つくばと筑波山の総合情報サイト!

MENU

筑波山

つくば近隣ガイド

広告

鹿嶋市

 鹿嶋市は、茨城県の南東部に位置し、鹿島神宮の門前町として栄えた。なお、鎌倉時代から室町時代にかけては鹿島氏の城下町でもあった。 現在は、鹿島神宮を訪れる参拝者の観光都市として、あるいは鹿島港を中心に鹿島臨海工業地帯が広がる工業都市として発展している。 また、最近はJリーグ・鹿島アントラーズのホームとして知られる。JR鹿島線、鹿島臨海鉄道、国道51号、国道124号が交差する。 東は太平洋・鹿島灘に面し、西は北浦と水に挟まれた地域。
 1995(平成7)年9月1日、鹿島郡鹿島町と同大野村が合併し鹿嶋市となった。 当初市名は鹿島市を希望したが、佐賀県鹿島市があったことから断念。 鹿島神宮は古くは「鹿嶋神宮」と記されていたことからそれをもとに鹿嶋市とした。 人口は67,879人(2015年国勢調査)、面積は105.97平方km。
 旧鹿島町は、1954(昭和29)年9月15日、鹿島町と豊津村、豊郷村、波野村、高松村が合併した。
 旧大野村は、1955(昭和30)年3月31日、大同村と中野村が合併した。
北浦、北浦大橋水郷筑波国定公園へ。
鹿島神宮
 常陸国一の宮。旧社格は官幣大社。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社である。 平安時代にまとめられた延喜式神名帳に記載がある式内社で、当時、神宮の称号で呼ばれていたのは鹿島神宮のほかは、 伊勢神宮(神宮=三重県伊勢市)、香取神宮(千葉県香取市)だけだった。
 創建は神武天皇1年(紀元前660年)と伝えられている。 祭神は武甕槌大神。武神として武士からの崇敬厚く、現在でも勝負事の神様として、さらには戦いを治めるということから平和をもたらす神として霊験あるという。 また、安産、縁結び、さらには地震除けなどに御利益があるとされている。 なお、祭神の武甕槌大神は、香取神宮に祀られている経津主大神とともに武芸の神として、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。 香取神宮、息栖神社(神栖市)とともに東国3社と呼ばれる。
 例祭は9月1日、勅使をお迎えして行われる。また同日、神幸祭や提灯まち、翌2日に行宮祭、還幸祭が行われる。両日は鹿嶋市宮中の5地区から山車が出て祭りに華を添える。 また12年に一度の午年には、式年大祭御船祭が執り行われる。 鹿島神宮の祭神である武甕槌大神と香取神宮の祭神である経津主大神が水上で出会う祭り。内海で行われる御船祭としては国内最大の規模、最古の歴史を誇る (下記参照)。
 境内の要石(かなめいし)は、地震を起こす大鯰の頭を抑える杭とされ、見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜くことはできないとの言い伝えがある。 水戸黄門で知られる水戸藩2代藩主・徳川光圀公が家来に命じて掘らせたが、ついに掘り出せなかったとされる。
 神宮に伝わる宝物に、国宝の「直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)、附:刀唐櫃」 がある。「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」「平国剣(ことむけのつるぎ)」とも呼ばれる伝説の剣。 神話では、武甕槌大神が国を平定した時の剣が布都御魂剣だったが、その剣は石上神社に御神体として祀られてしまった。 そのため武甕槌大神の剣として新たに鹿島の砂鉄を使って約1300年前(奈良時代から平安時代初期)に作られたものという。 柄(つか)、鞘を含めた全長は8尺9寸4分(2.71m)、刃長7尺3寸8分(2.24m)の直刀。現存する伝世品(出土品でない)の日本刀の中では、最古例の一つ。 正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」の流れをくむとみられる。
 本殿、楼門、拝殿、奥宮本殿などが国の重要文化財に指定されている。奥宮本殿は徳川家康の命による造営、 本殿、拝殿などは2代将軍・徳川秀忠公、そして楼門は初代水戸藩主・徳川頼房公の建立。 楼門は、福岡県の筥崎宮、熊本県の阿蘇神社の楼門とともに日本3大楼門とされる。 同じく国の重要文化財に指定されている「梅竹蒔絵鞍」は鎌倉幕府を開いた源頼朝が寄進した馬の鞍とされる。 さらに境内全域が国の史跡に指定されている。
 大鳥居は、境内の杉で作られた木製の大鳥居。以前は、1968(昭和43)年、笠間市の稲田石で建てられた石鳥居だった。 国産の花崗岩で造られた鳥居としては日本一の規模を誇っていたが2011(平成23)年の東日本大震災で倒壊。 復興のシンボルとして再建が進められ、2014(平成26)年6月1日完成した。 新しい大鳥居は境内から杉が切り出され、両柱が樹齢約500年、笠木が樹齢約600年、貫が樹齢約250年の4本が使われた。 完成した大鳥居は高さ約10.2m、笠木幅約14.6mの大きさ。記録の残る1664(寛文4)年以降で11代目、明治期以降では4代目となる。 また、境内ではないが一之鳥居が東西南北の4カ所にある(下記参照)。特に西の一之鳥居は水上鳥居としては国内最大とされる。
 祈祷殿が2014(平成26)年10月17日完成した(使用は18日から)。式年大祭御船祭の記念事業として建設された。 建築面積2055.36平方m、延床面積3145.48平方m。その名の通り、従来拝殿で行われていた祈祷を行う。 そのため祈祷殿内に神殿が設けられ、本殿から分霊が移されている。また、社務所、参集殿の機能も持つ。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
 御朱印は本宮と奥宮の2種類、オリジナル御朱印帳有。授与は祈祷殿。御朱印については御朱印・神社も参照。
 鹿島神宮の詳細は特設ページ鹿島神宮へ。
 鹿嶋市宮中2306−1。鹿島神宮の地図
楼門
日本3大楼門のひとつ鹿島神宮の楼門
拝殿 本殿
拝殿(左)、本殿(右)
奥宮 仮殿
奥宮(左)、仮殿(右)
祈祷殿 高房社
祈祷殿(左)、高房社(右)
樹叢 御手洗池
鹿島の樹叢(左)、御手洗池(右)
大鳥居 要石
大鳥居(左)、要石(右)
御朱印鹿島神宮 御朱印鹿島奥宮
鹿島神宮御朱印(左)、奥宮御朱印(右)
御朱印帳表紙 御朱印帳裏表紙 御朱印帳鷲表紙 御朱印帳鷲裏表紙
鹿島神宮オリジナル御朱印帳表紙(左)、裏表紙(左中)、鹿島神宮オリジナル御朱印帳鷲バージョン表紙(右中)、裏表紙(右)
御船祭 みふねまつり
 12年に一度、午年に行われる鹿島神宮の式年大祭。2000人以上の大行列が陸路、水路合わせて30kmを巡行する。 特に100隻以上参加するという大船団の巡行は圧巻。
 9月1日、勅使をお迎えしての例祭が執り行われる。提灯まちの神事、神幸祭を行い、御分霊を神輿に移し、行宮(あんぐう)に渡御する。 9月2日、行宮で御発輿祭(ごはつよさい)を行い、そこから大行列で大船津へ移動。神輿が水上の大鳥居をくぐり竜頭で飾られた御座船へと進む。 ここで御発船祭が執り行われた後、大船団で香取市の加藤州の斎杭(いみぐい)を目指す。 加藤州では香取神宮の御迎祭がある。御迎祭を終えると帰途につき、鹿島神宮の楼門前まで着くと行宮御着輿祭(ごちゃくよさい)が行われる。 9月3日、行宮祭、そして神輿を本宮へ還御する還幸祭で12年に一度の式年大祭は終わる。
御船祭
御船祭。多くの船を従えて浪逆浦を進む御座船
神幸祭 じんこうさい
 9月1日、2日両日行われる一連の鹿島神宮の祭礼。「ご神幸」と呼ばれる。例祭、提灯まち、神幸祭、行宮祭、還幸祭に分かれる。 地元の宮中5地区からは両日とも山車が出て祭りを盛り上げる。
 例祭は、1日午前10時から天皇陛下からの大幣帛(おおみてぐら)をいただき、宮内庁からの勅使(6年毎の子年、午年、それ以外の年は御使)、 迎え執り行われる。鹿島神宮で最も重要な神事。
 提灯まちは、大きな青竹にたくさんの小提灯をつけ、20人程度の若衆が押し立てながら参道を進んで境内に運び、篝火(かがりび)に 投入して燃やす奉納神事。子供たちのグループによる「こども提灯」の奉納、若衆のグループによる「大提灯」の奉納と続く(下記参照)。
 神幸祭は、1日午後8時から、神宮の分霊を御神輿に遷して参道を巡行、 最後は楼門に設けられた御旅所(御仮屋)「行宮」(あんぐう)に安置される。 行宮祭は、2日午前10時から、行宮前で執り行われ神事。 そして、還幸祭では、2日午後3時から、御神輿が参道を巡行した後、神宮へ還御する。
 山車などの詳細は特設ページ鹿島神宮神幸祭へ。
神幸祭神輿
神幸祭で渡御する神輿
神幸祭神輿列 神幸祭鹿島神宮流鏑馬隊
供奉行列(左)、同じく供奉行列で鹿島神宮流鏑馬隊(右)
神幸祭参道
神幸祭当日の参道。神社に向かって町内の山車が整列
提灯まち
 提灯まちは、鹿島神宮の神幸祭で、鹿島の神がお出ましになる際の出御の明かりとして行われる。大竹に多くの提灯をつけ、それを奉焼する。 1日午後2時から「こども提灯」、午後4時30分から若衆による「大提灯」の奉納が行われる。
 大提灯は根から掘り起こした大竹に多くの提灯がつけられる。また、根本から3mほどのところに四角の万灯がつけられており、 「奉納」「鹿島神宮」「神幸祭」などの文字やグループ名、協賛企業名などが入れられる。また、支え竹とロープが取り付けられており、前後左右に大きく揺らすときに使われる。
 門前にある鹿島神宮第2駐車場をスタートし、参道を鹿島神宮に向かう。 途中で威勢のいい掛け声をかけながら、提灯を大きく揺らす。 夕刻から夜にかけて参道は鈴なりの提灯行列で埋め尽くされる。最後は境内の稲荷神社前の銚場の篝火のなかに投げ込まれ奉焼される。
 提灯まちの詳細も特設ページ鹿島神宮神幸祭へ。
提灯まち
参道を埋める提灯行列
提灯まち儀式 提灯まち奉焼
銚場で奉焼前に儀式を執り行う提灯(左)、同じく提灯まち奉焼される提灯(右)
祭頭祭 さいとうさい
 毎年3月9日に開催される鹿島神宮の祭礼。「出陣の神事」「凱旋の神事(祭頭囃)」「卜定の神事(春季祭)」からなる。 以前は同日に3神事全て執り行われていたが2020(令和2)年から凱旋及び卜定の神事は3月9日以降の最初の土曜日、 3月9日が土日の場合は同日行うように変更になった。 色鮮やかな衣装で着飾った数百人に及ぶ囃人が神宮とその周辺を練り歩き鹿島地方に春の訪れを告げる。 国選択無形民俗文化財。
 9日午前10時から当番町2郷の大総督(新発意=郷の代表として選ばれる5歳前後の男児)が神宮に昇殿し祭頭祭が始まる。 祭頭祭の華ともいえる祭頭囃は、正午から各郷が出陣式を行い、ほら貝や太鼓が鳴らされる中、大総督の命令の元、祭頭囃の行列がスタート。 「イヤートホヨトホヤァー」の祭頭歌に合わせて独特の派手な衣装を身に着けた囃人が10数人のグループとなり輪になって 6尺(約180cm)の樫棒を突き合わせては解きながら、鹿島神宮の参道などを練り歩く。 最後は神宮の境内に囃し込み、拝殿前で一斉囃しが行われる。
 午後6時からは春季祭=下記参照。来年の当番町を神占(占いの一種)で決める。当番町は、神宮の南側の大字を南郷といい左方、 北側の大字を北郷といい右方として選ばれる。
 祭頭祭の歴史は古く、その起源は奈良時代の天武天皇の時代から、あるいは平安時代からと諸説ある。 文献で最も古い記述は建仁4年(1204年)のものという。少なくとも800年以上の歴史がある。 現在は女性や子供の参加し祭りに華を添えているが、昭和40年大頃までは、男性しか祭りへの参加が許されていなかった。
 東日本大震災の影響で2012(平成24)年には中止の危機があったが、中止にしてはならないとの声が上がり、 参加者を公募して行った。なお上記の通り、2020(令和2)年から日程変更が行われたが、コロナ禍により同年は翌年へ延期。 2021(令和3)年は、同じくコロナ禍により人が密になるのを避けるためあえて平日の3月9日に戻して囃子を実施した。 さらに2022(令和4)年は同じく密を避けるため、左方が3月12日、右方が4月2日の分散開催となった。 春季祭も特例で3月9日の神事後に卜定のみ実施、それ以外は4月2日に実施した。2023(令和5)年から当初予定の日程で行われている。
祭頭祭 祭頭祭大鳥居前
参道で色とりどりの衣装を身にまとい樫棒を突き合わせながら練り歩く囃人(左)、同じく大鳥居前(右)
祭頭祭纏 祭頭祭軍配
出陣式「総叩き」での纏(左)、同じく出陣式で軍配を回す(右)
祭頭祭楼門前 祭頭祭参道踊り
楼門前での樫棒の突き合わせ(左)、参道で踊りの披露(右)
春季祭
 毎年3月9日に開催される祭頭祭で午後6時から行われる神事。2020(令和2)年からの日程変更に伴い、 祭頭囃終了後に行われている。奉納された大豊竹と万灯を壊し、竹はささらになるまで割られる。 竹を細かく割り増やすことは、稲が株別れし大きくなっていく様子を表してるともいい、五穀豊穣を祈願する。 これは秋季に行われる提灯まちと対をなす神事で、竹に提灯をたくさんつけることは稲穂の実りを表現しているとされる。
 拝殿内では神占が行われ、来年の祭頭祭南北の奉仕郷を決定する。 神占は占紙2枚に候補の字名が書かれておりその上で小麻を揺らし先に付着した占紙の字が翌年の奉仕字になるという。 決まり次第神職によって発表される。
春季祭
春季祭、拝殿前の様子
春季祭神占 春季祭
神占の結果を発表する神職(左)、春季祭の最後、提灯の列の中を退場する参加者(右)
御田植祭
 鹿島神宮で毎年5月1日に開催される神事。800年以上前の平安時代から始まったとされ五穀豊穣と天下泰平と祈る。 午後1時から、神事の後、巫女や就学前の女児が拝殿前で「早乙女舞」を奉納した。
御田植祭
御田植祭で早乙女舞の奉納
流鏑馬神事
 鹿島神宮で御田植祭と同じ日、毎年5月1日に開催される神事。五穀豊穣と天下泰平と祈る。
 流鏑馬は、奥参道に長さ約220mの特設馬場を設け、射手が3カ所の的を走らせた馬上から狙う。 馬は純国産の「和駒(わこま)」のみ。射手は、甲冑や水干など平安時代の装束で登場する。
流鏑馬
流鏑馬で馬上から的を射る射手
白馬祭 おうめさい
 鹿島神宮で毎年1月7日に開催される神事。かつては新年最初に本殿の扉を開けるのに合わせて馬を曳き回した祭りに由来するとされる。 また、年の初めに白馬を見ると邪気を祓うという言い伝えがある。日本三大白馬祭(他は住吉大社、上賀茂神社)。
 同日は午後6時から拝殿などで神事。その後、鞍に御幣を飾った「神馬(しんめ)」が登場、拝殿前を曳き回した。 神馬が踏んだものを持っていると願いが叶うとされ、多くの参拝者がハンカチやタオルなどを地面に敷く。
白馬祭
白馬祭
大寒禊 だいかんみそぎ
 鹿島神宮で、毎年1月の「大寒」に近い日曜日に御手洗池で行われる神事。 約200人の老若男女が池に入り「禊」を行う。
 参加者は午前9時30分から正式参拝。その後御手洗池に移り午前10時から禊が行われる。 男は白褌に白鉢巻、女が白装束に白鉢巻姿。池の前で「鳥船(とりふね)」と呼ばれる船の櫓をこぐ動作で準備運動してから池に入った。 全員が池に入ったところで大祓詞(おおはらいのことば)を唱えた。
 かつては神職及び氏子のみで行われていたが、現在参加者は公募されている。
大寒禊
大寒禊で御手洗池に入る参加者
節分祭
 鹿島神宮で2月3日(立春の前日)に行われる。午後3時からと午後6時からの2回、神事が執り行われた後、 特設舞台から豆まきが行われる。芸能人や大相撲の力士など著名人も参加する。
節分祭
節分祭での豆まき
煤祓い神事 すすはらいしんじ
 鹿島神宮で毎年12月1日に行われる。新年を迎えるための最初の行事で、 1年の埃、煤を祓い清める。長さ約4mほどの「オスス竹」を使い神職や巫女が 本殿以下社殿と楼門で行う。以降新年を迎える準備が本格化する。
すす払い
楼門のすす払いを行う神職ら
水無月大祓式
 水無月(みなずき=6月)大祓茅の輪くぐり。6月と12月の末日に大祓式が行われている。 このうち6月を「水無月祓」として茅の輪をくぐり、半年間の罪や穢れを清める。また、人形(ひとがた)に罪と穢れを移し 清新な心と体にかえって幸福な半年間を過ごせるようにするという。現在は、新暦の6月30日午後3時、古式により執り行われていえる。
大祓茅の輪
茅の輪をくぐる神職
大祓茅の輪宮司 大祓茅の輪参進
最初に茅の輪を清めくぐる宮司(左)、大祓式に参進する宮司ら神職(右)
鹿島踊り
 鹿島踊りは鹿島神宮と深い関係がある。江戸時代、各地を巡って鹿島神宮の神託を告げ歩き 「鹿島信仰」を各地に広げた「鹿島の事触(かしまのことぶれ)」は、民衆を集める手段として「鹿島踊り」を踊ったという。 災難を除け一年を幸せに過ごすための「お告げ」を運んでくれる芸能として全国に広まったとされる。 現在でも鹿島神宮の神幸祭の行宮祭で披露されている。 踊り手は、揃いの白丁の衣装に烏帽子をかぶり、大きな御幣や鉦を持って踊る。
鹿島踊り
行宮祭で披露された鹿島踊り
鹿島神宮の藤
 鹿島神宮の御手洗池近くにある御手洗公園に藤棚と藤が樹木を覆う姿が見られる。
藤棚 藤
御手洗池前の藤棚(左)、2本の木をほぼ覆う藤(右)
跡宮 あとのみや
 鹿島神宮摂社。祭神は武甕槌大神荒魂(たけみかずちのおおかみあらみたま)。 同地は鹿島の大神が初めて天降り(あまくだり)した場所とされる。 同社を「荒祭の宮(あらまつりのみや)」ともいい、荒祭は「現祭(あらまつり)」「生れ祭(あれまつり)」 に通じ、神の降臨、誕生、出発を意味するという。 また奈良・春日に御分霊の際、ここから鹿島立ちされたとも伝わる。 創始は古く、鹿島神宮と先を争うほどとされる。
 跡宮の傍らには物忌(ものいみ)の館があった。物忌は、亀卜(きぼく)によって選ばれた鹿島神宮の女性の神官で、 その地位は高く、江戸時代まで鹿島神宮の本殿内は男子禁制で、奉仕できるのは物忌に限られていた。 物忌を選ばれるのは、6歳から13歳ぐらいまでの童女で、2人の候補者が選出され、100日間の斎戒の後、 2枚の亀甲にそれぞれの名を書いて同時に火に炙り、焼け残った名で選定したという。 物忌は終身その地位にあり、90年にわたって奉仕したものもおり、 初代の普雷女(あまくらめ)より1871(明治4)年に廃止されるまでわずか27人しかいない。
 鹿嶋市神野4−1−12。跡宮の地図
跡宮社殿 跡宮礎石
跡宮社殿(左)、跡宮にある礎石(右)
跡宮一之鳥居 跡宮二之鳥居
跡宮の一之鳥居(左)、同じく跡宮の二之鳥居(右)
坂戸神社 さかとじんじゃ
 鹿島神宮摂社。常陸風土記に記載のある古社。鹿島神宮境内附郡家跡として国指定史跡になっている。 祭神は、中臣氏(藤原氏)の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)。
 8世紀前半に編纂された常陸国風土記には「天の大神社(大社=鹿島神宮)、坂戸社(さかとのやしろ)、沼尾社 (ぬまおのやしろ=沼尾神社、下記参照)、三処を合わせて惣べて香島の天の大神と称す」とあり、「鹿島三社詣り」など尊崇されていたという。
 本殿は一間社流造り、銅板葺、1834(天保5)年の建立。拝殿は切妻造で1844(弘化元)年の建立と伝えられる。
 鹿嶋市山之上228。坂戸神社の地図
坂戸神社拝殿
坂戸神社の拝殿
坂戸神社本殿 坂戸神社鳥居
坂戸神社の本殿(左)、同じく坂戸神社の鳥居(右)
沼尾神社 ぬまおじんじゃ
 鹿島神宮摂社。常陸風土記に記載のある古社。鹿島神宮境内附郡家跡として国指定の史跡。 祭神は香取神宮に祀られている経津主命(ふつぬしのみこと)。 かつては本殿裏から香取神宮の森が望めたという。
 常陸風土記には「神宮の北に沼尾池があり、神代に天より水下りて出来たこの池に 生える蓮根は、大変美味しく、病気の者が食べるとたちどころに治る」と記されている。
 神社の森は沼尾緑地環境保全地域に指定されている。スダジイ、タブノキを主とする常緑樹林。 イロハモミジやモミノキも混在するほか、ヒサカキ、ゴンズイ、ネムノキ、アオキなども見られる。 特にゴンズイは、茨城県が北限となっている。
 鹿嶋市沼尾1298。沼尾神社の地図
沼尾神社拝殿 沼尾神社参道
沼尾神社の拝殿(左)、同じく沼尾神社の参道(右)
沼尾神社本殿 沼尾神社鳥居
沼尾神社の本殿(左)、同じく沼尾神社の鳥居(右)
鹿島神宮一之鳥居
 鹿島神宮に通じる東西南北の参道入口4カ所に一之鳥居がある。西の一之鳥居が鹿嶋市大船津の北浦湖岸。北の一之鳥居が鹿嶋市 もとは神栖市日川にあったとされるが、現在は息栖神社の大鳥居が兼ねているとされる。一之鳥居の内側が神域とされる。 なお、東西南北の一之鳥居は、すべて材質が違う。西が鋼鉄製、東が木製、北が硬質塩化ビニール製、南が石製となっている。
西の一之鳥居
 鹿嶋市大船津の北浦湖岸にある。国内最大の水上鳥居。平安時代に水中にあったことが確認されているという。 1618(元和4)年には、2代将軍・徳川秀忠公が奉納した記録がある。この時も水上鳥居で、水運が盛んだった当時は、鹿島の玄関口のシンボルだったという。 現在の鳥居は2013(平成25)年6月の再建。水底からの高さ18.5m、幅22.5m。水上鳥居としては広島・厳島神社の鳥居の 高さ16mを超え国内最大という。鳥居は新日本住金製の耐候性鋼材が使われた。なお、旧鳥居は水上ではなかったが、その2.5倍の大きさがある。
 鹿嶋市大船津。鹿島神宮西の一之鳥居の地図
西一之鳥居
鹿嶋市大船津、西の一之鳥居、日本最大の水上鳥居
東の一之鳥居
 鹿嶋市明石の海岸にある。明石浜鳥居。この浜は、武甕槌命が出雲国で大国主命と国譲りの話し合い後、東国を訪れ上陸した場所とされる。 鳥居から延びる道沿いに建つ碑には、「鹿島大明神」、「北いそはま(磯浜)」、「南てうし(銚子)」と刻まれている。
 鹿嶋市明石。鹿島神宮東の一之鳥居の地図
東一之鳥居
東の一之鳥居
東一之鳥居海岸 東一之鳥居碑
東の一之鳥居と明石の海岸(左)、鳥居から延びる道沿いに建つ鹿島大明神碑(右)
北の一之鳥居
 鹿嶋市浜津賀、神戸(ごうど)の森と呼ばれる鎮守の森を通る市道上にある。高さ6m、幅は最大7.8m。地震や腐食に強い硬質塩化ビニール製で建立された。 2017(平成29)年10月1日完成。神戸森は、水戸から鹿島に向かう街道の途中にあり、戸隠神社が祀られている。 鳥居は昔からこの神社前にあったとされ、古い礎石も残されている。今回もこの神社前に建てられた。
 鹿嶋市浜津賀。鹿島神宮北の一之鳥居の地図
北一之鳥居
北の一之鳥居
南の一之鳥居
 神栖市息栖の息栖神社の一之鳥居が兼ねるとされる。鹿島神宮の南の一之鳥居は日川にあったとされるが、息栖神社も日川に鎮座していた時代がある。 船溜まり前にある。
 神栖市息栖。鹿島神宮南の一之鳥居(息栖神社一之鳥居)の地図
南一之鳥居
南の一之鳥居とされる息栖神社の大鳥居
鹿島アントラーズ
 鹿嶋市にホームグラウンド(ホームタウンは、鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市)を置くプロサッカーチーム。Jリーグ発足10チームのうちの1チーム。 国内3大タイトルでは、Jリーグ(1996、1998、2000、2001、2007、2008、2009、2016年)、 Jリーグカップ=YBCルヴァンカップ、旧ヤマザキナビスコカップ=(1997、2000、2002、2011、2012年、2015年)、 天皇杯(1997、2000、2007、2010、2016年)で、 最多の19冠(Jリーグ発足後、2017年1月1日天皇杯終了時)を誇る強豪クラブ。 2000年シーズンは国内3大タイトルを全て制し、史上初の3冠を達成している。 2016(平成28)年、FIFAクラブワールドカップで準優勝。 2018(平成30)年11月11日、アジアチャンピオンズリーグを初制覇。
 アントラーは鹿の枝角で、鹿島神宮の神鹿と枝角は茨城の茨を意味する。
 プロチームとしての鹿島アントラーズは、当時、ブラジルサッカー界の英雄で、 元ブラジル代表のジーコが、当初よりチームづくりに参画、プロ意識を叩き込んだ。 ジーコが離れた後も、その影響は強く残っており、プレースタイルや、 外国人補強選手が2008(平成20)年まで全てブラジル人など、その姿勢は一貫している。 監督も日本人以外はブラジル人のみだったが、2021(令和3)年12月10日、スイス人監督の就任が発表された。
 鹿島市内にある鹿島アントラーズクラブハウスは、鉄骨2階建て。選手のロッカールームやトレーニングルーム、監督室などがあるほか、天然芝3面、人工芝2面のグラウンド、見学者用のスタンドなどがある。 また、サポーターに人気のクラブショップやアントラーズカフェが併設されている。 クラブショップは、アントラーズのキャラクター商品を取り揃えている。アントラーズカフェでは、選手とのコラボメニューも多くある。 平日は午前11時から午後6時、土日は午前10時から午後5時。月曜日定休。
 鹿嶋市栗生2887。鹿島アントラーズクラブハウスの地図
カシマサッカースタジアム
 1993(平成5)年4月にオープンした日本で初めての本格的なサッカー専用スタジアム。正式名称は茨城県立カシマサッカースタジアム。 鹿島アントラーズのホームグラウンド。こけら落としは、鹿島対フルミネンセFC(ブラジル)で、ジーコがスタジアム初ゴールを挙げている。 2002(平成12)年の日韓ワールドカップでは開催会場のひとつとなり、アルゼンチン−ナイジェリア、ドイツ−アイルランド、イタリア−クロアチア戦が行われた。 なお、オープン当初はJリーグ規格に合わせて15000人収容だったが、ワールドカップ開催に合わせ改修が行われ、40728人収容のスタジアムとして2001(平成13)年5月15日に完成した。 フィールドは115mX78mの天然芝(ケンタッキーブルーグラス)。
 スタジアムには、ジーコ像がある。
 鹿嶋市神向寺26−2。カシマサッカースタジアムの地図
カシマサッカースタジアム ジーコ像
カシマサッカースタジアム(左)、ジーコ像(右)
カシマサッカーミュージアム
 鹿島アントラーズを中心にしたサッカーミュージアム。カシマサッカースタジアムのバックスタンド側にある。 アントラーズゾーン、ワールドカップゾーン、スタジアムゾーン、ドリームシートゾーンからなる。 アントラーズゾーンは、その名の通り鹿島アントラーズの栄光の軌跡を紹介。 ワールドカップゾーンは、カシマサッカースタジアムで行われたワールドカップのメモリアル。 スタジアムゾーンでは、カシマサッカースタジアムの歴史を紹介している。 またドリームシートゾーンはスタンドの臨場感がそのまま味わえる。 開館時間は午前10時〜午後4時。休館は毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)、祝日の翌日、年末年始。 
 鹿嶋市神向寺26−2。カシマサッカーミュージアムの地図
塚原ト伝
 戦国時代の剣術家で、鹿島新道流の開祖。「剣聖」とされる。 鹿島神宮の神官・卜部家の子として生まれる。その後、塚原家の養子となった。実父から鹿島古流、義父からは天真正伝香取神道流を学んだ。 その後旅に出て剣術を磨き、100余の試合で一度も負傷しなかったと伝えられる。現在は伝わっていないが、奥義「一の太刀」を極めたとされる。 鹿島神宮駅前の鹿詰公園に銅像がある。
 鹿嶋市宮下。鹿詰公園の地図
塚原ト伝像
鹿詰公園の塚原ト伝像
潮騒はまなす公園
 海抜77mの高さから360度のパノラマが楽しめる宇宙展望搭(高さ45m)がシンボル。プラネタリウムや郷土資料館、美術館が併設されている。 プラネタリウムは、四季に応じたプログラム、美術館は名画の複製が楽しめる。 また、開業当時日本一の長さを誇った鹿島灘に向かって滑る長さ154mのジャンボ滑り台もある。
 入園料無料。展望台のみ大人300円、小人200円、幼児100円。月曜日休館。
 鹿嶋市角折2096−1。潮騒はまなす公園の地図
宇宙展望搭
宇宙展望搭
長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅
 鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の駅。1990(平成2)年11月18日開業。当時、日本一長い駅名として話題となった。 長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまええき)は、正式名称で13文字、読みで22文字。 福島県の「やながわ希望の森公園前」駅(正式名11文字、よみ16文字)から日本一の座を奪った。
 しかし、1992(平成4)年、熊本県の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅にその座を明け渡した(正式名14文字、読み22文字)。 さらにその後、2001(平成13)年、島根県の「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」駅に読みでも日本一の座を明け渡したが、 2007(平成19)年5月21日、美術館の閉館により、駅名が変更されたため、読みでは再び日本一の座に返り咲く。 当時、これを記念し、記念切符などが発売された。
 駅名は、潮騒はまなす公園と長者ヶ浜海水浴場をPRしようと、当時の大野村村長が決めた。 潮騒はまなす公園の目玉が、当時、日本一長い滑り台だったことから、それにあやかり、駅名も日本一の長さにこだわったという。
 鹿嶋市角折2273−17。長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅の地図
長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅 ホーム
長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅(左)、ホーム(右)
鹿島神宮駅
 JR東日本(東日本旅客鉄道)鹿島線の駅。1970(昭和45)年8月20日開業。 その名の通り、鹿島神宮の玄関口。 また、バスターミナルがあり、東京駅行、羽田空港行、東京テレポート駅行の高速バス、銚子駅行の路線バス及び コミュニティバス、広域バスの乗り入れがある。 2020(令和2)年6月1日、駅前広場のリニューアル工事が完成し、鹿島神宮をイメージした待合所などが設置された。 また同工事に合わせ駅前にあった鹿嶋市観光案内所は駅構内に移転した。
 鹿嶋市宮下。鹿島神宮駅の地図
鹿島神宮駅
鹿島神宮駅
鹿島神宮駅駅前広場 旧鹿嶋市観光案内所
待合所などが設置された駅前広場(左)、かつて駅前にあった鹿嶋市観光案内所、現在は駅構内に移転(右)
鹿島臨海工業地帯
 鹿嶋市と神栖市にまたがり、人工港の鹿島港を中心に広がる2400万平方mの工業地帯。 「高松地区」、「北海浜地区」、「神之池東部地区」、「神之池西部地区」、「奥之谷浜地区」、「南海浜地区」、「波崎地区」などのブロックで形成される。 鹿嶋市は、高松地区、北海浜地区などからなり、新日鉄住金鹿島製鉄所を中心にした鉄鋼関係が立地する。 鹿島臨海工業地帯の詳細は、神栖市へ。
鹿島港
 世界有数の掘込式人工港。南航路と北航路のY字型の港。20万トン級のタンカーが入港できる。 名称こそ鹿島港だが、鹿嶋市域は港入口の北防波堤部分のみで、そのほとんどが隣の神栖市域にある。 鹿島港北側、北海浜埋立地の港入口には、魚釣園がある。港の入口の釣りスポットで誰でも安心して海釣りが楽しめる。 鹿島港の詳細は、神栖市へ。
鹿島港魚釣園
 鹿島港北側、北海浜埋立地の港入口にある。港の入口の埠頭を利用した管理された釣り場で、誰でも安心して海釣りが楽しめる人気スポット。 休憩所や軽食がとれる管理棟がある。また、釣竿のレンタルも行っており、気軽に海釣りを楽しめる。 季節によってアナゴ、カレイ、ヒラメ、キス、アジ、サバ、メバル、カンパチなどさまざまな種類の魚の釣果が確認されている。
 鹿嶋市新浜地先。鹿島港魚釣公園の地図
ハマナス自生南限地
 寒地性の植物で初夏に淡いピンクの花を咲かせるハマナスの太平洋側における自生南限地が鹿嶋市大小志崎にあるハマナス群落。 南限の群落として国の天然記念物に指定されている。なお日本海側の南限として鳥取県鳥取市白兎が同時に指定されている。
 ハマナスは、北海道から東北地方の海岸に多く自生しているが、自生地はここが南限とされた。 指定地は波打ち際よりおよそ60mの内陸部にあり、現在は約2234平方mが柵で囲まれている。ハマナスの開花期は5〜7月ころ。 自生地はその後、南の神栖市や千葉県銚子市でも確認されたが群落として自生しているのはこの場所が南限と見られている。
 なお、ハマナスは、加藤登紀子の「知床旅情」の歌詞が有名で、一躍メジャーな植物となった。
 鹿嶋市大小志崎。ハマナス自生南限地の地図
ハマナス自生南限地
ハマナス自生南限地
護国院
 降魔山護国院経音寺。真言宗智山派の寺。本尊は五大明王。 成田山新勝寺の不動明王とは、同じ木から彫られた「兄弟不動様」とされる。 北関東三十六不動尊霊場第29番札所。厄除不動尊として知られる。
 708(和銅元)年の開基とされる。当初は鹿島神宮の境内にあり、1674(延宝2)年、鹿島大宮司の意向で現在地に移る。 1870(明治3)年、火災により堂宇を焼失するが、本尊は天狗騒動の際に、別の場所に移してあり、難を免れた。
 不動堂は、1879(明治12)年の再建。1996(平成8)年9月22日の台風17号の影響で損傷が著しくなったため、修復を行い、 1998(平成10)年1月、完成した。境内には鹿嶋市指定文化財の板碑がある。
 北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 鹿嶋市宮中2−6−13。護国院の地図
不動堂 護国院御朱印
護国院不動堂(左)、御朱印(右)
大師堂 山門
大師堂(左)、山門(右)
慈眼寺
 神戸山慈眼寺。真言宗智山派の寺。関東八十八カ所霊場第34番霊場。東国花の寺百ヶ寺茨城2番。 創建は天平勝宝年間(749〜57年)とされる。 鹿島神宮寺を建立した僧・満願が、鹿島神宮の鬼門にあたるこの地に神宮寺の三大末寺筆頭として、 神宮の主祭神「武甕槌神」(タケミカツチノミコト)の本地仏である十一面観世音と大般若経六百巻を奉安し創建した。 「鹿島さまに参ったら観音さまに願かけよ」と鹿島神宮参詣後は裏参りと称し参拝者で賑わったという。
 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 東国花の寺百ヶ寺の詳細は東国花の寺・茨城へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 鹿嶋市浜津賀378。慈眼寺の地図
慈眼寺本堂 慈眼寺
慈眼寺本堂(左)、関東八十八カ所霊場第34番霊場の御朱印(右)
慈眼寺山門 灘観音
慈眼寺山門(左)、境内の高台にある灘観音(右)
慈眼寺眺望 慈眼寺手水
灘観音前からの太平洋の眺望。左手の建物は本堂(左)、手水(右)
根本寺
 瑞甕山根本寺。臨済宗の寺。613(推古天皇21)年、聖徳太子が勅を奉じて創建されたという古刹。 日本で最も古い寺のひとつとされる。本尊は薬師如来。始め三論宗、その後法相宗、天台宗。 1191(建久2)年、鎌倉幕府の庇護を受け再興。弘安の役では、後宇多天皇の勅命で、戦勝を祈願した。 康永年間(1342〜44年)、北朝の光明天皇が勅を奉じ、教外得蔵和尚が寺を修理し、臨済宗に改めた。 天狗騒動で、堂宇が焼失した。現在の本堂は1981(昭和56)年7月落成。
 江戸時代には、松尾芭蕉が鹿島紀行で訪れた。芭蕉は同寺の仏頂禅師を師と仰いでいた。 境内には“月はやし梢は雨を持ちながら”の句碑が建てられている。
 鹿嶋市宮中2682。根本寺の地図
本堂
根本寺本堂
山門 句碑
山門(左)、句碑と境内(右)
大福寺
 棚木の観音様として親しまれている。補陀洛山庫蔵院大福寺。真言宗豊山派の寺。安産、子育ての仏様。 創建は1189(文治5)年と伝えられる。本尊の十一面観世音菩薩は、壇ノ浦で敗れた平氏の武将、悪七兵衛景清(平景清)の守り本尊とされる。 娘の人丸が日向(宮崎県)にいた景清から受け取り、背負って縁のある常陸国鹿島郡白鳥荘に来た。 人丸は、池のほとりの松の木に枝で棚を作り、十一面観世音菩薩を安置し、戦死者の霊を弔ったという。 この伝説が棚木の地名の由来になっている。 人丸は、その後剃髪し、妙庫比丘尼となって寺を創建した。境内には人丸の墓「妙庫塚」がある。 十一面観世音菩薩座像は、像高約90cm。1977(昭和52)年5月2日、茨城県文化財指定。
 鹿嶋市棚木371。大福寺の地図
大福寺 山門
大福寺(左)、山門(右)
鎌足神社
 飛鳥時代の豪族で、藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり、614=推古22年=〜669=天智天皇8年=)を祀る神社。 鹿嶋市は、古来より藤原鎌足の誕生地という伝説がある。歴史書『大鏡』では、鎌足は鹿島神宮の鎮座する地で出生したとされている。
 藤原鎌足は、もともと中臣鎌足といい、中臣氏は、鹿島神宮の祭祀者出身という。 鎌足出生当時の中臣氏は、都に住んでいたが、鎌足は、父親が鹿島神宮に派遣された時に生まれたとされる。 中大兄皇子(のちの天智天皇)の信任厚く、乙巳の変、及び大化の改新を断行したとされる。
 境内には1892(明治25)年に建立された「大織冠藤原公古宅址碑」がある。
 鹿嶋市宮中3354。鎌足神社の地図
鎌足神社
鎌足神社
戸隠神社
 鹿嶋市浜津賀の神戸(ごうど)の森に鎮座する。祭神は手力男命。鳥居から直角に参道が曲がり社殿がある。 神社前に鹿島神宮北の一之鳥居がある。
 鹿嶋市浜津賀。戸隠神社の地図
戸隠神社 戸隠神社鳥居
戸隠神社社殿(左)、鳥居(右)
鹿島七福神
 鹿嶋市宮中、仲町通り商店街にある7福神。いずれも高さは約125cmの石像、約20cmの台座の上に設置されている。 仲町通りは鹿島神宮の参道でもある大町通りの南側にある。2003(平成15)年10月、通りの振興などを目的に地元の石材店が設置した。
 鹿嶋市宮中。恵比寿の地図
 鹿嶋市宮中。毘沙門天の地図
 鹿嶋市宮中。大黒天の地図
 鹿嶋市宮中。弁財天の地図
 鹿嶋市宮中。寿老人の地図
 鹿嶋市宮中。福禄寿の地図
 鹿嶋市宮中。布袋尊の地図
恵比寿 大黒天
恵比寿(左)、大黒天(右)
毘沙門天 弁財天
毘沙門天(左)、弁財天(右)
寿老人 福禄寿 布袋尊
寿老人(左)、福禄寿(中)、布袋尊(右)
鹿島城山公園
 鹿島城址。鎌倉時代から室町時代まで400年間、この地に勢力のあった鹿島氏の居城。公園は本丸跡で、桜の名所として知られる。春には桜祭りも行われる。 また夕日が美しい。ダイヤモンド富士も見ることができる。
 鹿嶋市城山1−3034。鹿島城山公園の地図
鹿島城山公園夕日
鹿島城山公園から見た夕日
鹿島城山公園 鹿島城址碑
城山公園(左)、眺望の開けたところに建つ鹿島城址碑(右)
鹿島城山公園の桜
 鹿島城山公園には、ソメイヨシノなど約300本がある。開花時期には桜祭りも開催される。
鹿島城山公園桜
桜の開花時期の鹿島城山公園
鹿島城山公園の河津桜
 鹿島城山公園には、河津桜があり一足早く春の訪れを感じられる。
鹿島城山公園河津桜
鹿島城山公園の河津桜
日本製鉄桜公園
 日本製鉄鹿島製鉄所に隣接してある公園。桜の名所として知られる。また、バラやラベンダーなどの植物が栽培されている。 最大の特徴は、溶鉱炉など、製鉄所の古い機械が、オブジェのように展示されている。
 鹿嶋市光3。桜公園の地図
櫻花公園おうかこうえん
 日本製鉄鹿島製鉄所の敷地に残っていた掩体壕(えいたいごう=飛行機の防空壕)に特攻兵器の「櫻花」を展示した公園。 土地の歴史を記念するとともに、大戦の記憶をとどめ、平和への思いを新たにする場としての公園として位置づけられている。 この場所には、1944(昭和19)年4月、神之池海軍航空隊が開設(のちに721航空隊と改称)され、櫻花の訓練などが行われた。
 鹿嶋市光3。櫻花公園の地図
下津海水浴場おりつかいすいよくじょう
 遠浅で泳ぎやすいと評判の海水浴場。海水浴場としての運営は7月中旬から8月中旬。 この期間中はNPO法人鹿嶋ライフガードチームが海水浴客の安全を守る。時間は午前9時〜午後4時。  海水浴期間以外は、サーファーに人気。
 鹿嶋市下津。下津海水浴場の地図
平井海水浴場
 2008(平成20)年に正式オープンした海水浴場。海水浴場としての運営は7月中旬から8月中旬。 この期間中はNPO法人鹿嶋ライフガードチームが海水浴客の安全を守る。時間は午前9時〜午後4時。 
 鹿嶋市平井。平井海水浴場の地図
茨城県栽培漁業センター
 ヒラメ、スズキ、アワビ、鹿島灘はまぐりなどの種苗生産などを行っている。 栽培漁業や資源管理型漁業について学べる常設の展示室がある。また、展示池、アワビ屋外水槽、クロレラ水槽が見学可能。 開場時間は午前10時〜午後4時。土日、祝日、年末年始休場。入場無料。受付が必要。
 鹿嶋市平井2287。栽培漁業センターの地図
鹿島宇宙技術センター宇宙通信展示室
 独立行政法人情報通信研究機構の施設。同機構は1960(昭和35)年、電波研究所として設立。当時の鹿島町で直径30mのパラボラアンテナの建設を行い、 1964(昭和39)年には同センターの前身となる鹿島支所を開設した。衛星通信や電波天文などの研究を行っている。 宇宙通信展示室は、同センターの研究活動を広く紹介するため設けられている施設。パラボラアンテナなどを分かりやすく解説した展示が人気。 入館は午前9時〜午後4時。休館は年末年始及び設備点検によるもの。入館料無料。
 鹿嶋市平井893−1。鹿島宇宙技術センターの地図
日本製鉄鹿島製鉄所
 旧住友金属工業鹿島製鉄所。その後2012(平成24)年10月1日、新日本製鉄と住友金属工業の経営統合により、新日鉄住金鹿島製鉄所。 さらに2019(平成31)年4月1日、日本製鉄鹿島製鉄所。
 1967(昭和43)年12月1日開所した。敷地面積約1000万平方m、従業員約3000人の巨大施設。鹿島港に隣接してある。 同社の鋼板及び建材の製造拠点のひとつ。自動車、家電向けの薄板鋼板を中心に、厚板鋼板、鋼管、形鋼などの製造を行っている。
 工場見学を行っている。見学対応時間は午前9時〜午後3時。見学所要時間は約2時間。 概要説明、映像鑑賞などに続いて車中から構内見学、熱間圧延工場などを見る。予約制。
 鹿嶋市光3。日本製鉄鹿島製鉄所の地図
copyright © 2007-2024 つくば新聞 by tsukubapress.com all rights reserved.