸市森林公園の地図
ディプロドクス
内部が遊具となっているディプロドクス
ティラノサウルス トラコドン
ティラノサウルス(左)、トラコドン(右)
トリケラトプス ステゴサウルス
トリケラトプス(左)、ステゴサウルス(右)

アロサウルス(左)、ブロントサウルス=現在はアパトサウルスと呼ばれる(右)
水戸八景・新水戸八景
 水戸八景は、旧水戸藩内の八つの景勝地で、1833(天保4)年に九代藩主徳川斉昭公が中国の瀟湘(しょうしょう)八景にならい選定した。 旧水戸藩内を対象にしているため水戸市以外の景勝地も含まれる。 1 仙湖の暮雪(せんこのぼせつ)水戸市 2 青柳の夜雨(あおやぎのやう)水戸市 3 太田の落雁(おおたのらくがん)常陸太田市 4 山寺の晩鐘(やまでらのばんしょう)常陸太田市 5 村松の晴嵐(むらまつのせいらん)東海村 6 水門の帰帆(みなとのきはん)ひたちなか市 7 岩船の夕照(いわふねのせきしょう)大洗町 8 広浦の秋月(ひろうらのしゅうげつ)茨城町
 新水戸八景は、水戸市内の八景を選定しようと、1996(平成8)年、市民の投票で選ばれた。 1 弘道館周辺と水戸城の壕 三の丸1・2・3丁目 2 保和苑と周辺史跡 松本町・愛宕町・八幡町 3 偕楽園公園と千波湖周辺 常磐町・千波町・見川1丁目 4 水戸芸術館 五軒町2丁目 5 備前堀 柳町から平戸町まで約12km 6 水戸市森林公園と楮川ダム 田野町・成沢町 7 ダイダラボウと大串貝塚ふれあい公園 塩崎町 8 大塚池公園 大塚町
新水戸八景
大串貝塚ふれあい公園にある新水戸八景記念碑
大串貝塚ふれあい公園
 国指定史跡・大串貝塚を中心にした歴史公園。この地の伝説の巨人「ダイダラボウ像」が公園のシンボル。 像は、高さ15m25cmもあり、これは奈良の大仏より大きい。像の中は展示スペースになっており、さらに胸の付近に展望室が設けられており、周囲を見渡すことが出来る。 像の近くには、ダイダラボウの足跡の形をした足跡池がある。このほか、縄文広場、アスレチック、埋蔵文化財センターなどがある。
 ダイダラボウは、常陸風土記にも記載がある。それによると、身体は大きく、丘の上から手を伸ばして海の大蛤を採って食べたという。 また、貝塚周辺にはダイダラボウのアシコ(足跡)という沼や田が多くあった。 さらにダイダラボウは、筑波山に腰掛け、霞ヶ浦で足を洗ったという伝説があり、筑波山の山頂が2つに分かれているのは、ダイダラボウが座ったためという。
 埋蔵文化財センターは、1階が展示スペースの縄文くらしの四季館。2階が資料室や講座室などとなっている。入館無料。開館時間は、午前9時〜午後4時15分まで。月曜日休館。
 水戸市塩崎町1010。大串貝塚ふれあい公園の地図
ダイダラボウ像
大串貝塚ふれあい公園のシンボル、ダイダラボウ像
足跡池 文化財センター
足跡池(左)、文化財センター(右)
縄文広場 縄文広場
縄文広場の古代の家(左)、竪穴式住居(右)
別雷皇太神
 「水戸の雷神様」として知られる。祭神は別雷命。724(神亀元)年、常陸国主藤原宇合(ふじわらのうかい)が、蝦夷討伐に向かう際、京都の上賀茂神社の分霊を迎え祀ったとされる。 雷除けの神様として広く信仰されている。また、電気の神様として、1924(大正13)年、関東大震災の復興を記念し、東京上野で行われた「電気博覧会」では、会場鎮護の神として、 同神社の分霊が祀られた。博覧会後は、東京市電気局の崇敬を集め、市バスや市電には全車両に同神社の御札があったという。 日本初の原子力の火が灯った茨城県東海村の原子力発電所では、守護神として祀られている。 最近では、雷が落ちないから転じて、受験に落ちないとして、受験生の人気も集める。関東3雷神のひとつ。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市元山町1−1−57。別雷皇大神の地図
別雷皇太神拝殿 別雷皇太神御朱印
別雷皇太神拝殿(左)、御朱印(右)
別雷皇太神本殿 別雷皇太神鳥居
本殿(右)、鳥居(右)
神応寺
 時宗の寺。雷除けの寺として知られる。本尊は阿弥陀如来。1591(天正19)年の創建。1680(延宝8)年に現在地に移る。 雷を蹴上げて人を救ったという蹴上げ観音がある。
 水戸市元山町。神応寺の地図
神応寺
神応寺
有賀神社
 祭神は武甕槌命、経津主命。859(貞観元)年、那珂国造建借間命によって藤内に創建された。式内社、藤内神社論社。子供の虫切りに御利益がある。
 社殿は、1590(天正18)年に兵火で焼失、翌1591(天正19)年の再建で、この時現在地に移り、鹿島明神と称した。 1873(明治6)年、青木神社を合併、村社となる。1877(明治10)年、有賀神社と改めた。
 毎年11月11日には御神体が大洗町の大洗磯前神社へ渡御する「磯渡御」が行われる。「お磯下り」と呼ばれ親しまれている。 磯前神社では盛大に虫きりのお祭りが行われる。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市有賀1028。有賀神社の地図
有賀神社拝殿 有賀神社御朱印
有賀神社拝殿(左)、御朱印(右)
有賀神社本殿 有賀神社鳥居
有賀神社本殿(左)、鳥居から境内(右)
和光院
 傳燈山和光院明楽寺。真言宗智山派の寺。本尊は弘法大師作と伝わる延命地蔵菩薩。北関東三十六不動尊霊場第26番札所。 田島の身代わり血不動尊として信仰を集める。
 1361(康安元)年、鹿島郡神生村で創建。1498(明応7)年、即也房宥怡(ゆうたい)の中興。 1522(大永2)年、江戸氏が治めていた水戸城郭内に移り、菩提寺として栄える。 その後、江戸氏が佐竹氏に敗れると和光院も茨城町石崎に移り、さらに1595(文禄4)年、現在地に移った。
 不動明王像は、紙本着色で室町時代の作とされる。興教大師の筆によるものと伝えられ、不動明王の血で描いたという伝説が残る。水戸氏指定文化財。
 不動堂は、桁行三間、梁間三間、正面に唐風一間の向拝がある。1759(宝暦9)年、上棟。水戸市指定文化財。 また、境内の大椎は、推定樹齢500年、幹周り7m、樹高約30m。
 北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市田島町。和光院の地図
和光院本堂 和光院御朱印
和光院本堂(左)、北関東三十六不動尊霊場第26番札所の御朱印(右)
和光院不動堂 大椎
不動堂(左)、大椎(右)
神崎寺かんさきじ
 笠原山東光院神崎寺。真言宗豊山派の寺。開運水戸不動として信仰を集めてる。北関東三十六不動尊霊場第27番札所。常陸三十三観音霊場第1番札所。 境内には、本堂、観音堂、不動堂、太子堂、鐘楼がある。
 斉昭公の命によって、進められた青銅製の大砲製造所「神崎鋳砲所跡」の碑がある。この地で約300門の大砲が作られたという。 また、桜田門外の変で、襲撃側の唯一の戦死者となった稲田重蔵の墓がある。
 北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市天王町8−17。神崎寺の地図
神崎寺本堂 神崎寺鐘楼
神崎寺本堂(左)、鐘楼(右)
神崎寺観音堂 神崎寺塔
観音堂(左)、塔(右)
神崎寺御朱印 神崎寺御朱印
常陸三十三観音霊場第1番札所の御朱印(左)、北関東三十六不動尊霊場第27番札所の御朱印(右)
寶蔵寺ほうぞうじ
 佛国山文殊院寶蔵寺。真言宗の寺。本尊は大日如来。1470(文明2)年、賢禅の開基。元は水戸の畑谷にあり、法界寺と称した。 1683(天和3)年、徳川光圀公の命で現在地に移転、寶蔵寺と改めた。関東八十八ヵ所霊場第33番霊場。 境内には大欅などがある。 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。
 茨城百八地蔵尊霊場第3番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市谷田町633。寶蔵寺の地図
寶蔵寺 寶蔵寺
寶蔵寺本堂(左)、関東八十八ヵ所霊場第33番霊場御朱印(右)
筑波神社
 茨城県内で筑波神社が祀られている場所は意外と少ない。そのなかのひとつが水戸市酒門の筑波神社。 創建は不明。また、当初から筑波神社だったかも不明。江戸時代の「天保十一年」(1840年)の銘がある幟には「筑波神社」となっている。
 水戸市酒門町3546−1。筑波神社の地図
筑波神社社殿 筑波神社鳥居
筑波神社社殿(左)、鳥居(右)
回天神社
 1969(昭和44)年、明治100年を記念して創建された。祭神は、安政の大獄から戊辰戦争に至る水戸藩士及宍戸藩士の尊王殉難者1865柱。
 回天は、水戸藩の儒学者、藤田東湖の「回天詩誌」の書名からで「衰えた勢いを盛り返し、もとの正しさに引き戻す」という意味がある。
 境内には、同じ形の墓石371基が整然と並ぶ水戸殉難志士の墓がある。これは、幕府軍との戦いで亡くなった志士の墓で、1914(大正3)年に建てられた。 1933(昭和8)年には、忠魂塔が建てられている。また、境内には回天館がある。
 水戸市松本町13−33。回天神社の地図
回天神社
回天神社
回天館
 回天神社境内にある。1864(元治元)年、天狗党の志士が越前国新保宿(現在の福井県敦賀市)で投降した際、幽閉された16棟の鰊蔵のうちの1棟。 天狗党に関する資料などが展示されている。鰊蔵は、1957(昭和32)年、敦賀市(福井県)の好意により、水戸市が譲り受けたもの。 はじめ常盤神社に移築されていたが、1989(平成元)年、同所に再移築された。
 月曜日及び金曜日休館。
 水戸市松本町13−33。回天館の地図
回天館
回天館
常盤共有墓地
 1666(寛文)年、水戸徳川家第2代藩主光圀公が、菩提寺のない藩士のために創設した墓地。 城下の上市地区に居住する藩士のために用意された。安積澹泊はじめ、藤田幽谷、藤田東湖、藤田小四郎など藩士の墓がある。
 水戸市松本町。常盤共有墓地の地図
酒門共有墓地
 1666(寛文)年、同じく水戸徳川家第2代藩主光圀公が、菩提寺のない藩士のために創設した墓地。 城下の下市地区に居住する藩士のために用意された。戸田忠太夫、安島帯刀ら藩士の墓だけでなく、第19代横綱常陸山谷右衛門などの墓がある。
 水戸市酒門。酒門共有墓地の地図
笠原水源
 水戸徳川家第2台藩主光圀公の命で日本で18番目に造られた水道の水源。1663(寛永3)年完成した。 明治時代、下市地区の街角にあった竜頭共用栓(復元)から水源地の水を汲むことができる。ただこの水は、水源地の水そのものではなく、塩素を加え、水道水としての基準を満たしている水。
 水戸市笠原町。笠原水源の地図
曝井さらしい
 愛宕山古墳近くにある湧き水。水戸市唯一の万葉の遺跡。万葉集では「三栗の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所に妻もが」と詠まれている。 周辺は、万葉曝井の森として整備されている。
 水戸市愛宕町。曝井の地図
備前堀
 江戸時代に整備された用水路。2006(平成18)年2月3日、疎水100選に選ばれている。 桜川の柳堤堰(水戸市柳町)から取水し、国道51号沿いに流れ、涸沼川に結んでいる。全長は約12km。灌漑と桜川、千波湖の洪水防止を目的にしている。 1610(慶長15)年、水戸徳川家初代藩主頼房公が、関東郡代の伊奈備前守忠次に命じて築かれたことからこの名がある。 現在も農業用水として使用されているほか、市街地部分では、水辺を公園などに整備し、市民の憩いの場となっている。 また、備前堀に架かる道明橋上には、伊奈忠次の銅像が経つほか、水戸市本町の備前堀沿いには忠次公を祀った伊奈神社がある。
 水戸市。備前堀の地図
伊奈神社 忠次碑
備前堀沿いに祀られている伊奈神社(左)、道明橋上にある伊奈忠次碑(右)
住吉神社
 祭神は、上筒男命、中筒男命、底筒男命。航海、漁業の守護神。 創建年月は負傷ながら、939(天慶2)年、平貞盛が、弟の繁盛を遣わして平将門討伐を祈願したと伝わる古社。
 水戸市東前874。住吉神社の地図
愛宕神社
 祭神は火之迦具土神。938(天慶元)年、平国香が守護神として山城国愛宕の愛宕神社から分霊を常陸府中(現在の石岡市)に勧請した。 1014(長和3)年、国香の子、平貞盛が旧水戸城内に移したとされる。 さらに元亀年間(1570〜73年)、水戸城主の江戸道勝が水戸城外三の丸に遷した。 その後、1580(天正8)年、佐竹義宣により現在地に移された。 江戸時代には水戸徳川家の崇敬厚く、水戸城守護及び火伏の神として信仰されている。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
 水戸市愛宕町10−5。愛宕神社の地図
愛宕神社拝殿 愛宕神社御朱印
愛宕神社拝殿(左)、御朱印(右)
大井神社
 祭神は建借馬命(たけかしまのみこと)。8世紀、この地方を治めていた宇治部氏によって建立されたという古社。 式内社、那賀(那珂)7社、大井神社論社。
 水戸徳川家の崇敬厚く、徳川光圀公が石段を奉納、安政年間には徳川斉昭公の命により現在の拝殿が建立されている。
 水戸市飯富町3475。大井神社の地図
大井神社拝殿
大井神社拝殿
藤内神社
 祭神は経津主命。721(養老5)年の創建とされる。延喜式小社、藤内神社論社。 1800(寛政12)年旧暦6月晦日から続くという夏越大祓で行われる輪くぐり祭で知られる。
 水戸市藤井町874。藤内神社の地図
藤内神社拝殿 藤内神社本殿
藤内神社拝殿(左)、本殿(右)
中根寺
 来迎山浄心院中根寺。真言宗豊山派。1224(貞応3)年、文寛律師開山。本尊は行基菩薩作と伝わる延命地蔵尊。 平将門に意見したとの伝説が残り「意見地蔵」と呼ばれる。
 境内にある阿弥陀堂は、1221(承久3)年3月16日、恵心僧都作の阿弥陀三尊像を祀ったもの。堂内の四方の壁に仏像1000体を安置しており、常陸千日堂とも呼ばれる。 毎年11月16日にご開帳する。
 同じく境内にある摩利支天は、義公時代の剣豪で、新田宮流抜刀の開祖、和田平助の護持仏、摩利支天尊を祀ったもの。 和田平助は、1683(天和3)年、同地で自刃した。摩利支天尊は、その時所持していたもの。
 水戸市加倉井町595。中根寺の地図
東光寺
 医王山福性院東光寺。天台宗の寺。本尊は薬師如来。
 平安末期の創建と伝わる。本尊の薬師如来は秘仏とされ木造座像、平安時代の作とされる。 古くは家に病人が出ると近親縁者7人が堂にこもり平癒祈願したという。 学生野球の父とされる飛田穂洲(すいしゅう)の菩提寺で御朱印には穂洲ゆかりの「一球入魂」の印が押される。
 関東九十一薬師霊場第67番札所、関東百八地蔵尊霊場第56番札所、茨城百八地蔵尊霊場第106番札所。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 水戸市大場町1369。東光寺の地図
東光寺本堂
東光寺本堂
東光寺薬師霊場御朱印 東光寺地蔵尊霊場御朱印
東光寺関東九十一薬師霊場第67番札所御朱印(左)、同じく関東百八地蔵尊霊場第56番札所御朱印(右)
弘道館鹿島神社
 1857(安政4)年、水戸徳川家第9代藩主斉昭公の創建。 鹿島神宮から分霊を遷祀し、斉昭公自らが鍛えたという「葵くずし八雲鍛え」の太刀を奉納して御神体とした。 1871(明治4)年郷社、1882(明治15)年県社。
 同社の社殿は、1974(昭和49)年、第60回伊勢神宮式年遷宮に際し、伊勢神宮別宮「風日折宮」(かざひのみのみや)の旧殿一式の譲渡を受け、1975(昭和50)年5月9日、神明造りの社殿が完成した。 家内安全、交通安全、旅行安全、武道上達、競技必勝などに御利益があるという。
 水戸市三の丸。弘道館鹿島神社の地図
弘道館鹿島神社
弘道館鹿島神社
くれふしの里古墳公園
 牛伏古墳群の古墳を活かした公園。巨大な埴輪形の「はに丸タワー」がシンボル。
 前方後円墳6基、帆立型前方後円墳1基、円墳9基からなる。4号墳は復元されており、多くの埴輪で飾られている。また、古墳の上に昇ることも出来る。 はに丸タワーは、高さ17.3m。日本一の埴輪とされる。内部は昇ることが出来、最上部は展望台になっている。
 入園は自由、無料。はに丸タワーは午前9時〜午後5時(10月1日〜3月31日までは午後4時)まで。1月1日〜1月3日は閉鎖。 駐車場有、無料。
 水戸市牛伏町201−2。くれふしの里古墳公園の地図
はに丸タワー
はに丸タワー
4号墳 4号墳上
復元されている4号墳(左)、4号墳上部(右)
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